第22話 因果応報

 放課後、加藤と広田と町で遊び呆け、日が落ちると同時に帰宅した成瀬は、純和風の造りを無視した洋風の自室に入り、ベッドの上に鞄を放り捨てながら忌々しげに舌打ちする。


「ちっ、新野の奴め……!」


 放課後も新野とやるつもりだったのに、昼休みが終わった時にはもう早退を決め込んでやがった。許されざる所業だった。

 これはもう、新野の方から明日もサンドバッグごっこをご所望していると解釈して構わないだろう。


「二日続けて舐めた真似しやがって……明日は絶対タダじゃ済まさ――」



「タダじゃ済まさないのは、こちらの台詞だ」



 自室の扉の向こうから、父――弘造こうぞうの声が聞こえ、成瀬は戦慄する。

 その声音には、いまだかつて感じたことがないほどの怒気が孕んでいた。

 そんな怒気とは裏腹に、自室の扉が静かに開く。

 スーツに身を包んだ父の佇まいもまた静謐としているが、その目には烈火の如き怒りが迸っていた。

 知らず、成瀬の背筋に冷たいものが伝っていく。


「いつも言っているだろう……」


 先以上に低く、重い声音を前に、成瀬はビクリと震え上がる。


「いきすぎたヤンチャをした場合はわかってるな?――と」

「い、いきすぎたヤンチャって……何の話だよ」

「懇意にさせていただいている取引先が、こんな動画がネット上にアップされていることを教えてくれてな」


 そう言って、弘造は懐から取り出したスマホを操作し、ツイッターにあげられた動画を見せつけてくる。


「……!?」


 動画を見て、成瀬は絶句してしまう。

 動画に映っていたのは、校舎裏で新野をイジメている、自分と加藤と広田の姿だった。リツイートの数はすでに四桁を超え、いいねの数に至っては五桁に届こうとしていた。


『ギャハハハハッ! 汚ぇな、おいッ!』


 間違いなく自分の笑い声なのに、どこの誰だよこのマヌケは――と本気で思ってしまう。


「それにしても、サンドバッグごっこか……そうだな。折角だ。この父が付き合ってやろう」

「へ?」


 間の抜けた声を漏らした瞬間、文字どおりの意味で首根っこを掴まれた成瀬は、自室から引きずり出されていく。


「い、いてぇ! 親父! 離せ!」


 と抗議をしてくる息子の首根っこを掴んだまま廊下を行き、家の中に設けられた、弘造が自己鍛錬に使っている道場に足を踏み入れる。

 そして、


「ふん!」


 腕力に物を言わせて、その中央に息子を放り捨てた。


「いってぇな! 何すんだ!」

「何もへったくれもない。そんなにサンドバッグごっこがしたいのなら、この父を相手にすればいいと言っているんだ。遠慮はいらん。かかって来い」


 再び、成瀬は絶句する。

 弘造はサンドバッグごっこをしてやるとは言っているが、新野と違って素直に殴られてくれるつもりはないことは火を見るよりも明らかだ。

 自然、体が震え上がり始める。


「どうした? 来ないなら、?」

「う、うわぁあああああああああああッ!!」


 破れかぶれになりながら、父親の顔面に目がけて全力で拳を振るう。が、


「!?」


 容易く掌で掴まれてしまい、さしもの成瀬も瞠目してしまう。


「遅い。にぶい。弱い。学校のボクシング部にろくに顔を出していない時点でわかりきっていたことが、お前の拳は自分よりも弱い人間しか殴れない粗悪品だな」

「だ、誰が自分よりも弱い人間しか殴れ――ぐぁああぁああぁああぁッ!?」


 掴まれた拳が万力のような力で握られ、苦悶の声を上げる。


「確か、新野くんと言っていたな。動画の中でお前がいたぶっていた彼は」

「い、いてぇえッ! 離しやがれッ!」


 空いた拳でパンチを繰り出すも、そちらもあっさりと掴まれてしまい、


「いぎぃいいぃいいいぃ……!」


 その拳さえも、万力じみた握力で締めつけられてしまう。


「新野くんは何発もお前の拳に耐えていたが、お前の方は、どれだけ俺の拳に耐えられるだろうな?」


 両拳が開放されたのも束の間、弘造の拳が鳩尾に突き刺さり、成瀬はくずおれる。


「う……げ……ぇえええぇええええぇ……!」


 そのあまりの威力に、成瀬は道場の畳に吐瀉物ゲロを撒き散らしながら、のたうち回った。


「一発も耐えられんか。惰弱な」

「っざけんな……! 俺の拳と……親父の拳じゃ……! 重さが全然違うだろうが……!」

「そうかもな。だが、お前はそれなりに腹筋を鍛えているが、新野くんはそういった手合いではあるまい。受ける衝撃は、おそらく今のお前とは比較にならんだろうな」


 言いながら、腕を組んで成瀬を見下ろす。

 さっさと立て。

 さっさとかかって来い。

 好きなだけ相手をしてやろう。

 底光りする双眸が、言葉よりも雄弁にそう告げていた。


(こ、殺される……!)


 心の底から父に恐怖した成瀬は、腹部を殴られたダメージがある程度回復するのを見計らってから立ち上がり、一目散に道場から逃げ出そうとする。が、


「げぅッ!?」


 あっさりと追いついた弘造に後ろ襟を掴まれ、再び道場の中央に放り捨てられてしまう。


「ぎゃッ!」


 情けない悲鳴を上げながら、成瀬は畳に突っ伏する。


(っざけんな……! マジで……!)


 筋骨隆々で自分よりも体が重いはずなのに、足の速さにおいてもまるで相手になっていない。

 成瀬と父親の差は、文字どおりの意味で大人と子供だった。


「こ、こんなのDVだ! ドメスティック・バイオレンスだ!」


 どうにか立ち上がり、今度は口先の勝負を挑む。だが、


「その通りだ。認めよう。ヤンチャでは済まされない愚行を犯した息子を躾けるには、こちらとてそれ相応の覚悟というものが必要だからな。訴えたければ、どこへなりとも訴えるがいい」


 その肉体よりも強固な意志を前に、口先ですらも勝負にならないことを悟ってしまう。


「クソ……クソがあぁああぁあぁあ――ッ!?」


 最早自棄やけになりながらも弘造に殴りかかるも、今度はカウンターで顔面を殴られてしまい、もんどり打って倒れ伏す。

 口腔を満たす鉄の味の中に異物が混じっていたので吐き出してみると、へし折れた奥歯が畳を転がっていった。


「ところで、動画では新野くんからカツアゲをしていたようだが、いったい今までいくら奪い取った?」

「……五〇〇〇円……くらいだと思――」

「次は一万用意しろと言っていた人間が、たったの五〇〇〇円か。嘘をつくにしても、もう少しマシなことは言えんのか?」


 言いながら、倒れたままになっていた成瀬を無理矢理起き上がらせると、


「がはッ!」


 今度は一本背負いで背中から畳に叩きつけた。


「そのままでいいから聞け、陸斗りくと


 ここに来てようやく名前で呼ばれたことに、言い知れぬ悪寒を覚える。


「突然だが、お前には海外に留学してもらう」

「なッ、なんでだよッ!?」

「お前、まさかあれだけのことをやらかしておいて、まだ学校にいられると思っているのか? いや、そもそも、俺が愛した母校に泥を塗っておきながら、まだこの家にいられると思っているのか?」


 目の前が、真っ暗になる。

 夢なら早く覚めてほしいと、心の底から願う。


「学校から退学を勧められる前に、こちらから留学の件を先方に伝える。そうすれば、体面上はお前の経歴に傷がつかずに済む。これは俺が父親としてお前にしてやれる、唯一の慈悲だと思え」

「な、なら! せめて日本の学校に転校――」

動画あんなものが出回っているのに、どこの学校がお前を受け入れてくれるというのだ?」


 正論を言われ、口ごもる。

 よくよく考えたら、学校が受け入れたとしても、校内に成瀬の居場所があるとは思えない。

 動画が海外にまで出回っていたら、留学先ですらも居場所がないかもしれない。


「さあ立て、陸斗。今日はお前の性根が少しでもマシになるよう、徹底的に叩き直してやる」

「ひ……ッ」


 その後二時間、道場から成瀬の悲鳴が止むことはなかった。

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