第14話 LINE

 放課後。

 珍しく成瀬がボクシング部に顔を出したおかげで、今日はこれ以上のイジメを受けることなく帰途につくことができた。

 加藤と広田という脅威がまだ残っているが、この二人は成瀬がいない時はまず手を出してくることがないので、そう警戒する必要はない。とはいえ油断は禁物なので、翔太はいつもどおり遠回りをしてハイツ百合園に帰った。


 アパートの部屋に入ると、着替えもそこそこに勉強机の上に置いていたスマホを確認する。が、海玲からは何のメッセージも届いておらず、ため息をついてしまう。


(夏木さんからのメッセージがないのは残念だけど……)


 スマホに取りつけているウサもんストラップを見て、翔太は頬を緩める。

 ウサもんのマスコットはプラスチック製で、こう言っては何だがチャチなつくりをしていた。

 けれど、海玲とお揃いの物をつけているという事実が、今日一日イジメで摩耗した心をみるみる癒していく。


「そうだ! 別に夏木さんからのメッセージがくるのを待たなくても、こっちから送れば!」


 そう思い、LINEを起動するも……悲しいかな。

 女の子と他愛ないやり取りをした経験が皆無だった翔太は、どういう話題を振ればいいのか皆目見当もつかず、スマホを持ったまま固まってしまう。


「ん~? んん~……?」


 と唸っていると、突然スマホが振動し、取り落としそうになる。

 まさかと思い、確認してみると、


『こういうの、聞いちゃっていいことなのかどうかわからないけど……新野くん。大丈夫だった?』


 という、海玲からのメッセージが届いていた。


 海玲は、翔太が学校でイジメられていることを知っている。

 そして、今日は月曜。学校に行かなければならない日だ。

 どうやら彼女は、デリケートな話だとわかっていてなお翔太のことが心配になり、このメッセージを送ってくれたのだ。


(夏木さん……)


 彼女の優しさが、心に染み入っていく。

 この思いをそのままに「ありがとう」と打とうとするも、


(いや、待てよ)


 さすがにその返しは、ちょっと意味深な気がしたので思いとどまる。

 見ようによっては、自殺を決意した人間が最後に触れた優しさに感謝しているように見えなくもない。

 普通ならばただの考えすぎで済ませられるが、自殺を本気で考えた人間同士のやり取りとしては、よろしくないように思えてならなかった。


(じゃあ「大丈夫だよ」……も微妙か)


 これはこれで、大丈夫じゃないのに無理をしている返答に見えて仕方なかった。

 海玲からのメッセージのおかげでもう本当に大丈夫なのだが、さすがにその文言まで添えて「大丈夫だよ」と送るのは気恥ずかしいものがある。

 というか、「夏木さんのおかげで大丈夫だよ」なんて送られても、向こうが困るだろう。


「ん~? んん~……?」


 と先程と同じように唸りながら悩んでいた翔太だったが、


「そうだ!」


 雷に打たれたように、唐突に海玲への返答を思いついた。

 しかしその思いつきは、海玲とのLINEのやり取りに舞い上がって、よくわからんテンションになっていたがために生まれたものであって、普段の翔太ならば思いついた瞬間に間違いなく穴に入る、ひどく小っ恥ずかしいものだった。

 そして、よくわからんテンションが絶賛継続中だった翔太は、羞恥の「し」の字すら脳裏にかすめることなく、その思いつきを実行に移してしまう。


「まずは……」


 言いながら上着の裾を捲り、腹に青痣がほとんど残っていないことを確認してから満足げに頷く。

 余談だが、青痣が残るような殴り方をしているのは成瀬ただ一人のみ。

 加藤と広田に関しては、怪我をさせて大事おおごとになることを恐れているのか、痣になるほどきつく殴ってくることはそうそうない。

 もっとも痣になりにくいというだけで、殴られて痛いことに変わりはないが。


 兎にも角にも、腹の青痣が土曜日に海玲に見せた時に比べて、はるかに薄く、少なくなっていることを確認した翔太は、あろうことかその腹をスマホのカメラで撮影する。

 画像を加工トリミングして体裁を整えると、「大丈夫だよ」というメッセージとともに腹の画像を海玲に送った。


「…………」


 送ってから、徐々に冷静さを取り戻してきた翔太は、我に返ったように顔を引きつらせる。

 よくわからんテンションになっていたとはいえ、腹の自撮り画像を異性に送るのは、我ながらキモかった。

 控えめに言ってキモかった。


(あぁあぁああぁぁああぁぁあぁあぁぁああぁあぁっ!!)


 頭を抱え、隣近所のご迷惑にならないよう心の中だけで絶叫する。

 すでにもうバッチリ既読がついていたせいで、その絶叫は最早断末魔じみていた。


(さすがにこれは引くよね!? 夏木さんでも引くよね!? ていうか人生初の自撮りがこれって、なんか哀しくなってきた!!)


 よし、画像を消そう――手遅れすぎることはあえて考えないようにしながら決心をしたその時、海玲からのメッセージが届く。

 恐る恐る内容を確認してみると、


『よかったぁ。ちなみにだけど、わたしも大丈夫……だよ』


 大丈夫の後の「……」がやけに意味深だったので、海玲の方こそ無理していないかと心配になるも、次の瞬間に送られてきた画像を見て、それが杞憂であることを知る。というか、杞憂がどうとか考えていた思考が吹っ飛んでしまう。

 なぜならその画像は、翔太と同じく、海玲のお腹――あくまでも腹じゃなくてお腹――を自撮りした画像だったから。


 土曜日とは違って真っ白になっているお腹を見て、翔太の頭も真っ白になる。

 しかし、本当に衝撃を受けたのはここからだった。


 半ば呆けながら海玲のお腹画像を眺めていた翔太は、捲り上げた上着と露わになっているお腹の間でチラ見えしている、彼女の肌よりも真白い布地の存在に気づいてしまう。


(え? これってまさか……ブラ……ッ!?)


 ただでさえ真っ白になっていた翔太の頭が、その目に映る布地以上に真っ白になる。その直後に、海玲から送られてきた画像が唐突に削除される。


 画像の保存をし忘れたと嘆く気持ちと、そんなことで嘆くのは海玲に失礼だという気持ちが束の間せめぎ合ったのは、ここだけの秘密にするとして。

 即座に削除したことを鑑みるに、海玲も真白い布地ブラジャーがチラ見えしていることに気づいたのは明白だった。


『今の見ちゃった!? もし見ちゃったんだったらすぐに忘れて! お願い!』


 続いて届いたメッセージだけで海玲の慌てっぷりを見て取った翔太は、今すぐ彼女と通話して色々と追及したい衝動に駆られるも、さすがにそれは可哀想だと思い、踏み止まる。

 そもそも、家に父親がいた場合、異性と電話していることがバレたら海玲がどんな目に遭わされるかわかったものではないので、なおさら踏み止まった。


(それより……この場合、どう返すのが正解なんだろう?)


 すでに既読がついているのに「見てない」は、さすがに通らない。

 見てしまったことを素直に伝え、謝るべきか。

 ブラジャーについては一切触れず、誤魔化すべきか。

 その二択しかない。


 普段ならば、後者を選んで有耶無耶にするところだが。

 海玲に対しては誠実でありたいと、いつかは海玲にふさわしい男になりたいと思っていた翔太は、覚悟を決めて前者を選ぶことにした。



 ◇ ◇ ◇



『ごめん、夏木さん。見ちゃいました』


 自分の部屋にいた海玲は、翔太から届いたメッセージを確認した瞬間、顔からベッドに倒れ込んだ。


「~~~~~~~~~~っ!!」


 羞恥のあまり声にならない悲鳴を上げる。

 悶えている間に、さらにメッセージが届いたので確認してみると、


『忘れるよう努力します』


 先程から翔太がなぜか敬語で返信しているところが余計に海玲の羞恥心を煽り、再び声にならない悲鳴を上げてしまう。


(どうしてわたし、あんな画像送っちゃったの――――――――――っ!!)


 今度は心の中で悲鳴を上げる。

 翔太のお腹の自撮り画像を見て、向こうもこちらのお腹の痣の具合を気にしているかもしれないと思ったという理由もあるが、それとは別に、一度自撮りというものをやってみたかったという好奇心が湧いてしまったのが運の尽きだった。

 わずかとはいえ、まさかブラジャーまで映っていたとは夢にも思わなかった。


 神無月高校の友達がこのことを聞いたら、「ちょっとブラチラしただけじゃん」とか言いそうだけど、海玲にとってはその〝ちょっと〟が大事おおごとだった。恥ずかしくて恥ずかしくてたまらなかった。


(でも……)


 羞恥の熱が引いていき、少しずつ冷静さを取り戻す中、海玲は思い、想う。

 誤魔化せばいいのにバカ正直に見てしまったと告白し、忘れるように努力すると返してきた翔太のことを。


(こういうところが……かな)


 翔太の、こういう優しさと誠実さに自分は惹かれたのだろうと思う。

 思ったからこそ、折角引いてきた熱がぶり返し、顔が真っ赤になってしまう。


 けれど。


 恥ずかしくて、顔が火照ってしまっても、翔太とのLINEのやり取りは楽しくて。結局海玲は、〝あの人〟が帰ってくるまでの間ずっと、翔太との〝お喋り〟を楽しんだ。

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