第18話

 王子の手を無言で引きながら、塀の上を走る。

 この塀の中は、水道管が入っているので、幅も高さもちょうどいい。ある程度走って適当な所で下に降りることにした。


「この辺りにしましょう」


 俺が立ち止まると、手を繋がれたまま走り続けた王子は、短い呼吸を繰り返しながら俺を見つめた。

 やっぱり、体力というより持久力の問題かもしれない。


「こ、ここは、どこなんだ?」


 ハァハァ言ってるが、顔はいつもの王子顔。額にうっすら汗をかいてはいるものの、イケメンだ。


「水道管の上を走っていただけですよ」


 水を流すのなら、上から下へ。動力を使わないで能率よく流すためと、下町に管理局員が入らないで済むように、水道管の上が歩けるようになっている。塀の中に入るには鍵がいるので、安全は確保されている。


「なるほど、ここを歩けば町中をくまなく歩けると言うことか」

「作るのは大変だったでしょうね」


 俺がそう言うと、王子は静かに目を伏せた。

 この偉業は、流行病を鎮めるために行われた公共事業で、一代の王だけでなく、何代か続いた事業になる。


「もう少し、管理をしないといけないのだな」

「先達の偉業にあぐらをかいたらダメってことですね」


 俺の言葉に王子が首を傾げる。

 うん、あぐらが、わからなかったか。


「足元を疎かにしたらダメだってことです」


 俺は王子の手を引いて飛び降りた。

 さすがに、王子は悲鳴こそ挙げなかったものの、一瞬顔をひきつらせる。

 さすがに着地の前に王子の腰に手をかけ、抱きとめた。


「着地が一番危ないんですよ」


 いとせず男の俺に抱きとめられて、王子は下から俺を睨みつけた。


「この体制でそんな顔されても、ね」


 俺はわざと抱きとめたままにしてやった。36歳のおっさんからしたら、王子はまだまだ子どもである。

 悔しがる王子の心の声が聞こえそうだが、そこはあえて無視をする。


「お怪我はありませんか?」

「言うに事欠いて、お前はっ」


 王子の頬が若干赤い気がしなくもないが、そこは無視。


「ちゃーんと、抱きとめましたよ」

「ーーーっ」


 王子は無言でスっと立った。


「親衛隊として、ちゃんとしてましたでしょ?」

「悪くない」


 憮然とした顔もなかなかですよ、王子。

 王子の前髪の乱れを直すと、王子と目が合った。


「本日も見目麗しいですよ」

「からかうな」


 王子に手を払われた。わざとらしく払われた手をさすると、王子は不意にそっぽを向いた。

 こーゆーの、慣れてないのね。

 俺は再び王子の手を取って、歩き出した。


「どこへ行く?」


 行き先を告げずに連れ回されるのが不満らしいが、立ち止まろうとはしないのが素直である。


「本日のメインです」


 俺は王子に手で指し示す。下町にある小さな教会を。





「善意で成り立っているものですから」


 神父が申し訳なさそうに教会の中を案内する。

 王子の知っている王立の教会とは全く違い、手入れが行き届いているだけの、古びた教会。

 子どもが数人庭先で遊んでいるのが見える。


「幾ばくか、おかせていただきたい」


 王子はそう言いながら、子どもたちの部屋を覗き見る。


「貴族の中には、慈善事業をしている者もいます。ほんの僅かですけどね」


 俺がそう言うと、王子は小さく頷いた。


「勉強が出来なかったから、字が読めなくてまともな職につけないってのもあります」

「そうだな」


 遅い時間だったので、神父と少し話をしただけで教会を後にした。子どもたたと遊べなかったのは名残惜しいが、それはまたの休みにするとしよう。


 土地勘がないせいか、王子は俺の後を素直に付いてくる。手をつなごうとしたら、手を叩かれた。

 そーゆー所は素直じゃない。

 ちょっと複雑なルートを通って、川に出た。


「行き止まりなのか?」


 王子は川を目の前に俺に聞いてきた。


「そうですね、ここに住む連中にとっては行き止まりです」


 俺は顎で上を示した。

 王子は俺が示す方向を見る。

 上の道には橋がかかっていた。


「あの橋は、上に住む人が使う橋。ここに住む連中は使えない」

「通行料はとってないだろう?」

「あの橋を使うには、一度登らないといけない」


 川沿いに道があり、その道は橋につながっている。が、俺たちのいる下町の道は橋に繋がっていない。


「そういう事か」


 王子は目を伏せた。

 上の道には街灯がある。しかし、ここにはない。


「だから、ここから上を眺めるんですよ」


 俺はそう言って、王子の腕を引く。軽く頭を抱えるようにして、見せたい方向に王子の顔を向けた。


「キラキラしてるでしょ?アレがあんたの住む場所」


 王宮は明かりに照らされて夜でも存在感をしめしていた。その光景は、ここから見るとひどく切ない。


「俺は田舎者だから、ここの連中の気持ちは何となくは分かります。毎日見えるのに、決して届かないんですよ」


 王子は不思議そうに俺の顔を見ていた。


「俺みたいに這い上がれるのは、奇跡なんです」


 王子は何も言わない。


「あんたの気まぐれで、俺はここにいるんですよ」


 俺かそう言うと、王子の目は少しだけ笑った気がした。

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