第16話
外宮殿と内宮殿を隔てる巨大な塀の上は、監視用の櫓にもなっていて、常に兵士が立っている。櫓と櫓を繋ぐ塀の上は、歩けるようになっているので、俺は一度だけ歩いたことがある。
が、王子の、執務室から見えたのだろう、一周しないうちに下ろされた。
全部回って内宮殿の概要を見たかったのに、残念なことである。サロンのある右翼棟は外宮殿に馬車を止め、令嬢の足でも歩いてい差し支えない距離感になっている。それを上から眺めたかったのだが、未だに出来ない。
散歩したいなぁ、なんて思いながら王子の執務室から外を眺めていたら、後ろから頭を小突かれた。
「何か面白いものでもあったか?」
王子付きの親衛隊隊長にあたるその人は、柔らかな笑みを浮かべてそういった。
要するに、俺が暇を持て余していると察したのだろう。俺は未だに王子の執務室に出入りする役人の顔と名前が一致していなかった。
なにしろ、前世の記憶にある会社組織と、ここの政治の組織がかなり違う。まあ、俺はしがないゲームライターではあったから、役所みたいなこの組織図が理解しずらかった。
とにかく、顔と名前と肩書きと、これだけでもしっかり覚えなくては王子の護衛が務まらない。というわけだ。
小腹がすいたので、ポケットからクッキーを取り出して食べた。
デリータのために作ったのをミリアが分けてくれたのだ。簡単な作りのクッキーは、素直に甘くて美味しい。一応、王子からは見えない角度で口に入れたつもりだったのだが、バレたらしい。
「何を食べた?」
書類越しに王子の、鋭い目線がやってきた。
カルメ焼きの一件いらい、王子は俺の食べ物に興味を持ちすぎる。素直に甘いものが好きだと言えばいいのに。
「この間の侍女からクッキーを、貰ったんです」
答えると、王子は明らかに寄越せ。という目をした。無言の睨み合いをしていると、隊長につつかれたので仕方なく王子の前に立つ。
「甘いものは脳へのご褒美なんですよ」
ペンを握りしめたままの王子の口に の前にクッキーを差し出す。
こころなしキラキラした目をした王子は、素直に口を開けてクッキーを食べた。
なんか、かわいい。
咀嚼して飲み込むと、また、口を開けた。
餌付けかよ。
そう思っただけで口にはしないが、残りのクッキーも全て王子の、口の中に消えていった。
もぐもぐと、口を動かす様子はとても良く、しつけられた大型犬の様で、キラキラした金髪が咀嚼に合わせて揺れている。少し薄目の唇はしっかりと閉じ、口の端にクッキーのクズが付いているのが見えた。
食べ終わったらしいので、俺は指で王子の口の端を拭いてやった。
そのまま、指に付いたクッキーのクズを舐めると、一瞬王子をみて、そのまま振り返って元の位置に戻った。
この短時間の王子の表情の移り変わりは、令嬢たちには見せられないものである。
普段の人形のようにみえる無表情と違い、どうしようもないぐらいに緩んだ頬は、思わず指でつつきたくなるし、口の端に、クッキーのカスがついているのも愛らしくていい。
俺だけが見られる王子の脱力顔なので、他の親衛隊にも見えないように立ち位置に気を使うのが難点だ。
俺が立ち去るのに合わせて、他のやつがトレイにお茶を乗せてきた。
俺以外、とても気のつく親衛隊なのである。
王子が書類を処理していく。
パソコンで事務処理をしていた前世と比べても、王子の、事務処理能力は高いと思う。
修正液がないから、書き損じは許されない。そんなことさえ、プレッシャーになってはいないらしい。
きれいな字、しかも早い。秘書課を卒業した子よりすごいと思う。
王子の仕事っぷりをひたすら眺めていると、ピタリと王子の手が止まった。
「おい」
王子らしからぬ物言いだ。
「なんでしょう?」
俺は努めて笑顔を向ける。
「甘いものは無いのか?」
「ありますよ」
この間手に入れた金平糖を取り出した。
「なんだこれは?」
「金平糖です。簡単に言えば、砂糖です」
小さな星の塊を王子の、口に放り込んだ。
「うん」
嫌いじゃなかったらしい。
王子の口の端が僅かに上がる。破顔とまではいかないが、ほんの少し口角が上がるのがまたいい。
そんな顔を見せられたら、令嬢たちは卒倒するだろうな。なんて、思いつつも、この笑顔は俺だけのもの。って、かなり優越感に浸る。
かわいい。
「気に入って頂けましたか?」
「悪くないな」
本当は嬉しいくせに、王子はツンデレだ。
「また、買ってきますね」
「俺も行く」
即答だった。
「へ?」
「俺も行くぞ。市井の視察は重要だからな」
王子が割とデカめの声でそう言うと、隊長が慌ただしく王子の、スケジュールを、確認するのだった。
えーっと、俺、いつの間に王子ルートに入ったのかな?
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