パシェニャ ep. 0.5
古歌良街
第1話 銃とチェスとぷよぷよ
人間のシルエットを模したターゲットが現れる。パシェニャはターゲットが現れてから0.5秒でホルスターからリボルバーを抜きざま撃鉄を起こし、0.6秒目で構え、1.0秒目で発射した。
パン! という乾いた破裂音とともにターゲットの中央に穴が開く。再び撃鉄を起こして、発射。さらにもう三発。ターゲットの中央の穴が広がった。続けての最後の一発は、ターゲットの頭部の中央に命中した。
リボルバーに弾丸を装填しなおし、三回転させ、ホルスターにしまう。
「今日も今日とて拳銃の稽古か……」
「最初はやる気満々だったように思えるのだがな」
「さすがに毎日カレーだと飽きるでしょ。それと同じよ」
彼女の名はピチカータ・ミハイロヴナ・マノヴィチ。愛称パシェニャ。クリーム色のロングヘアは視界を塞がないようにツインテールにされている。
サモルグ(注・Some Organizations という組織の略。複数形である)の射撃訓練場は地下にあり、サモルグの関係者以外はまず入ることができない。
「メニューを変えて座学にするかね? パッチーくん」
男――教官は嫌味のように言ったが、
「パッチーとか言うな……でも、そうしたい」
パシェニャは本当に銃に飽きてきていた。座学――退屈なテーブルマナーから外国語、苦手な経済や科学やチェスまで――も、暗殺者にはなぜか必要らしいのだ。拳銃に飽きてきたパシェニャは本気でチェスをやりたいと思っていた。
「マクドナルドは今日は休みだ」
「じゃあチェスとかテトリスは無理か」
デイヴィス・マクドナルド先生はチェスと東洋の将棋と麻雀とテトリスとマリオカートとぷよぷよの専門家で、サモルグに所属していた。
拳銃の教官はチェスのルールは知っているものの、人に教えるほどの腕前はなかった。
「しかし……お前はすごいな」
「主にどのへんが?」
「一週間でターゲットの中央を連射で射抜くなんて、ほとんど不可能ごとだぞ。この私もそこまで百発百中ではない」
「そう? レーザーサイトがあるんだから誰でもできそうに思えるけど」
へへーん、褒められた! 嬉しさを隠せないのをパシェニャは自覚した。しかし、教官に単におだてられているだけかもしれないとは思った。
「だが、あまり調子に乗るのは、えっと――まあいい。優秀なのはもちろんいいことだ」
「じゃあ、拳銃はもういいから……次の銃ってことにできない?」
「できる。スナイパーライフルが用意されている」
「イイわね! ゴルゴの領域ね!」
パシェニャは待ってましたとばかりの心境になった。
「だが先ずは銃の解体と解体後の組み立てからだ」
「ですよね……」
「完璧にできるようになるまで最低八時間はかかるぞ。長い例では三週間以上かかったやつもいる」
「ノイローゼになったらどうなるの?」
「暖かくして寝てれば治る」
パシェニャは四週間かけてスナイパーライフルの解体および組み立てができるようになった。それは、神経の疲れる、複雑な作業だった。銃身が一・七メートルになるスナイパーライフルが、分解すれば手さげカバンに入るようになる。ちなみに、サビ止めのグリスまみれになった指のにおいはなかなか面倒だった。
銃のことでノイローゼ気味のときは、マクドナルド先生とチェスやテトリスの対戦をしてしのいだ。テトリスが心的外傷後ストレス症候群をやわらげる、といわれているが、パシェニャは実際にそれを体感することになった。
しかしチェスのときには――
「またわしの勝ちだ。パッチー、君はまだ気づかないのか?」
マクドナルド先生はそう言ってため息をついた。
「ちょっと待って! 助け舟は無用! 自力で勝つ! ヒントなんか出されたら本当の負けになるじゃない!」
「ではもうひと勝負」
先手、マクドナルド先生はポーンを登らせた。
「…………」
パシェニャは一手目から長考に入った。一〇分後――
「気づいた! これ何? バカにしてたってわけ?」
パシェニャも的確なポーンを上げた。
マクドナルド先生はもう一個のポーンを登らせ、パシェニャの次の手でチェックメイト、パシェニャの勝ちが決まった。八〇敗後の一勝だった。
「『フールズメイト(バカ詰め)』だ。おめでとう」
「ちっとも嬉しくない! もしかして、いままでずっとこれをやってたの?」
「ずっとじゃあない。二〇回に一回くらい、だな」
「悔しい、悔しい悔しい悔しい悔しい!」
「悔しいと思うことは大切だ。この類のゲームではな」
「自分がバカだから負けた、って気になるわね。まあ、そのとおりなんだろうけどさー」
「チェスのルールを知ってるだけ、の程度から、この短時間でここまで気付ければたいしたもんだよ」
「次は手抜きしないでね」
「そう、わしを超えるくらいに頑張ることだ。わしのチェスに手抜きなんていう『間違ったマナー』はもうなくなるぞ」
マクドナルド先生はその後、チェスでも東洋の将棋でも麻雀でもテトリスでもぷよぷよでも、一回もパシェニャに負けなかった。しかしパシェニャは強くなっていった。しいて、なぜ強くなったのかといえば、見よう見まねで成長したのだ。
さて、パシェニャは続いてスナイパーライフルでの狙撃訓練に入ることになった。カバンを開け、部品を三〇秒で組み上げた。
「銃座の固定は――」
「こうでしょう?」
反動軽減用銃座を一〇秒で用意し、続けざまに一キロメートル先のターゲットを狙う。
命中した。
素早くリロードし、もう一発。命中。もう一発、ターゲットのほぼ中央に命中。
「なぜ……?」
教官は唖然とした。
「何が?」
パシェニャは褒め言葉を待った。
教官は咳払いをし、
「もう教えることは何もないかもしれない」
「それは助かるわ。仕事ができるわけよね! 初任給で焼き肉食べ放題ね!」
「だが今日ここで私とはお別れだ。こっちも忙しくなってきてな。きみの銃の腕は本物だ。鍛錬を怠るなよ。そして、あと二ヶ月くらいでチームに参加してもらうことになる」
「二ヶ月? その間、何をして過ごせばいいの?」
「マクドナルドが相手してくれるだろう」
「じゃあ、マクドナルドにカードチートでもおそわりまくるわね!」
「そうだな。チームの二人はあらゆるカードチートを知っているからそれには覚悟が要るぞ」
「望むところだわ」
こうして銃の申し子ピチカータ・ミハイロヴナ・マノヴィチ『パシェニャ・マノビッチの冒険』は始まった。
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