第一部 第三章 来襲
第三章 第1話 カーシナラの街
僕らの住んでるカーシナラの街はカーシナラ神殿の門前町だ。
世界の中央に聳え立ち、その雪に覆われた白い峰々は天を支えていると言われる神峰ヒムロ大山脈。その南麓の東寄りに位置するマチュラ王国の西部にある街で、古い歴史と格式のある神殿都市である。
ブッダ様が昼寝をされた聖なる樫の木の生えてた跡地に建立された、という伝説のあるカーシナラ神殿にはお貴族様から庶民まで国中から参拝者が集まり、地方の割にはそれなりに賑わっている町らしい。
神殿町なのでお貴族様の領地ではなく、行政は神殿長と町の有力者たちによる合議制で成り立ってるそうだ。
神殿敷地はぐるりと古い石積みの壁で囲まれていて、南北に長い楕円形をしてる。なんでそんな形なのかと言うと、神殿の北側に小高い丘があり、その丘を神殿ごと一緒に壁で囲んでいるからだ。
聞いた話だと、そもそもこの丘を守るための石積みの壁が昔からあり、後世になってその入り口に神殿が立てられ、壁が拡張されたのだとか。
後に神殿の参拝者が泊まるための宿場町が神殿の南側を通る街道沿いに広がり、やがてその周囲に居住地も増えて現在のカーシナラの町が出来あがったそうだ。
千年ほど前の末法期の始まり頃に外敵への備えとして、街と神殿を囲む立派な城壁が初代マチュラ王からの寄進で作られた。
ただし、御神体の丘の周辺にまで居住地や農地が広がるのをマチュラ王が禁じたため、神殿敷地の南半分は城壁の内側にあるが、丘を囲む壁だけは町の四角い城壁の北辺からポツンと外に飛び出していて、その周囲は広葉樹の森に囲まれている。
今は秋で、森の紅葉がとても綺麗だ。
「それで御師匠様、聖なる樫の木はどこにあるんですか?」
ブッダ様のお昼寝された木を僕も見てみたいよ。
「聖なる樫の木の跡地に神殿を建てたと話したであろ。今ではもう残ってないんじゃ。それに大昔はこの辺り一面樫の森だったそうじゃから、どれがブッダ様が昼寝をなされた木かなんて、神殿を建てた当時の人にもわからんかったろのう」
とダーバ御師匠様が白い髭を撫でながら言う。
「それにの、ブッダ様が昼寝をなされたかどうかも定かではないわ。ブッダ様は修行の旅の途中でこの丘に立ち寄りなされたのは確かじゃ。
それを記念して後に神殿が立てられたのじゃが、大方、樫の森を切り拓き神殿の建築に当たった職人たちが、休憩の時に樫の木陰で寝転がりながら、ブッダ様もここで昼寝をしたに違いないとか話しておったのが、そのままブッダ様の伝説に付け加えられたんじゃろな」
「えーっ、そうなんですか?」
「確かなことはわからないよ。何しろ伝説にある六代目ブッダ様が、ここを訪れになったのは二千年以上前のことだからね」
一緒に御師匠様の話を聞いていた筆頭従者のトンボさんが付け加えた。長く神殿にお勤めしてるだけあって物知りだ。
「それに、神殿が丘を御神体として抱え込んでしまってから、外部の者が直接丘に触れることは出来なくなったからね。参拝者の呼び込みのためにも、余計にブッダ様がお昼寝された伝説が喧伝されたのじゃないかな?」
なんかがっかりである。
「残念そうじゃな、ダルタよ。ブッダ様がお昼寝なされた木は残っておらんが、御神体の丘にブッダ様が訪れて、丘の上で瞑想なされたというのは本当じゃ。実は今でも丘の中で瞑想しておられるという伝説も残っておるし、転輪王がこの町に訪れたこともある。何かと由緒のある神殿なのじゃよ、ここは」
「転輪王ってなんでしたっけ?」
「転輪王とはね、世界を統べる偉大な王のことさ。そういえば町の城壁を寄進された初代マチュラ王は転輪王だったと言われてますね、ダーバ様」
世界を統べる王だって。なんかカッコいいね!
「うむ、今から千年ほど前の時代じゃったが、当時は世の中が乱れた戦乱の時代での、六代目ブッダ様が御降臨されてより既に千年が過ぎ去っており、ブッダ様の教えを忘れた者たちで世の中が溢れ返った末法の世と言われておったのじゃ。
その時に周囲の戦乱を鎮めてマチュラ王国を打ち建てなされた初代マチュラ王は、転輪王の再来よと持て囃されたのよ。大変に力のある王で、周辺の大国の干渉を抑え、神峰ヒムロ山脈南側一帯を平定し、大マチュラ王国を建国なされたのじゃ。その時にこのカーシナラの町に城壁をお造りくださったのじゃな」
「古の大マチュラ王国も、その後、数度の戦乱を経て、現在では領土が往時の半分になってしまいましたけどね」
「栄枯盛衰よの。未だこの世は、七代目ブッダ様の御降臨のない末法の世のままであるしの」
栄枯盛衰かぁ、諸行無常だねえ。
僕が神殿のラハン見習いになってから五年が過ぎ、僕は今年の夏で十五歳になった。ラハンとは神殿の警護のために武術の修練を積んでいる神官のことね。
僕の御師匠様のダーバ様のようなベテランの神官は、専用の住居房と従者を神殿から与えられていて、後進の指導と育成に当っている。
僕も七歳の神殿参りの折に、ダーバ様に〈再生〉の
誰にも内緒なんだけど実は僕は前世の記憶持ちで、転生時にあの世でガラポンで大当たりを引いて〈再生〉の
ちなみに前世は犬です。わんわん。知識チートとかは……無理でした。
僕が神殿入りしたばかりの頃は他にも先輩従者がいたんだけれど、セトさんは僕が見習いになった翌年には還俗して家業の農家を継ぐために神殿を去り、マリガさんも二年前には、親御さんの反対を押しきって王都の大神殿に転属してしまった。研究の道を邁進するらしい。
ダーバ御師匠様の筆頭従者であるトンボさんは、早く結婚したいと頻りに零しているけど、残念ながらまだ結婚できてない。年齢は……知らない。
「御師匠様、誰か良いお嬢さんをご存知ありませんか? 私もそろそろ結婚したいんですが」
「ワシは、其方とマリガとならお似合いだと思っておったのだが、せっかく同僚として勤めておったのになぜ申し込まなかったんじゃ?」
「マリガさんは研究のことしか頭に無くて、僕が話しかけても、色良い返事なんかありませんでしたよ。それに男爵様のお嬢様でしたからね。身分が違うと色々と難しいですし、何処かの商家のお嬢さんとかの方が嬉しいんですが」
「そうは言ってもワシも神官仲間以外での付き合いはそう多くないからの」
「私も神殿勤めですから出会いが少ないんです。どうかお心当たりに声をかけてはもらえませんか?」
「いや、其方ももうちょっと積極的にだな――」
会話を続ける二人は置いといて――さあ、そろそろ夕方のお勤めの時間だよな。天気も良くて秋風が気持ちいいから庭に出ようかな。
いつものように頭上でふよふよと泳いでいる黄色い金魚のトゥルパをお供に、廻廊を通って御神体の丘が見える裏庭に出た。
トゥルパというのは自分のオドを分け与えて作り出す一種の使い魔のことね。ラハンの職務にはトゥルパの育成が必須なんだ。
裏庭から見える丘の周囲の木々は、青々とした葉の落ちることのない樫の森だが、所々に楓も生えていて、赤く紅葉していて目に鮮やかだ。丘の上には灌木が繁り、あまり背の高い木はない。
その丘の上空、遥か彼方には神峰ヒムロ大山脈の白い峰々がうっすらと見える。神々の山から冷たい風が吹くようになれば冬だ。
冬が過ぎれば妹のアマリも七歳になる。もう神殿参りの年齢になるんだなぁ。
この町の子供は数え年で七歳になった年の暮れになると、無事の成長をブッダ様に感謝するため、両親と揃って神殿にお参りをすることになっている。小さな子供が何事もなく健やかに七歳まで育つことはとても目出度いことなんだ。
なにかお祝いを考えておかなくっちゃなぁ。だってお僕はお兄ちゃんなんだから。
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