第1話 真似て、誘って、愛する


ボクは彦作じいちゃんの山小屋で暮らしている。

とうさんのとうさんである彦作じいちゃんはヒグマ猟師、つまりオヤジ撃ちだ。


ふだんじいちゃんは炭を作って暮らしている。

時々、オヤジを撃ちにヤマに出かける。

でも、じいちゃんの口から「オヤジを撃つ」とか「倒す」とか「猟」とか「狩り」という言葉はぜんぜん聞いたことがない。

そのかわり、「ヤマに入る」とか「おがみに登る」とか「あいさつに行ってくる」という言い方をする。


彦作じいちゃんに聞いたことがある。


「どうやってオヤジを倒すの?」

「真似て、誘って、愛する」

「なにそれ」

「よし、比呂、今度でかいやつにあいさつに行くか」


うちにはじいちゃんが作ったサウナがあって、ヤマに入るのが近くなるとじいちゃんはそのサウナにこもる。

ほとんど一日中、サウナで過ごす。

ご飯も寝るのもサウナで、便所のときだけは出てきて済ませる。

それ以外は、ヤマに入る前の二、三日間、ほとんどの時間をサウナにこもってしまう。

じいちゃんのサウナは熱すぎずちょうどいい温度でとても過ごしやすい。

その中ですっぽんぽんの裸になってシラカバの枝を束ねたもので身体をこすったり叩いたりし続ける。

夜はサウナの中に敷き詰めたシラカバの皮や葉の布団で寝る。

だからシラカバのいい香りが肌に染み込む。

こうしてじいちゃんは人の匂いを消す。

シラカバの匂いがオヤジを誘うのだそうだ。


今回はいつもの倍以上の一週間をボクとサウナで過ごした。

ボクをヤマに連れて行くためだ。

「こどもは人の匂いが濃い」から、「人の匂い、とくにこどもの匂いを感じるとオヤジは近づいてこない」からだそうだ。

シラカバは一週間かけてボクの全身の毛穴から「こどもの悪臭」を流し出し消毒した。


「ヤマに入るときは、人としてのすべての感覚を働かせろ。目で触れ、耳で匂いを嗅げ、手で見るんだ。いのち総動員で頭と身体と筋肉をとことん緊張させろ。ヤマをタマシイと肉で感じなければヤマに負けるぞ」

「勝ち負けがあるの?」

「ああ、ヤマの精霊は油断ならんからな」

「精霊って?」

「ヤマのそこら中にいる」

「何者?」

「お前の小指のような、そんな小さいのから、オヤジの何倍もあるバカでかいやつや、若い女や婆さんや仙人の姿をしたのもいる。だが、やつらが誰なのかは、わしの親父もとうとう教えてくれなかった。おそらく精霊のやつらが、わしらが知りすぎることを望んではいないからなのだ」

「精霊は人の味方?」

「精霊は人を甘やかす。だから人は精霊に心を許し精霊こそが自分の味方だと信じる。だが、奴らは人をだます。からかい、惑わし、もてあそび、殺すこともある」

「神様とどっちが強い?」

「神は正直だ。嘘がない。嘘がない分、ごまかしがまったくきかない。激烈にまっすぐだ。だから神は怖い。精霊はずるくて賢いが、そのぶん神のような怖さはない」

「ヤマで精霊に出くわしたらどうすればいい?」

「オヤジを呼べ。邪悪な精霊を追い払えるのはオヤジだけだ。精霊もオヤジにだけは震え上がって敬意を払う」

「さすが、てっぺんの神様だね」

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