第三話「空中文字」


紅葉は額に人差し指を当てて頭を巡らせ、目が覚める前にあった事柄を思い出そうとする。が、どうにも上手くいかない。それは先程までの記憶だけではない。物の名前などはわかるが、目覚めた時より前の、あらゆる自身に関しての記憶が思い出せないのである。


そこで紅葉は目をやり自身の服装、瑠璃のものとは違う緑色のセーラーブレザーを見る。紅葉には見覚えのない制服だ。しかし、それは自身の身体に実に馴染なじんでいる。だが、なぜ自分がそれを着ているのかがわからない。


(確か、海軍ではないんだけど……)


自身が何処に所属していたのかがわからない。正確には自身について以外の事柄は覚えているが、自身についての事柄だけは何も思い出せない。


その事実に考えを巡らし、記憶を遡ろうとすればする程、その可能性は強くなる。

そして、その逡巡しゅんじゅんの末に至った結論が紅葉の口から自然に零れ出す。

そう、それは……。


「記憶、喪失……?」


不思議とそれに絶望感の様なものは無いが、それでも内心は動揺しているらしい。

[理性値判定-1D2/-1D5、下方、1D2ロール、結果1、理性値1喪失]。瑠璃もその紅葉の様子を見て取ったのか、少し心配そうに紅葉の顔を覗き込む。


「え、記憶喪失、ですか? 大丈夫なんですかそれ? 自分の名前とか言えます?」

「私の、名前……?」


(思い出せない。なんだっけ……)


そこでふと紅葉は自分の頭上、目線より少し上の場所に何かがちらついている事に気付く。目の端に移る、パソコンのウィンドウに似た何か。それは紅葉が意識すればする程鮮明になり、明確な何かを映し出していく。


やがて、風祭紅葉はそれを見上げ……それが何かの文章である事に気が付いた。


[やがて、風祭紅葉はそれを見上げ……それが何かの文章である事に気が付いた。]


「かざまつり、くれは?」

(なにこの文章? でもこの文章の流れからして、これって私の名前だよね?)


中空には自分の事を指示していると思われる謎の文章。

そこに書かれている文章はその文法も文字の形態もわからないはずなのに、なぜか紅葉にはそこに何が書いてあるのかが理解出来た。


「風祭紅葉? ……名前は覚えてる感じなんですか?」

「いや、覚えてない。でもたぶんそれが私の名前だと思う」

「? なんか曖昧ですね。まぁいいですけど」


その紅葉の曖昧ながらも鮮明な答えに青髪の猫耳少女、御砥鉈瑠璃は不思議そうに首を傾げながら紅葉の顔を覗き込む。


[その紅葉の曖昧ながらも鮮明な答えに青髪の猫耳少女、御砥鉈瑠璃は不思議そうに首を傾げながら紅葉の顔を覗き込む。]


(? 御砥鉈瑠璃? もしかして)


「えっと、貴女の名前は御砥鉈瑠璃であってる?」

「!?」


瑠璃は少し目を見開いた後に一瞬目を逸らし、逡巡してから返答する。


「……合ってますけど、私名乗りましたっけ?」


紅葉は瑠璃に名乗られた覚えはない。しかし、上空の文章にはそう書いてあり、そしてそれはどうやら正しいらしい事が伺えた。


「いや、ここになんかパソコンのウィンドウみたいなのが……」

「?」


紅葉は中空に浮かぶ文章を指さす。しかし、それに対する瑠璃の答えは紅葉にとっては意外な物だった。


「何も無いと思うんですけど……」


瑠璃はしばらく紅葉の指差した先を見つめた後にいぶかしむ様に紅葉にそう答える。


(見えてない?)


紅葉のこめかみにうっすらと汗が滴る。


「あの、もしかしてほんとにどこか頭がおかしくなったんですか?」


そんな紅葉に瑠璃は少し心配そうにしながら、頭を軽くごつんとぶつけて擦り寄る。言っている内容そのものは失礼極まりないが猫なりのコミュニケーションだろう。


それに対して「いや、そんなはずは……」と言いかけたところで紅葉の言葉がよどむ。


「……ないとも言い切れない」

「マジですか」

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