天が割れても

不璽王

第1話

 いつの時代のどんなところにも業突く張りな奴というのはいるもんでして、今話題のところで言うと元日産のゴーンて人は……あ、古い? まぁそこは堪忍してもらって、えぇと、彼はお金を沢山貰っててすごいって話でしたよね。これが本当のゴーンつくばり、なんつって。えー。……はい。


 さてこちらの長屋には歳若い姉妹が住んでおりまして、ご近所では二人ともたいそう美人だと評判だった。しかしその姉の方、これが稀代の強欲でして、美人は美人で有名なんですが、それより欲深女としての名の方がもっと通っていた。もう欲しいもの全部手に入れないと堪らない性分で、何か一個でも手に入らないとなるとわめく、暴れる、策を練ると、それはすごい騒動になるんですな。「あ、あたし水飴が欲しいわ。なに、売り切れですってふざけないでくれませんこと? 今すぐ用意しないととんでもないことになるってわかってますの? あら、急に青くなってどうしましたの? 失くした指でも疼きまして? あぁそうそう、あるのでしたら大人しく最初から出せばよろしいのに。何、あなたの鼻垂れ坊主のおやつに取っておいたですって? それは残念でしたわね、まぁあたしの知った事ではございませんけど」とまぁ、こういう感じですな。まず脅す。次に暴れる。それでもダメなら倫理観のかけらも無い搦手を使い始めて諦めることを知らないってんで、辺りではかなり恐れられてました。


 とはいえ、こんな姉でも良いところがありましてね。稀代の強欲と言いましたけれども、稀代の妹思いでもあったんです。もうこれは溺愛と言っても良いくらいで、ある朝なんて「あらかわいい妹や、どこにお出掛けになるの? 今朝は冷え込みましてよ、あたしのかーでがんを羽織っておいき。それで、行き先はどちら? お友達と神社? 確かあの辺りは、最近野犬が多いと聞きましたわね。少しお待ちなすって、あたしが木刀担いでついていってあげましてよ。遠慮はいりませんわ、うふふ。恥ずかしいことなんてありませんわ、うふふ。お友達に気まずい思いなんてさせませんわよ。何をそんな強情に嫌がって、あたしがついていくのがそんなに嫌でして? あら、恥ずかしいだけですの? 少しくらい我慢なさい。でも、そんな恥ずかしがり屋なところもかわいいですわ!」なんて具合ですね。妹のしたいことは全部させる、でもそれで妹が危険な目に合うことは万が一にもあってはいけないという過保護ぶり。先程は美点と言いましたが、行き過ぎると妹本人も周囲の人間も迷惑を被りますから、これまたたまったもんじゃありませんな。


 ある時、長屋で妹が愚痴をこぼしましてね。「ねえ姉さん、わたくし明日の長距離走が憂鬱だわ」これは私なんかだと、ははーん、大抵の女学生がかかりがちな他愛ないメランコリィだな、なんて思うんですが、姉は違うんですな。そんな妹の愚痴を聞いた途端に鬼のような電話攻撃を始めましてね。妹の担任から学校の校長理事長市の教育委員会に県の教育委員会文部科学省の担当窓口を通して事務局長まで話を通して果ては文部科学大臣と、たったの二時間でエスカレートすることといったら他に類を見ません。なんで大臣まで電話が回ったんでしょう。不思議ですね。たかが長距離走のことでこんな抗議のスケールは考えられないと私なんかは思うんですが、姉にとっては至極当然の行いなんですな。この姉以外にこれほどの気性を持ってる女、私は寡聞にして知りません。


 ところがどっこい。というか、まぁ当たり前なんですが、姉が何処に電話をかけても返答は一様に「えー、個人の気分を理由にカリキュラムの変更は行えなませんので、妹さんのことはお気の毒ですが……」と、これ一辺倒です。さしもの姉も万策尽きたように、だんだん静かになっていきました。


 さてその日の未明。電話ですげなくされて早い時間に寝入った姉は、暗い内に起き出したかと思うと何やらガサガサとやりはじめました。妹が物音に目を覚まし、寝ぼけ眼に布団の中から姉に問いかけます。「姉さん、何をしているの?」すると「まだ夜中だからお眠りになって」と疑問に答えてくれません。こういう時の姉は強情ですから、妹も諦めて寝直しました。あぁいや、こういう時の姉に限らず、デフォルトの状態が強情でしたね、失礼いたしました。妹はなんせ生まれた時から姉と付き合っとりますから、性分をよーく理解しとるんですな。


 それで翌朝どうなったかというと、学校に脅迫状がEメールで届いてまして、体育の授業を中止せねばなるぞ、と書いてあるんですな。「ふーむ。よく分からないが物騒なことが書いてあるな」と読んだ教員が思った途端、校庭で和太鼓を何十倍にもしたようなという音が響きました。慌てて見に行ってみると、土が丸くえぐれて焼け焦げたような跡と、焼肉のような匂いだけ残っていた、とこういうわけです。これはもう、昨日の電話で散々悩まされたわけですから学校の関係者全員が犯人に見当がついとります。かと言って、危険を押して長距離走を敢行するわけにもいきません。犯人に目星がついとっても、証拠もなしに捕らえるわけにはいかんのです。それに、中止にしなかった場合は犯人と噂されとる人が怒鳴り込んできて「安全管理について学校はどうお考えですの、納得できる返答がないようでしたらこんなところに妹を預けるわけにはいきませんことよ、それと精神的苦痛に対する賠償を要求しなければなりませんわ」とかなんとかと難癖付けてくるのは想像に難くないんですな。アァ面倒くさい、というのが学校の本音な訳です。こうなりゃ長距離走は中止した方がよっぽど楽だ。あとは警察に任せてしまおう。


 そういう経緯があって、妹がえっちらおっちら登校する頃には学内のそこかしこにパトカーやら爆発物処理の特殊車両やらが停まって物々しい雰囲気になっとったんですな。(あぁ、なるほど)と妹は思うわけです。(姉さんが深夜にこっそり作業していたのはこのためだったんだわ。ほら、朝礼で先生も体育の中止と午後の休校をお知らせしてくださった。あぁ、よかった。姉さんの身柄は心配だけれども、長距離走なんて本当に嫌だもの。わたくし、きっと辛いのや厳しいのに対する耐性が人よりないのだわ。姉さんが過保護なせいかしら。長距離なんか走ってしまったら、多分、こんな……今襲ってきたようなめまいでは、済まないくらいに……気分が悪くなるのだわ。はわわわわ……)


 あらら、妹が学校で倒れてしまいました。これは大変なことになります。なにが大変って、妹の健康面よりもなによりも姉の動向が大変です。担任は倒れた妹を保健室で寝かせてから姉に連絡するのですが、この電話の気が重いことといったら。ご家族の体調不良を知らせるだけなのに胃がキリキリ痛み出して、体調不良者がもう一人増えそうな勢いです。それでも気合を入れて電話をかけますと、予想通りの調子です。「それで、救急車は呼ばれましたの? まだ? なぜ呼びませんの。その初動の遅れで妹の命に危険が迫ったり障害が残ったら、あなたどう責任を取るおつもりですの。貧血と仰いますけどその判断は誰がなさったの。信頼に足る人物の診断ですか。は? 救急隊員の方が待機していらっしゃるの? 何故? 爆破予告? そんな危険な場所に妹を置いておきながらあたしに安心しろなんて仰ってますの?!」などなど、自分で爆破予告しておきながら面の皮が厚いですな。そうやってケータイで厳しい言葉を交わしながらも、姉は急いで学校に向かいます。玄関で出迎えた担任に保健室まで案内させながら、ネチネチネチネチと歌でも歌いそうな勢いで担任をいじめ続けました。途中で行き違った、捜査中の警官にじっ……と睨まれても知らん顔。実に羨ましい神経です。それでようやくこう、ガラガラと保健室の扉を開けますとですね、ベッドに妹が寝ておりまして。



 その枕元に、不気味な雰囲気の女が、ボゥ……と、立っておったのです。



 保険の先生? 姉はそう思います。しかし違うようだ。保険の先生は姉の後ろからトタタタとスリッパの足音を響かせてトイレから戻ってきたところです。付き添いの保健係? それも違う。だってどう見ても学生には見えない。じゃあ何に見えるかというと、これがなんと、死神にしか見えんのです。いや、見た目は普通の女性です。ちょっと姉に似た変人の雰囲気は感じさせますが、街を歩いている所をすれ違っても、恐らくみなさんなーんにも違和感を覚えないでしょう。しかしそこ、その場その時そのケースでは、目を擦ってじっくり見直したり、二度見、三度見をしてもやっぱり死神にしか見えてこない。ドクロの頭じゃないし黒いローブも着てないし鎌も持ってないのにです。不思議なこともあるもんですな。


 しかし、この女性が死神となると、これは姉にとって人生初めての一大事です。(彼女が死神だったら、誰かの魂をとりにきたはずだわ。その誰かって、ひょっとしなくてもあたしのかわいい妹でして? あたしの一番大事な妹が死ぬというわけですの? そんなの絶対、あり得なくてよ!)


 さてみなさん、死神という落語はご存知でしょうか。その中で死神から病人を救う方法というのが語られておりまして、人生最大のピンチを迎えた姉は脳細胞をフル回転させて咄嗟にその方法を思い出したんですな。まず窓に向かって「キャ! 爆弾が!」と叫ぶ。そうしたら死神を含めたみんなの目線が自分と妹から離れますので、その隙に妹の体を担いで、ヒョイと半回転させました。女の細腕ひとつでやりのけた早業です。火事場の馬鹿力というやつでしょうな。落語の中の話では、頭側に死神がいる人間は間違いなく寿命を迎えると言うルールでして、それなら死神が足元にいるようにしてやればいいという理屈です。そこですぐさま死神退散の呪文「アジャラカモクレンテケレッツのパァ」を唱えますと死神はサッといなくなる……はずですが、妹の足側に居る死神は、姉が呪文を唱えても平気な顔でそのまま立ち続けておりました。


 窓の外ではもちろん、爆弾が大変なことになったりしてません。ただ警察官がとことこ歩いているだけでした。「あらあたし、慌ててしまって、あの人が爆発寸前の爆弾を抱えていらっしゃるのかと勘違いをお恥ずかしいですわうふふ」などと姉は誤魔化します。視線を戻して妹がくるっと回ってることに気付いた先生もおりましたが、姉に対しては触らぬ神に祟りなしの精神で付き合うのが一番ですので、ダンマリを決め込んだようです。「お姉さま、当校は本日もう閉鎖いたしますので、妹さんを連れてお引き取り願えますか。付き添いが必要でしたら残りますが……」なんて言って、すぐさまその場から離れたいのを隠そうともしません。姉も人払いをしたかったので思惑が一致しまして「もう少し寝かせてやってからお暇いたしますわ」と言って、結果保健室には寝ている妹と姉の二人だけが残されました。死神を入れると三人ですね。いや、神様だから二人と一柱ですか?


 まぁともかく、先生方の足音が遠ざかっていくのを確認した姉が死神を見つめます。しかし何か問いかける前に、死神女の方が先に口を開きました。「あっちゃー! やっちゃったねおねーちゃん! まぁ死神さんは全然気にしないけど。でもなー! でもなー! それやっちゃうとおねーちゃんが人生の岐路に立たされちゃうんだよね! ってかもうおねーちゃん岐路に立ってんだよね! 分かる? ほら、見てみなよそこに寝てるかわいこちゃんの胸の上。もう見えるようになってるっしょ? ほらそれ、蝋燭」


 あっけらかんとした声と神様らしからぬ軽薄な喋りで言われて初めて、姉は妹の胸の上に儚げな火が灯された短い蝋燭が乗っていることに気付きました。そしていつの間にか、自分の手の中に轟々と燃え盛る太くて長い蝋燭が握られていることにも。「ぱっと見でもそれがなんなのか推測できるっしょ? 落語知ってんだよね、サゲの部分憶えてる? 火が消えたら死んじゃうからね、息や隙間風には気をつけなね」言いながら死神がニタニタと笑います。「親切な死神さんが経験から見積もってあげるとね、寝てるかわいこちゃんの余命は蝋の量からいってだいたい三ヶ月くらいかなー。あ、一応はおめでとーかな。おねーちゃんがかわいこちゃんをひっくり返して呪文を唱えたおかげで、もともと余命一か月だったところが二ヶ月ちょっと寿命伸びてるよ。まぁ、死神さんを退散させるほど効果のある呪文なんてないし、その手の緊急避難は一回しか使えないけどね。あ、落語の設定はもう忘れてね。があるからさ、ああいうのは」


 しばらく姉は黙ったままです。自分の常識外から怒涛の勢いで放たれる情報に圧倒されて、それを咀嚼するだけでいっぱいいっぱいになってるんですな。それを見た死神が、少し話す速さを落としました。「まーねー、死神さんはおねーちゃんに説明する義務も義理も無いんだけどさ、知りたいことがあるんだったら質問に答えてあげようか? かわいそうだし。選択によっちゃ、これがおねーちゃんの最後の会話になるかもしれないしね。冥土の土産っていうか、そんな感じ?」そう死神に促された姉は、間髪入れずに質問します。「もしあたしが妹を死なせたくない、長生きさせたいと思ったら、方法としてはあたしの蝋を分けてあげるしかないんですの?」すると、はははと死神が笑いだしました。「理解早いね。でも、それで死神さんが『そーだよ』っつったらどーすんの? かわいこちゃんを長生きさせて、それだけでおねーちゃんは満足出来るの?」今度はニャハハハハハ、と笑いました。「無理! 無理だよね! おねーちゃんが満足なんかできないよね。いろんな時代のいろんな人間を見てきたけどさ、おねーちゃんほどの欲しがりさんを見たことないもん。たとえ蝋を綺麗に配分して、おねーちゃんとかわいこちゃんで同じ長さの余生を過ごせるようにして、寿命までの間ずっと仲睦まじくラブラブ生活送ったって、おねーちゃんが満足するわけないよね。あんたの欲望は底なしだもん。でもそれって、死神さん的には張り合いがないんだよねー。どんな選択肢を選ばせてあげても絶対満点とれなくってさ」


 姉の眉間に刻まれたシワが、死神の話を聞くうちにどんどん深くなっていきました。「無駄話はよろしいから、ちゃんと質問に答えてくださる?」と問い詰める声も怒気に満ちています。


 そのとき、妹が寝返りを打ちました。「うーん、むにゃむにゃ。姉さん。わたくしの姉さん。わたくしの足元で、何を一人で喋っているの? わたくし、少し不気味に思ってしまいますわ」姉は慌てます。「何もなくってよ、心配しないで休んでなさい、まだめまいがするんじゃなくて?」それから小声になって「ほらあなたが無駄なことくっちゃべられるから妹が起きてしまいましたわ」と死神に苦言を呈しました。くっちゃべられるという言い方は、砕けてるのか上品なのかよくわかりませんな。


 まぁ、妹が目を覚ましたのなら仕方ありません。いつまでも学校にいてもなんですし、姉は妹を抱き起こすと、肩を貸して家路に着きました。死神はその後を音もなくついていきます。音もなく、というと存在感が薄いように思いますが、死神はなんだかギラギラした雰囲気を醸し出しているので、歩いてるだけで鬱陶しい感じありました。むしろ存在感をもう少し落として欲しいな、と思うくらいです。


 また、不思議なことに妹の胸や姉の手にあった蝋燭は、保健室を出ようとしたときになくなってしまいました。死神の力ってのは便利なもので、自由自在に蝋燭を認識できるようにしたりしなかったり、という感じの仕様なんですな。この設定は話す側としても都合が良くて助かります。火の付いた蝋燭を持ちながら調子の悪い妹を支えて、道を歩きながら風で火が消えないかヒヤヒヤする、なんて特に本筋に関係のない描写、私は別に語りたくありませんので。は、ではなにが語りたいが、ですか? それは聞いてのお楽しみでございます。


 というわけで三人は、ええともう面倒くさいので死神も一人として数えますが、三人は何事もなく長屋に帰りつきました。予定を前もって申しておきますと、早いものでここが物語の終着点でございます。「さ、横になって。まだめまいが治らないのでしょう?」「ありがとう姉さん。わたくしはだいぶ楽になりました。それより、姉さんこそ重かったでしょ」「いいのよ、あたしは妹の体重を感じている時が一番幸せなんですから」「まぁ姉さんったら。おかしい。うふふふ……」姉は死神がすぐそばにいるにもかかわらず、妹といつものようなやりとりを楽しそうにしています。神経が人の何倍も太いんでしょう。でないと爆弾を仕掛けて脅迫したりなんて出来ませんからね。


 「かわいこちゃんは寝た? 寝たね? じゃあさっさと手続きしよう手続き」妹を布団に寝かせたのを見た死神が、待ちくたびれたとばかりに話し始めました。「あんね、おねーちゃんは妹を延命させたことで、死神の禁忌を侵しちゃったわけ。あんな呪文唱えたら駄目だよ考えなしにさ。だからその代償を何かで支払わないといけないはめになっちゃうの。あ、でも安心して。ばっかりの契約じゃないから。むしろ使い様によってはまる儲けも夢じゃないっていうか」なんというか、怪しいネットワークビジネスの誘い文句の様ですな。「まずおねーちゃんの蝋燭、今見える様にしたやつね、これがそのまんまじゃダメなの。その火を他の蝋燭に移したり、蝋を誰かの蝋燭にあげるか貰うかしなきゃダメって規則になってるの。変化を望んだものは変化を受け入れなければならないとか何とか、なんかそう言う感じの鉄則があんのね。つまりおねーちゃんは、予定通りの天寿をもうまっとうできません」死神は説明を続けます。「で、火はおねーちゃんの意識ね、蝋燭の芯はおねーちゃんの人生、蝋はおねーちゃんの寿命のそれぞれ象徴ってことでひとつよろしく」姉は目を丸くします。「寿命を云々するだけじゃなくって、ひと様の人生を乗っ取ってもよろしいの?」「はは。おねーちゃんは理解が早くて助かるわ」と死神は言います。姉は分かったようですが、皆さんの理解は追いついてますでしょうか。私から少し説明を付け加えましょうかね。


 えー、まず蝋が寿命というのはわかりやすいですな。多ければ多いほど長生きできます。蝋燭の芯が人生というのもそんなに難しくありません。決められた運命しか辿れないと断定されてるようで少し寂しくもありますが、まぁそこはそれ、我々に取っては知ることが出来なければ決まってないのと同じようなものですし。それで、燃えている火が我々の意識らしいのですが、うーん、我々の意識ってそんなものでしょうか。まぁ確かに、意識は火のように移ろいやすいものと言われれば納得もできそうな感じがしますな。それでなんでしたっけ、火を別の蝋燭に移す事で、他人の人生を乗っ取ることが出来る? なるほど凄いことが出来るもんです。火が混じると意識も混濁しそうで怖いですが。移す先の蝋燭を先に吹き消しておくと安心でしょうか。でもそうしたら、一度死んだ人間の人生を乗っ取ることになってちょっと気味が悪いですな。それに、姉くらい強い自意識を持ってたら、火が混じっても普通に主導権を握れそうな気もします。


 ともかく、死神が言うには誰かの寿命を奪うか、誰かに寿命を分け与えるか、それとも誰かの人生を乗っ取るか。そのどれかの選択肢を選ばなければならない、と。


 「ま、順当に考えたらおねーちゃんの寿命をかわいこちゃんに分け与えるのが正解だよねー」死神はチェシャ猫のような笑みを顔に浮かべて言います。「そんな選択、あんたみたいな欲しがりさんが選べるとは思わないけどね。さっきも言ったけどさ、なっがーいことたくさんの人間を見てきたけど、おねーちゃんはその中でも一番欲がデカいよ。もし死神さんが死神じゃなくて社長だったら『素晴らしいっ! Happy Birthday!!』って言ってるね」「長いことって、貴方どれだけ人間を見てきましたの?」「えっとね、この世の始まりから終わりまでかな」「……終わりまで?」世界はまだ終わってないはずですので、姉は首を捻ります。「この世界、もう何処かのタイミングで終了の笛が鳴って、にでも突入してますの?」「にはは、違う違う。おねーちゃんは世界が終わるとどうなるか知らないから、そういう発想になっちゃうんだろうね。あのね、世界って、終わるともう一回始まるの。すごいよ。天がバリバリーって割れて、脱皮するみたいに次の世界の元がぬぬぬんって感じで出てきて、ドッカーンよ。あ、これビッグバンの音ね」


 へぇー。あ、そうなってるんですね。いやすみません、素で感心してしまいました。姉も感じ入るところがあったようで、世界のありように興味津々の体で質問をします。「始まるって、別の世界が生まれるってことかしら? それとも今の世界を繰り返しますの?」「それがなんと、繰り返すのよ。同じことをやり直す感じ。前の世界もその前の世界もほとんど今の世界と一緒なんだよねー。あ、一回が起こって、今ぐらいの時に人類絶滅したりしたけど、それ以外はもう全然。ほんっとに違いがないの。だから次の世界も、おんなじように地球が出来て、おんなじように人類が生まれて、おんなじようにあんたもいるんじゃないの。知らんけど」「それで、初対面なのにあたしのことをなんでも知ってるような口ぶりなのね? 前の世界のあたしを知ってるから」姉は自分で言って自分で頷きます。「でもそれじゃあ、ビックバンが起きて生き物が誕生するまでの期間と、生き物が死滅してから宇宙が終わるまでの期間、貴方は何をしていらっしゃるの? 生き物がいてこその死神でしょう?」「そうそれ! 死神ってめっちゃ暇なんだよ生き物がいないと。だから死神さんさー、いつのまにか瞑想が特技になっちゃったんだよね。億年単位でやったことあるよ、瞑想。凄くない?」「億年。まぁ、そうですの……」と言って、姉は黙りました。じっくりと考え込んでいるようです。「まぁ世界の仕組みの話はこれくらいにしといてさ、はやいとこどうするか選んでよ。って言われてもすぐには選べないだろうけど。おねーちゃんさ、まだまだ自分の人生に満足してないんでしょ? で、かわいこちゃんも助けたい。それには他人の命を乗っ取ったって意味が無い。結局どの選択をしても、おねーちゃんは何かを諦めなきゃならないんだよね。でもおねーちゃんは何も諦められない。損な性格だよねー。かわいそうに」喋っているうちに焦れったくなってきたのか、死神が鼻からムフーと息を吐きます。「いっそさ、何も諦められないってーなら、逆に自分の人生全部諦めるっていうのもアリじゃ無い? おねーちゃんの蝋を一滴残さずかわいこちゃんにあげちゃうの。それでよくない? 今まで生きてきて何かを諦めたことないんでしょ。人生最初の諦めが、人生最後の諦めになるの。めちゃくちゃ潔いよね、そんな生き方。かっこいいなー。尊敬できるなーそんなおねーちゃん」「うるっさいですわね」死神のからかいを聞いて、怒気を含んだ声で姉は一喝しました。「もう私の答えは出てますのよ。今、その答えに瑕疵がないか見直ししていますの。つまり、集中したいわけ。なので少し、黙っててくださる?」姉がはっきりと言い放つと、言われた死神は目をパチクリさせた後、にこりと笑いました。「そう、決まったんだ? わかった。じゃあ、決心がつくまでの間に準備始めとくね」


 死神の準備とはなんのことでしょう。と疑問に思う間もなく、舞台が一変します。死神が「並べ」とひとこと言っただけで、さっきまで長屋の壁だったところが合わせ鏡のようになり、見渡す限り一面に蝋燭がずらっと並びました。外は昼間のはずなのに太陽の光が全く室内に届かず、暗闇に無数の蝋燭の明かりが浮かび上がるだけという光景です。「おねーちゃんたちの部屋、ちょいと蝋燭の間に繋げさせてもらったよ。誰と蝋をやり取りするにせよ、誰の人生をのっとるにせよ、ここにある蝋燭で全部事足りるはずだからね」姉は辺りを見回して、頷きました。「あ、ほら見てあの蝋燭。今ちょうど火が消えたやつ。あの蝋燭の女の子ムカつくやつでさー、以前の世界でを引き起こす原因になったやつなんだよね。早めに始末しとこうと思ってさ。朝のあんたの爆弾をちょいと利用させてもらったよ。かわいこちゃんのくらすめいとの野原って奴さ。今はとても見られない顔になってるだろうけど、美人だったからおねーちゃんも覚えてるんじゃない?」「あら、あたしの爆弾で人が死んでましたの? あらまぁ。誰も殺すつもりなんてなかったですのに。野原さんのことは覚えてますわよ。顔と体型だけは良かったのに、勿体ないですわね」「おねーちゃんに殺すつもりがなくても、それで火が消えちゃったら仕方ないやね。さて、準備が終わったよ。おねーちゃんは誰の蝋燭に、何をするつもりだい?」「そうね。それじゃあたしは」決意の固まった声で、姉は答えます。「貴方の蝋燭に火を移して、死神の人生をのっとりますわ」


 「ニャッハッハッハ」死神は笑います。「なんで? なんでそうなるの? 死神さんを乗っ取ったらかわいこちゃんの寿命も思いのままにいじくれると思った? 残念だけど死神さんにそんな力はないんだよにゃー」機嫌が良くなると猫っぽくなるのでしょうか、死神は節をつけてニャアニャア言いながらお腹を抱えています。「確かにさっき人間一人の寿命をいじったけどさ、あんなもんたまたま運が良くて機会が巡ってきたら少ーしだけ干渉できるってだけにゃ。好き放題出来るほどの能力はないんだよにゃー。あっ、ていうかそれってアレじゃにゃい? ディズニーのアラジンでさ、悪役のジャファーが『俺をランプの精にしろ』って願うのと同じ狙いじゃにゃいの? あ、あっさはかだにゃー」「ごちゃごちゃにゃあにゃあうるさいですわね。さっさと貴方の蝋燭を出しなさいな」姉は手中に現れていた蝋燭を死神に突きつけて、その力強い火を強調します。「あと、鬱陶しいからそろそろその下手クソな演技をやめてくださる? ほら妹も、寝たふりなんかしなくていいわよ」姉に言われて、狸寝入りをしていた妹が掛け布団を押し除けてもぞもぞと上半身を起こしました。「おはようございます」と、寝たふりを指摘されたばかりなのに、白々しく挨拶で返します。「わたくしたち姉妹、演技はいつまでも下手なままですね。姉さん、もうは終わりそうなの?」


 笑っていた死神は、ピタリと動きを止めます。姉は妹に向かって一つ頷くと、死神にこう言いました。「ほら、さっさと出しなさい。あなたの蝋燭。蝋燭よ。さっさと蝋燭。しばくわよ」死神は観念したように首を振ると、自分の胸の前に蝋燭を出現させました。その長さはずらっと並んでいる他の蝋燭とはとても比較にならないくらい長いのですが、太さや火の勢いは姉の蝋燭と瓜二つです。「わかりました。観念しますわ」と死神が言いました。姉と同じ、お嬢様口調に変化しとります。


 「あたしの蝋燭の火をあなたの蝋燭に移して、あたしは死神になる」姉は言います。「そして、かわいこちゃんが死ぬまでの三ヶ月を、二人の蜜月にする」死神が言います。「月ってわけね?」妹が言います。下らない駄洒落で茶々を入れますな。「そして何億年か何百億年か十の百乗年かが経って世界が終わり、世界が新しく始まって、百三十八億年くらい経ってあたしと妹が生まれて」姉が言います。「死神のあたしがやってきて、あたしとひとつになって」死神が言います。「世界の天が割れても」姉が言います。「何度割れても」死神が言います。「永遠に、満足するまで、妹との甘い三ヶ月をすごすのだわ」姉と死神が同じ声で言いました。「わたくしは姉さんほどヨクバリスではありませんので、死ぬまでの三ヶ月があれば充分満足だわ」妹が言いました。


 そして姉の手で蝋燭の火が死神の蝋燭に移されると、二つの火が溶けるように一つになりました。


 ……いやぁ、私は頭が悪いもので、死神の声は姉にしか聞こえてないと思い込んでいましたが、最初から妹にも聞こえていたんですな。途中で妹が一人で喋っているの? って聞いたのも死神が姉と同一人物だったからでしたか。なるほど合点承知です。さて、この話は死神と姉がひとつになって、妹との幸せな三ヶ月を無限ループよろしく過ごすために、世界が滅びるのを気長に何度も待ちましたとさ、めでたしめでたし……でおしまいで御座います。残りの部分は余白に書かれた落書きのようなもの、気負わずにお読み下さい。私が出張るのもこれでおしまいですので、一足お先にご挨拶を。ご清聴、どうもありがとうございました。それではみなさん、さようなら。




 「……姉さん、一緒の布団で寝るのも久しぶりですね」

 「そうでもございませんわ。夜遅くに潜り込んで、妹が起きる前に抜け出したことが、今月だけでも何回か……」

 「あら、姉さんったら。わたくしのこと大好き過ぎでは? うふふ」

 「ふふ」

 「……姉さん」

 「……妹。かわいこちゃんの妹」

 「幸せね?」

 「とても幸せよ。あたしのかわいい、聖なる光」

 「もう姉さん。名前で呼ばないでって何度も言っているのに」

 「うふふ。ごめんなさい。ねぇ妹。あたし、口づけが欲しいわ」

 「ええ、欲しがりな姉さん。ここに?」

 「いいえ。もう少し、下」

 「ちゅっ」

 「もう少し」

 「ぺろ」

 「その、下」

 「フッ」

 「あっ……」

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