第6話
仏間の横には大きな座敷が二つ連なっていて、そのうちの庭に近い方が僕らの寝る部屋だった。大きな蚊帳が吊られてあった。映画で見たことはあるが、その中に這い込むのは初めてだった。もう深夜なのに、虫の声がする。虫には詳しくないので、何の虫か判らなかった。
後から入ってきた満太郎(彼は自分一人ででドラム缶風呂を調節することができた)が、僕に何か話しかけたのだったが、酒のせいと風呂で暖まったせいで睡魔にやられていた僕には、その声は遠いどこかから聞こえてくるようだった。
硬くてざりっとした中身の詰まった枕はひんやりと心地よく、僕はよく眠った。
近年まれに見るくらいの気持ちのいい目覚めと同時に、僕は布団の上に起き直った。満太郎はまだ寝息を立てている。白いランニングシャツが、田舎の少年のようだった。満太郎には、何となく都会的に洗練された印象を抱いていただけに、その素朴な姿は僕を安心させてくれた。
静かに蚊帳を這い出すと、僕らの座敷と庭は瓜助さんの家の東側に面していたらしく、山の端からは金色の夏の朝の光が眩しいほどに差し込んでいた。
僕は縁側まで這って行き、すでに日の光に暖められたピカピカの板の上にあぐらをかいた。北海道出身の僕は、縁側とはあまり縁のない生活しか知らなかったので、それはとても新鮮な経験だった。
昨夜僕らが入った風呂の小屋の他に、景色に馴染んだ古い物置小屋のようなものがある他は、何もない四角い庭だった。犬を走らせると楽しそうな、赤土の庭だ。竹箒の跡が美しい。その向こうは、低い生け垣があって、その外側は小さな畑らしい。さらに向こうは山裾に繋がっている。
昨日見た寺はどこだろうかと頭を巡らすと、左の奥に豪壮な瓦屋根が見えた。そこが本来の満太郎の実家だろうに、どういうわけで瓜助さんの家に泊まることになっているのか、と思った。寺の向こうにも人の住まいがあることは、昨夜ここに到着したときに見た灯りで判っているのだ。
縁側の下には、昨日、風呂との行き来に使った下駄があった。それを履いて、ちょっとあたりを探索しようとしたときに、物置小屋の方から瓜助さんが現れた。
「よく眠れたかや」
「すごくよく眠れました」
「蚊にも食われんで」
「ええ。蚊帳のおかげです」
「ハナケンさんは、煙草は吸わんのか」
実は一本欲しいと思っていた。僕はヘビースモーカーではないが、飲み会の時などは、友達からもらい煙草することがある。あまり品が良くないと思い、控えてはいるのだが。
「今朝は一服したい気分です」
「これでええなら、ほれ」と、瓜助さんは、ショートホープを差し出してくれた。
ありがたく受け取り、火を点けてもらった。
瓜助さんも縁側に腰掛け、二人で煙草をくゆらす。
「いいところですね」
「ええやろう。なんもないけどな。自然はある」
「満太郎は、いつも瓜助さんの家に泊まるんですか?」
瓜助さんは、すぐには答えなかった。
「昨日、太郎ちゃんから、何も聞かんかったんか」
「風呂が気持ちよすぎて、僕はすぐに寝ちゃったんです」
「そうやったんか」
「何か深いわけでもあるのでしょうかね」
瓜助さんは濃い煙をもわっと吐き出すと、
「太郎ちゃんが、おいおい話すやろう」と言った。「朝ご飯ができとるで、いつでも台所いったらええがな。太郎ちゃんは、なかなか起きんよ」
「今、何時なんですか?」
「もう六時半すぎやろう」
なるほど、いつもなら僕だって起きているはずのない時刻だ。
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