義父
大河かつみ
数年前、つい口を滑らせて女房に
「君のお父さん、バカボンのパパに似ているよね。」
と言ってしまった。(あ、変な事言っちゃたか)と思ったが、女房が笑いながら
「分かった?実はあたしもそう思っていたのよ。」
と言ったのでホッとした。特に“くりいむしちゅー”の上田が実写で演じたバカボンのパパに義父はよく似ていたのだ。ただ、違うのは一代で精肉店を起業し86歳を過ぎた今でも息子さん(女房の兄)と共にお店に立っている働き者だという事だ。
その義父が今年の3月に脳梗塞で倒れた。お昼ご飯を食べ、しばらくテレビなど観て休んいでいる時に急に口をパクパクさせて昏睡したらしい。慌てて義母が救急車を要請し救急病院で診断の結果、即、手術となった。幸い迅速に処置できたので、一命は取りとめたが後遺症が残った。言語障害と記憶障害である。
慌てて私ら夫婦も車で一時間程かけて病院に駆けつけた。義父は体中に点滴その他色々なチューブを身体に巻きつけながらベッドに縛り付けられていた。両手にはグローブともミトンとも思えるような物を付けられていて指が使えないようになっている。なんでも意識を取り戻して以来、チューブを取って暴れたらしい。致し方ない処置だった。義父は呂律が回らないようだったが我々に何かを必死に訴えていた。“帰りたい”と聴こえた。ただでさえ病院嫌いだったのに気がついたら入院していたのだから義父にしてみれば家族が面会に来た今、そう願うのは当然だろう。胸が締め付けられる思いがした。
義父は今年、義母と共にダイヤモンド婚式を行う予定であった。つまり結婚して60年のめでたい年であったのだがお祝いをする雰囲気ではなくなってしまった。義母は
「お父さんは中学を卒業してから今迄、ずーっと働きづめで、そろそろのんびりしようかと言っていた矢先だったのによう。」
と残念がった。
義父は早くして父を亡くしたので一家を支えるために精肉店で修行し一代で自分の店を築いた苦労人で、そのせいか兎に角働いた。休みは元旦ぐらいで後は休みなく店を開けていた。長女と結婚した私が夫婦で正月三が日に挨拶に訪れても一緒に食事こそすれ、お客さんの電話注文を受けては唐揚げなど総菜を
揚げに厨房に籠ったものである。あれでは店を手伝っている息子さん夫婦も休めずに大変だろうと同情したが、遠くからお客さんが来てくれるのだから応えようという気概に感服するしかなかった。
因みに、この遠くからでもわざわざ買いにこさせる総菜、特にコロッケは私ら夫婦は勿論、私の子どもたちも大好きで、いわゆる“お肉屋さんのコロッケ”の美味しさがある。スーパーの物とは違った、ラードを使った香ばしく素朴な味の美味しさだ。私も子どもの頃、近所のお肉屋さんで、おやつに揚げたてを一個買い、その場でソースを垂らして紙に包んでもらったものを食べて美味しかった思い出があるが、正にそんなコロッケなのだ。開店当初からいまだに50円という値段も変えていないのも特筆ものである。
その様な仕事熱心な義父なだけに記憶障害で自分が精肉店を営んでいたことを覚えていないという病院からの報告に私達はショックを受けた。住まいを兼ねた自分の店の写真を見せても理解できないらしい。コロッケや唐揚げの写真にも反応がなく、療法士さんが
「以前、唐揚げを揚げてたんですって?」
と尋ねても
「そうなの?」
と返答したらしい。あれだけ仕事一筋な人でもその生涯をこうも簡単に忘れてしまうものなのか。
それでも暗い報告が多い中、ちょっとした事実を知って気持ちが和んだ。女房が電話で義母から聞いたのだが、面会に行った際、看護師さんらがいる前で義父は義母に向かって満面の笑みで
「愛しているよ。」
と言ったらしい。それを聞いて女房は
「やだ。お父さん、普段、そんなこと言わないでしょ?」
と笑ったが
「いや、たまに言うんだ。」
と義母は恥らいながら言ったそうだ。
「言うんだ。・・・」
女房も初めて知った事実!
バカボンのパパはなかなかイカす男でもあったのだ。
これでいいのだ。
義父 大河かつみ @ohk0165
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