花の部屋,

 



 どうしてこんな事になってしまったのか、未だに理解が出来ない。

 辺りを見渡せば、そこは薄い水色の壁紙に囲まれた広い部屋。大きな本棚と綺麗に整頓された机、そしてクローゼットにテレビ。さら反対には、真っ白い木で出来たベッドに水色と白のボーダー柄の布団が存在感を放つ。

 極めつけに漂うフローラルな良い匂いが、ますますここに居て良いのか? そんな思考を助長させる。


 足がソワソワする。体がムズムズする。視線が定まらない。

 それもそのはず。葵日向16……いや17歳。生まれて初めて同年代の女子の部屋に足を踏み入れたのだから。


 飲み物を持ってくると行って、匙浜さんが部屋を後にして何分経った事だろう。とにかく1人で他人の部屋に居る事が良い意味でドキドキソワソワ。悪い意味で居心地が悪いなんて思いもしなかった。これならまだ2人で話をしている方がましな気がする。


 そんな中、落ち着く為にもどうしてこんな事になったのか……改めて考えてみる事にした。

 全ての始まりは……あれだ、匙浜さんと大五堂に行った帰り。道路で話をしていたら、突如現れた匙浜さんのお母さん。いつも通りの明るいテンションで繰り出される会話中に明らかになったのは……今日が匙浜さんの誕生日である事。


 いくら急遽石島まで来る事になったとは言え、前々から匙浜さんの誕生日は知ってた。むしろ自分と同じ誕生日だって事もあって、その時は話が盛り上がっていた。まぁ言い訳をすると試合とか色々あって完全に頭から抜けていた訳だけど、それでも女の子の……匙浜さん誕生日を忘れていたという事実に一瞬で焦りを感じたよ。そんな俺をさらに驚かせたのが匙浜さんのお母さんだった。




『家にご招待しちゃいなよ? 花の誕生日パーティーにさぁ?』


 えっ? その言葉に一瞬固まる。そして颯爽と車から降りてくる匙浜母。

 そしていつも通りのやり取りを始める匙浜親子。


『おっ、お母さん!?』

『ん? いいじゃんいいじゃん』


 そんな光景をただただ見つめていると、最終的に……


『まぁまぁ、こんなとこで話してたら人目に付くし、ささっ車乗った乗った』

『人目って……うっ……』


 勢いに押し切られて、そのままIn the car。そして気が付けば……


『料理出来るまで花の部屋で待っててー』

『もっ、もう……ごめんね? ひっ、日向君』


 そんなこんなで匙浜さんお部屋に居る。

 はぁ……思い返す度に、なんという偶然が重なったのだろうかと思い知らされる。

 まさか今日が誕生日だったとは。

 まさか匙浜さんのお母さんと遭遇するとは。

 まさか誕生日パーティーに招待される事になるとは。


 それに1番驚いたのは、匙浜さんのお母さんとうちの母さんの関係。



『でっ、でもお母さん? 今日は葵君だって誕生日なんだよ? おうちの人、沢山料理準備してるからやっぱり……』

『えっ!? そうなの? なるほどなるほど……ちょっと待ってね?』


 勢いそのまま発車した車の中で、匙浜さんのナイスフォローが炸裂した。そういえば昨日の晩に、何か食べたい物あるって聞かれたような気がした。なんて答えかは覚えてはいないけど。


 すると、突如車を道路の端に寄せた匙浜母。降ろしてくれるのか? と思った瞬間、手に取ったのはスマートフォンだった。


『ちょっとお母さん? 葵君降り……』

『あっ、もしもし? 葵さんですか? こんばんわ匙浜です。今電話良いですか?』


 葵? 電話口に聞こえた自分と同性。それには何となく……嫌な予感しかしなかった。


『すいません。私がきちんと責任持って送りますので。はい、それでは失礼します』


 ピッ


『という事で、お母さんの了解は取ったよ? 日向君?』

『マッ、マジですか』

『まさか…………って、なんでお母さん葵君の事名前で呼んでるの!?』



 まさか母さんと知り合いだとは。

 話を聞くと、匙浜さんのお母さんがいる仙宗大学病院の地域連携室って所は様々な福祉施設との繋がりがある。施設入所を希望する患者と施設側との橋渡しも業務の1つだそうだ。

 そんな中、市内の施設で働いている母さんとも接点があるらしい。むしろ、管理者として話し合いに参加しているらしく、その付き合いは結構前から。つまりはガッツリ面識がある。

 匙浜さんのお母さんは、俺の苗字を聞いて何となく察したらしいけど、うちの母さんは匙浜さんの存在は俺との話の中で知ってはいたけど、まさか仕事で関わりがある人の娘だとは思いもしなかったようで……そんな両者の関係を俺達が知る訳もなく、何とも綺麗な会心の一撃を食らった。




「お待たせ」


 思い出すだけでも、未だに残る衝撃の残影を感じていると、ようやく匙浜さんが姿を見せてくれた。


「全然だよ。それよりなんかごめん。いきなりお邪魔しちゃって」

「そんな事ないよ! むしろこっちこそごめんね? お母さんの突拍子もない提案で困らせて……きっとひっ、日向君のお母さんご馳走用意してたよね?」


 麦茶をテーブルに置きながら、申し訳なさそうに話す匙浜さん。むしろ本当にこっちが申し訳ないよ。


「そんな事ないって。普通のご飯ご飯。それより匙浜さん?」

「さじ……?」


 その瞬間、少し目を細めじっと俺を見る……花。その表情の意味は一瞬で理解出来た。


「ごっ、ごほん。いや、はっ……花?」

「なっ、なに?」


 事の発端はまたしても匙浜母。電話が終わった瞬間、いきなり俺を名前で呼んだ事が始まりだ。

 病院でも名字で呼んでいたくせに、なぜこのタイミングなのか驚いた。そして俺以上に驚いていたのが匙浜さん。




『なんでお母さん葵君の事名前で呼んでるの!?』

『えっ? 別にぃー?』


『私だって呼んだ事ないのに、そもそもそんなに親しくないでしょ?』

『それはどうかな?』


『なっ! ……分かった! 私も今度から名前で呼ぶから! 良いよね? ひっ、ひっ……ひなたくん?』

『えっ、あぁ。いっ、良いよ?』


『良かった。じゃあ私の事もよっ、呼び捨てで良いからね?』




 なぜそこまで自分のお母さんに対抗心剥き出しなのかは分からなかったけど、そんな具合で名前で呼ぶ事が決定した訳だ。

 まぁいきなり名前で呼ぶのは歯痒い感じがしてまだ慣れないけど……本人の希望なら遠慮するべき事でもない。


 それにしても、冗談抜きで花の部屋は驚く程綺麗に掃除がされている。俺の部屋とは大違いな位整っているし、この状況に慣れて来たってのもあるだろうけど、ほのかに香るフローラルな匂いのおかげか……だんだんとリラックスしているような気さえする。ずっと居たい空間というのは、まさにこういう場所の事を言うんだろう。


 そしてよく見ると、至る所にテディベアが置かれている。ぬいぐるみサイズからキーホルダーサイズまで色も大きさも違うけど、そのどれもが可愛く見える。もしかして全部が匙浜さんのお婆さんの手作りなんだろうか? だとしたら想像以上のクオリティなのが垣間見える。


 そんな中、匙浜さんが居ない間1番気になっていたの物があった。それは本棚の1番下の立派な背表紙とは違う。2段目3段目、それに4段目の半分を占めていた、それこそ市販のノートのようなもの。

 もしかすると…………そんな憶測が頭を過る。だからこそ、聞いてみたかった。


「あの本棚のノートって……」

「あっ、うん! 今までの日記とメモ帳だよ?」


 その憶測は正解だった。

 横幅の長い本棚。そこにびっしりしまわれていたのは……彼女の記した日記とメモ帳。いうなれば、彼女が症状と向き合ってきた歴史。その光景は壮観だった。何十冊も並ぶそのノート1冊に込められた花の思いが眩しかった。


 俺は恵まれている。症状を告げられた時、そばには花が居た。

 けど彼女は、俺と出会うまで1人で向き合って来た。なんでも話せる同世代の人が居ない中、ただ1人……その苦しみは、想像するだけで怖くて辛くて孤独だったはずだ。


 それに比べれば俺はまだまだだ。俺の近くにここまで努力して、向かい合ってる人が居る。だからこそ、俺も負けられない。負けていられないんだ。


「花ー、日向君? 準備出来たよ」

「あっ、準備出来たって。行こう? 日向君」


 目の前の彼女を見て、目標にして……追い駆けないといけない。


「あっ、うん。……花」


 例えそれが……永遠に続くとしても。



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