俺は君の片隅に、君は俺の心の中に

北森青乃

10月31日


「あぁ、緊張する」


 無意識の内にそんな事を口にしながら、私は控室が並ぶ廊下を歩いている。

 予定の時間は13時。腕時計を見るとその針は12時54分を指していた。


 うん。ちゃんと予定通り。先輩にも編集長にも散々言われたっけ。

 取材で相手の控室や仕事場にお邪魔する時は、必ず5分前には到着している事。そして予定時間の1分前にノックや呼び鈴を鳴らして様子を伺う。

 遅刻は勿論厳禁。早く着いたからって早々にお邪魔するのは相手方にもマイナスのイメージを与えるから注意。すなわちこの位の時間がベスト。


 その教えを破る訳にはいかない。ましてや今日は絶対に破れない。

 なんたって今までテレビや、色んな雑誌の取材を受ける事のなかった有名人の初取材なんだから。


「えっと……確かAの7……Aの7……あった!」


 そんな面持ちのまま事前に聞いた控室の番号を確認していると、目の前にA-7と書かれたドアが姿を現す。そして番号の下に張られた紙。そこに書かれた『桜熊 信長様』という文字を目の前に、心臓の鼓動が早くなる。


 この中に居る……あの……桜熊さくま信長のぶなが先生が!

 何処からともなく現れたライトノベル作家。うちの出版社のコンテストに応募した処女作が編集長の目に留まり、特別賞を受賞。

 出版されると、徐々にその人気が広まり空前のヒット。アニメ化までされ、待望の2作目が出版予定の今話題の人。若い世代を中心にそのファン層は幅広い。


 さらに特筆すべき点は、一切と言ってよい程本人の情報がない事。

 公式に分かると言えば、性別は男性だという事位。これは私も電話で話したから間違いはない。でもそれ以外は闇に包まれた謎の人で、そんな人物像も人気に拍車を掛けている気がする。


 だからこそ、どうして今回取材させてくれるのか不思議でならない。

 余りのしつこさに根負けかな。それとも呆れてかな。いや、お願いした本人がそんな事思うなんて変なのは分かってる。  

 先輩達は作家さんの機嫌損ねたら後々大変だから、1度断られたら何度も電話するなよって言ってたけど……電話は何度もしたけど、実際出てくれたのは1回だもん。留守電攻撃が功を奏したのかな? 


 っと、何はともあれ取材のOK貰えたのは事実。後はこの機会をきっちり生かす事だよ。時間は……12時59分、よしっ頑張れ私!


 心の中でそう呟くと、扉を見つめて大きく深呼吸をする。そして、覚悟を決めた私は小刻みに震える手を握りながら、ドアを3回ノックした。


「はーい」


 すかさずドア越しに聞こえて来た男性の声。


「せっ、先生! 取材のお願いしておりました、青空出版の坂城さかきです」

「どうぞ? お入りください」


 うわぁ。電話で話した通り、物腰が柔らかい話し方。ふぅ、じゃあ行こう。ごく一部の人しか見た事のない、


「しっ、失礼します!」


 先生の姿を拝見しにっ!


 ガチャ


 ドアを開けると、一目散に目に映ったのはこちらを向いて立っている男性。身長は勿論私よりも高くて、足が長い。そしてそのご尊顔は、


 えっ? 若っ!

 と思う位の童顔に面を食らってしまった。


「こんにちは。わざわざお疲れ様です」


 ただ、落ち着いた佇まいと言葉遣いは、電話で感じた先生の雰囲気で間違い。

 ヤバっ! 思わずじっくり観察しちゃってた! なんか声とかの雰囲気とは違って、見た目結構若い。なんか私とそんな年変わらない気がする。でも、目の前の人は先生本人。誠心誠意込めて失礼のないようにしないとっ!


「いえいえ! こちらこそ貴重なお時間ありがとうございます! えっと……改めまして、青空出版の坂城と申します! 若輩者ですがどうぞ……宜しくお願い致します!」


 上ずった声を勢いで誤魔化しつつ、ぎこちない歩き方で近付き、慣れない手つきのまま名刺を差し出す。内心、初っ端からやらかしたぁ! と恥ずかしさで顔が熱くなったものの、


「ありがとう。初めまして桜熊信長です」


 変わらない雰囲気にホッと胸を撫で下ろす。

 あれ? 電話で感じた優しい感じそのまんまじゃない? 取材断り続けてるって言うから、とんでもなく怖い人か偏屈な人なのかと思たけど……


「じゃあ立ち話もあれだし、どうぞ座って?」

「はっ、はい! ありがとうございます!」


 そんな桜熊先生に勧められるがままに、横のソファの前まで足を進める。

 危ない危ない。いくら勧められても、先生より先に座るなんてやってはいけない。先生が座るのを確認してから……


「失礼します」


 自分も座る。うん、とりあえずここまでは失礼のないように出来てる。後は興奮しないように落ち着こう。いくら先生の大ファンだとしても、今は仕事中! メリハリはしっかり……


「よっと。ところで坂城さんは私の本とか読んでくれたり……」

「もっ、勿論です! 何十回何百回も紙が擦り切れる位読み倒してます! アニメも当然、それから……あっ」


 その瞬間、一気に顔が熱くなる。

 入社して半年。ある程度自分でも取材を任される様になったからこそ、ダメ元で先生への取材を申し込んだ。受けてくれるって電話を貰った時は嬉しくて嬉しくて仕方なくて、だからなるべくファンの部分を出さないように冷静に頑張ろうって決めてたのに、本の話聞かれて速攻で自分を見失うなんて……


「すっ……すいません」


 うぅ……ヤバい。絶対おかしい奴だって思われた。

 ふと我に返ってすかさず謝罪をしたけど、恥ずかしさと怖さですぐには先生の顔が見れずにいた。そんな時、


「ふっ、大丈夫。そんなにまで見てくれてありがとう」


 耳に入って来たのは、先生の優しい声。

 その言葉にゆっくりと顔を上げると、その先にはさっきと変わらない表情の先生。ふと目が合うと、優しく微笑んでくれて……危うく射ち落とされそうだった。

 はっ! イケない! 仕事中だってば!


「とっ、とんでもないです」


 なんとか持ち堪えた私は、1つ呼吸を整えると改めて先生を対面に捉える。一旦落ち着いたからか、今度は冷静にその姿を見る事が出来た。

 と、それと同時に包み込まれる独特な雰囲気。温かいというか、落ち着くというか……そんな不思議な感覚は今まで経験した事がないものだった。


 なんだろ。居心地が……良い。でも頭の中はハッキリしてる。場の雰囲気ってやつなのかな? 明るい人が近くに居ると周りが明るくなるとか、それと似た感じだと思う。

 でも不思議。あれだけ恥ずかしくて焦ってたのに、一瞬でそんなの消えちゃった。驚く位冷静……うん。こういう人だからこそ、あんな作品が書けるんだ。


 人を惹き付ける作品、それを書いた作者も勿論人を惹き付ける。それを肌で感じると、改めて自分の置かれた状況が、どれだけ恵まれた物なのか理解する。


 そう、目の前の人はあの桜熊信長。今まで一切の取材を断って来た人。そんな人が取材を受けてくれたんだ。こんな新米編集記者相手に。

 だったら、冷静に慎重に……先生の事知りたがってる読者の為にも、受けてくれた先生の為にも……楽しい取材にしなきゃ! だったら、私の持ち味をフルに生かそう。後悔しない様に全力で!


「すいません。初めての取材でドキドキしてしまいました。でもまず先生? 改めてお礼を言わせてください。作品の実写映画化、その完成試写会の前にお時間頂き、本当にありがとうございます!」

「いやいや……とんでもない」


「沢山聞きたい事が有りますが、時間は有限です。そこでですね? 作品を振り返りつつ、先生が場面場面に込めた思いを聞いて行きたいのですが……」

「込めた思い……か……」


「読者の皆さんも知りたい所だと思うんですよ? 今まで先生のそういった心情が公になった事がないので。あっ、でも読者自身の考えに任せたいとか、そう言う事であればそれで構いません」

「そうだね……いいよ。まぁ雰囲気で書いた所もあるけど、それで良ければ」


「ありがとうございます! それでは私もメモと……ボイスレコーダー大丈夫でしょうか? もちろん音声については勝手にマスコミ等に出しません!」

「もちろん」


「ありがとうございます。えっと……それでは準備整いましたので、始めさせていただきたいと思います。宜しくお願いします」

「こちらこそ宜しくお願いします」


 そう言ってボイスレコーダーをオンにすると、私はノートと先生の作品を手に取る。

 ファンとしても編集記者としても、先生からお話を聞ける事は幸甚の至り。だったら一言一句聞き漏らさず書き留めて、先生には話がしやすい雰囲気を提供する。

 そんな思いを胸に、私はもう1度息を吸い込むと、先生の目を見ながらゆっくりと言葉を口にする。緊張感と高揚感に包まれながら。


「それでは……まず、物語の冒頭ですね? 『瞼を開くと、まだ目の前はぼんやりとしてた』という言葉から、主人公が目覚めた所なのは分かります。ただ、私個人としてはなぜこのような始まりなのか興味が湧いたんですよ」

「興味……ですか?」


「えぇ。なぜならその後に『でも、その先にはいつものようにあなたが居て、いつものような寝顔をしているのが分かる』という言葉が出てきます。どことなく幸せを感じる様子なのですが……物語は過去を思い出す形になりますよね。そうなると、私を含めて読者としては、えっ? なんか幸せそう。どういう事なのかなって感じになると思うんです。なんでこういう状況を書いたのが最後じゃないのか、もしかしてここまで来るのに壮絶な何かが!? とかってワクワクドキドキしたんです。これはもしかして……」

「恐らく坂城さんの考えている通りです。物語は最初が肝心ですからね。どういう事なのか、こんな状況にどうしてなったのか。そう思ってもらえればと思い、このような冒頭にしました」


「やはり! 私も見事に思惑に乗せられました。そして、ここから始まって行く訳ですよね。本編と言いますか本筋と言いますか」

「そうですね」

「過去の話に切り替わっていく……その場面もなんか印象に残ってるんです。だってこうですよ?」




『その姿に安心したのか、体も頭もゆっくりと力が抜けていくような気がした。そしてもう一度瞼が重くなり、目の前は真っ暗になる。その瞬間、体を包み込む心地良さ、頭を過る色んな記憶。それはまるで今までの全てを思い出すかのようだった。まるでいくつもの……』




 夢を見ているかのように…………

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