第54話 神は言った、光去れ

「さっきの、来栖さんって深雪さんの知り合いだったの?」

「……アイツは、自殺事件があった時に私のカウンセリングだって言って、学校が呼んだ事があったの」

 忘れてはいなかったが、記憶の片隅へと追いやっていた事実、すなわち、深雪さんはかつて好きだった同級生の男の子が自殺したという陰気な過去が突如、現在と交差し、言葉を失う。

 深雪さんには僕の読書の賜物たる語彙を奪われてばっかりだ。だからこそ、彼女と恋人になって、混沌の先にある景色をみてみたいと明日への希望を愛と洗脳した訳だが、それでもやはり息をのむことはまだ減りそうにない。


「宗太君、もうあの場所には行かないで」

「でも」

「アイツのカウンセリングで得たものは罪悪感ばかり。でも、やっと宗太君との明るい未来があると思ったのに、嫌な記憶が蘇っちゃったよ」

 まあ、彼女の言うことにも一理ある。強いて彼女の過去を責め立てるかのように他人の口から聞き知るのは僕もしたくない。

 それに僕とて、社交を愛する人間でもなく、ましてや、医者に自分の心を分析されながら話すのは、それだけで気が病みそうだ。

 読書を通して、登場人物の心情を察するのを楽しむのに、キャラクター達に逆恨みされかねないけれど。


「深雪さんの気持ちは尊重するよ。でも、智花さんのお見舞いには毎日行くって決めたんだ」

「毎日……!?はぁ、やっぱりしっかりしとけば良かった」

「しっかり?」

「邪魔者はしっかり排除しとくべきだったってこと。これ以上宗太君の人生を他人に渡す訳にはいかないもん」

 状況が違えばとても嬉しい言葉だが、今は正気を疑う。実の姉だぞ?確かにこうなったのは、深雪さんがパニック状態に陥ったせいでもあるのに。

「どうしたの?顔色悪いよ?冷えちゃったかな、おいで♡」

 呆然と立ち尽くす僕を迎え入れるかのように手を大きく広げる。僕が胸に飛び込むと思っていたのだろう、不思議そうな顔をしながら深雪さんの方から抱きついてきた。

「ずっとこうしたかったんだ。あったかいね♡」

 この心音は僕のか、それとも深雪さんか。ドクンドクンと伝う振動と背中を触る二つの手。

 ちっぽけな僕の世界は、彼女の腕の中というブラックホールに吸い込まれ、光や時間といったそれまでの理性を圧倒的重力でもって消滅させ、取り込んでゆくのだった。

 深海のように静かな彼女の腕によって区切られた完結的世界は、「原始時代の人間は男と女と男女の三種があり、それらはいずれも背中合わせで二体一身、すなわち、男男・女女・男女であった」と息巻いたアリストファネスの演説をさえ思わせた。

 ならば深雪さんこそが、神によって切り離されたなのかと自問するも、答えは深淵しんえんへと落ちてゆくばかり。

 それはもはや一つの考えにこだわって、事の善悪を見極める力は失われた瞬間でもあった。

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