第53話 司書により刻印された偶像

 再び智花さんの病室へ入ると、身体を起こして、窓の外を眺めていた。絵になる、というのはあまりにも失礼だが、均衡の取れないであろ彼女の瞳には何が映されているのだろうか、作家ということもあり、僕とは全く違った世界がそこには展開されているのだろう。

「どうかしました?」

「あ、宗太君、まだ居てくれたんだね」

「眠たくなったら言ってくださいね」

「何してくれるのかな~?」

「帰るだけです」

「もう、つまんないよ~」

「もう少しの辛抱です」

「宗太君お医者さん?」

 彼女はどこまでもお姉さんだった。きっと子どもであれば病院の無機質さに耐えられないし、大人であっても退屈だろう。それだけならまだしも、痛み止めを摂取しているとはいえ、片目を切り裂かれ、失明する肉体的・精神的苦痛は計り知れないものがある。

 それなのに、彼女はいつまでもニコニコとしていた。まるで中二病患者の如く、ただ眼帯を付けているに過ぎないかのように。


「私ね、あの出来事は鮮明に覚えてるんだ」

「…………」

「もちろん、深雪とは大きな溝が出来たよ。でもね、一つだけいい事もあったんだ」

「いいこと?」

「フフッ、いい事なんてあるもんか、みたいな顔してるね」

「だって……」

「そうだね、この目はもう何も映さない。でも、あの子に切られて、血で何も見えなくなる瞬間に、つまり最後に見たんだ」


 ―私の目を見て、泣き叫ぶ宗太君を―


「え………」

「今でもこの眼帯の奥には宗太君が焼き付いているんだよ。私のために泣いてくれた、私のために心配してくれた、私にしか見せなかったあの表情が」

 まるで智花さんの口調、そしてその内容が過激になってゆくのを測定してかのような医療機器に表示される数値が変化する。今なお視力は健在であるもう片方の眼に力が入るのに合わせて、心拍数も上を下への大騒ぎ。

 気づけば看護師さんと医者が僕らの間に割って入り、智花さんをなだめつつ、謎の医薬品を投与する。

 落ち着いてくださいという医者の言葉もまた、どこか落ち着きのないものだった。この無機質極まりない部屋において、外見上、落ち着いているかに見えたのは僕一人だけだった。


「氷室さんはまだ精神的に万全とは言えません。あまり刺激なさらないように」

「はい」

 医者の言葉を聞いた僕がお咎めを受ける。世間というものは大抵そういうものだと屁理屈をこねていると、またもや、来栖くるすと鉢合わせた。大きな病院に見えて、案外、そうでもないのかもしれない。


「また会いましたね」

「そうですね」

「ところで、そちらの、氷室さんはアナタのお知り合いですか?」

「はい……何と言っていいのか分かりませんが、知り合いには違いありません」

「なるほど?ちなみに、この方が例の?」

 例のかと聞いているのだろう、小声で言ってはいるが、智花さんに聞こえるかもしれないので、ぶっきらぼうに「いえ」とだけ答えた。

「なるほど。実は、心療内科の私も呼ばれましてね。アナタと彼女の関係性といい、これはもう一度お話した方が良さそうだ、という事でして」


「みーつけた」

「深雪さん!?」

「こんなところに居たんだね。それにコイツも。じゃ、宗太君、帰ろ♡」

「いや、先生と話す必要が……」

「おや、貴女あなたは。なるほど、氷室さんは貴女のご家族でしたか」

「………いこ、宗太君」

「でも」

「やぶ医者に話す時間があったら、二人っきりでいようよ」

「やぶ医者とはいただけませんね」

「宗太君以外はみんなクズなんだから仕方ないでしょ」

 捨て台詞とともに、いつもと様子の違う深雪さんは、僕の腕を引っ張って、病院を後にした。

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