第50話 真実を映さぬ瞳

 その日僕らは恋人となった。

 恋人というのは実に曖昧な繋がりだ。結婚のように規定はなく、友人のように気楽でもない。これでは自然消滅や浮気が横行してもおかしくはない。

 さりとて、僕は一抹の安らぎを求めて深雪さんの願いを受け入れたに過ぎない。

 最後のチャンス、彼女はそう表現したが、恋人となれば、以前と違って、椅子に堂々と座ってただ彼女に任せておくという、彼女の言葉を借りるならば、司書やメイドのように応対するのは難しくなる。


 つまるところ、崩壊した僕らの関係を、お互いに新たな一ページとして描き出す、それこそが恋人としてのふるまいなのだ。

 僕は深雪さんが好きだ、しかしそれは、他に女性を知らないから。

 深雪さんは僕が好きだ、しかしそれは、他に男性を知らないから。

 互いに無知である事を知っているがために、世間との違和感を慰め合い、より強固なを創造する。

 かつては、僕の読書に重きを置き過ぎていたが故に、世界のバランスが崩れ、失楽園となったのだった。


 再建にあたって、僕にはしなければならない事がある。

 その一つは、改めて京子さんにお礼を言うというもの。

 深雪さんとの生活が再び破綻するかもしれないのは承知だが、少なくとも僕の心を破綻させずに、こうして大手を振って街を歩けるのも、すべて京子さんのおかげだ。

 なのに―――――


「明智君、やっぱりその子には近寄らない方がいいって!」

「彼女も、もうあんな事はしないって言ってますし、僕だって経験則的に回避できると思うんですよね」

「…………明智君、それってさ」


 違う。


 次に行く場所は彩香の入院している病院。

「あ、起こしちゃった?」

「ううん、来てくれてありがと、お兄ちゃん」

「傷はまだ痛い?」

「治療してもらったし、痛み止めも飲んだから平気だよ、たぶんあと数日もすれば私たちのおうちに帰れると思うの。お兄ちゃんとまた二人で暮らすのが楽しみなんて、何だか他人みたいだね」

「そうだな…………」

「もう深雪さんとは会ってないよね?」

「いや…………付き合うことになった」

「どうして!?」

「彼女のしたことは問題だけど、やっぱりあの生活が懐かしくて」

「お兄ちゃん、そういうの何て言うか知ってる?」


 彩香まで………!


 最後はまたもや病院だが、智花さんのお見舞いだ。あの一件以来、一度も顔を合わせてはいない。一番の被害者だっていうのに。

「失礼します」

 どうやら眠っているようだ。からかったような口調が今にも聞こえるようだが、やはり静かにしている方が美人さが極まって魅力的かもしれないな。

 僕はどうやっても償うことができない。正直、今日ここに来るのも相当ためらった。


 あの日、ホテルマンの背後に潜んでいた智花さんは、扉が開くやいなや、深雪さんに跳びかかったものの、深雪さんが隠し持っていた包丁が、智花さんの右目を切りつけたのだった。

 ホテルマンは突然の凶行に恐れおののき、深雪さんの方も呆然としていた。

 半ば発狂した僕やホテルマンに驚いて、深雪さんはその場を立ち去り、ホテルマンが僕の拘束を外した途端、僕もまた逃げ去った。


 そして気づけば僕は京子さんに拾われていたという次第だ。

 色白な素肌に被せられた痛々しい包帯と眼帯。あの時、僕が逃げずに冷静に対処出来ていたなら。

「宗太、くん」

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