死んだら彼女と同棲生活していた

よみの

死んだら彼女と同棲生活していた

俺はある日、ぽっくり死んだ。


就活に失敗し、コンビニバイトの毎日。

夜勤が終わった帰り道、俺は通り魔に刺された。


痛みはあまりなかった。多分、即死だったんだろう。

特に夢はなかったし、お金もなかった。

両親は他界してて、親戚もいない。悲しむ人は誰もいなかった。


正直、退屈な日常に飽き飽きしていた俺は、嬉しささえ感じた。






ーーーーー






ピピピピピピピピピ



目が覚めると、そこは誰かの部屋だった。



あれ?俺は死んだはず……


「おはよう、はるくん!」


……はるくん?


重い目をこすって声の主を見ると、女の人がこっちをみてニコニコしていた。


「そんな驚いた顔しないでよ!彼女だよ?同棲生活は2日目だけど。」


彼女、同棲生活、俺には縁のない言葉だ。何がどうなっているのか分からない。


「朝ごはん出来てるから、準備できたらリビングきてね。」


女の人はそう言って、部屋から出て行った。


俺は死んだんじゃなかったのか?

でもこうして生きている。

ふと頭に血がのぼるような感覚に襲われた。


記憶のようなものがどんどん頭に流れ込んでくる。



俺は下田しもだ春樹はるき……というらしい。

さっきの女の人は、小山田おやまだ里歩りほ。3個上の彼女で、大学からの付き合い。卒業と同時に、同棲生活を始めた。


これがいわゆる“転生”というものなのか。

にしても前の俺とかけ離れていて、やっていけるのか心配すぎる。

彼女なんてできたことのなかった俺が、彼女と同棲生活なんてできるのだろうか。



「お、おはよう。」

「はるくん、やっときた!早く食べないと仕事遅れるよ。」

「うん、ありがとう。り...りほ。」

「あはは。どうしたの恥ずかしがっちゃって。」


ふわりとした黒髪のボブ。切れ長の目に整った鼻と口。透き通るような白い肌。彼女は華やかで、品があった。

ドキドキして目を合わせられず、慌てて味噌汁を流し込む。

手作りの料理なんていつぶりだろう。


「美味しい。」

「ほんと!?嬉しい!お嫁行けるかな〜なんてね。」


彼女は少し頬を赤くして笑った。

誰かと一緒に食べるご飯はこんなに美味しいのか。

味噌汁のお碗がぼやけてきて、慌てて目をこすった。



支度をして、彼女と家を出る。

職場は違うが、方面が同じなので同じ電車に乗った。

電車は満員で、自然と彼女の距離が近くなる。

すると俺のシャツの袖をきゅっと掴んできた。こっちをみて口を動かしている。


「ち」「か」「 ん」


袖を掴む手は少し震えていた。

周りを見渡すと、斜め横にいたサラリーマンが、やけに彼女に近かった。


「ちょっとごめん。」


俺は小声で言うと、彼女の肩を抱き寄せて向きを変えた。

サラリーマンは俺を見て小さく舌打ちすると、次の駅で降りていった。


我に帰り、彼女を抱き寄せたままだったことに気付いた。俺は慌てて離す。


「わ、ごめん。」

「そのままでいいのに。」


彼女ののいたずらな笑顔が、やけにドキドキした。





仕事が長引いて、帰る頃には外が真っ暗になっていた。

彼女は帰ってきてるだろうか。

緊張しながら、玄関の扉を開ける。


「おかえりー!お疲れ様。」

「た、ただいま。」


おかえりの声が聞こえるのが嬉しくて、なんだかくすぐったい。


下田春樹の記憶はあるものの、初めての仕事に慣れず、てんてこまいだった。慣れるまで毎日こんな感じなのだろうか。俺の先行きは不安だった。


彼女が冷蔵庫からビールを持ってくる。


「疲れた?まあとりあえず飲もう!」


美味い。仕事終わりに誰かと飲むビールは最高だった。


「仕事終わりに誰かと飲むビールは最高ー!あ、何笑ってるの?」

「いや同じこと考えてたから。」


彼女と同じことを考えていたのが嬉しい。


「はるくん、今日はありがとね。」


朝の痴漢のことか。


「私ちょっとびっくりしちゃった。前はその場でギュッとしてくれただけで……それでも全然よかったんだよ。でも、今日のは嬉しかったな。」


そういえば、彼女が痴漢にあったときに、何もできず抱きしめることしかできなかった思い出が、記憶の中にあった。


「できるなら通報したかったけど……ごめん。」

「ううん。はるくん、同棲して何か変わった気がする。」


危なくビールの缶をひっくり返しそうになった。


「はるくんって口数少ないし、何考えてるか分からないこと多くて、本当に私のこと好きなのかなって思ってた。今日の電車のこともそうだし、美味しいとか、ありがとうとか、ストレートに言ってくれるとさ、同棲して良かったなって思うよ。」

「……そ、そっか。」

「あ、ごめん余計なこと言ったかも。酔っ払ってるね、私。もう寝るね。おやすみ。」


彼女が部屋から出ると、じわじわと罪悪感が芽生えはじめた。


俺は、下田春樹として生きてていいのだろうか。

春樹としてうまくやっていくことしかを考えていなかったけど、それは里歩を騙してることにはならないだろうか…。



週末は、一緒に家具を買いに行った。


あちこち歩き回って疲れたけど、彼女の楽しそうな顔を見ると、何もかも許せるような気がした。


仕事終わり一緒にビールを飲むのは、日課になった。クイズ番組を見ながらどっちがコンビニ行くか賭けあったり、映画を見たり。徹夜してゲームをすることもあった。



ーーーーー



窓から見えた桜は、花を咲かせていたことをすっかり忘れたように、青々と生い茂っている。


里歩と過ごす日常は、あっという間に過ぎていった。


俺はこの日常が楽しくて心地よくて、幸せで、いつの間にか里歩を好きになっていた。



「何書いてるの?」

「健康診断。もうすぐだからダイエットしなきゃな〜。」


どこかで蝉がないている。子供が外で遊ぶ声がかすかに聴こえた。


「はるくんはまだ若いからいいよね。何も引っかからないでしょ。私はおばさんだからさ、毎回ドキドキだよ。」

「3個しか変わらないけど。」

「3年で体は変わるからね、はる坊。」


はる坊ってなんだよ笑。

思わず口元が緩むと、里歩と目があった。

里歩は俺を見て、にっこりと微笑んだ。


もう里歩と出会って4ヶ月が経とうとしていた。


下田春樹として里歩と過ごす時間が増えるほど、後ろめたい気持ちは膨らんでいくばかりだった。


ーーーーー



その日は、どしゃぶりだった。


「ただいま。」


里歩はまだ帰ってなかった。

早く帰ってこないかな。

今日は、里歩の好きないかそうめんを買ってきた。「いか買ってあるよ」とラインを送って、里歩を待った。



雨音の中に、鼻をすする音が聞こえるーー。



いつの間にか俺は寝てしまっていた。


目が覚めると、里歩が座っていた。


「どうした?」


里歩の目が赤い。

少しの沈黙の後、里歩は口を開いた。


「はるくん、別れたい。」


寝起きで頭がもうろうとしている。

何か言わなきゃと思うけど、言葉が出なかった。


「いきなりごめん。はるくんは何も悪くないの。私の勝手すぎるわがまま。」


里歩と目を合わすことが出来ない。

聞きたいことがたくさんあった。


「理由が知りたい。」


里歩は俯いたまま、顔を動かさない。


「……ごめん、言えない。」



別れたくない、と言いたかった。


もしだったら……。


俺は下田春樹ではない。里歩を引き止める権利なんて無い。

別れたくないなんて俺には言えなかった。

でもせめて、最後に、自分の気持ちを里歩に伝えておきたかった。


「里歩、聞いて欲しい。」


里歩は、ぴくりと体を動かしたが、俯いたままだった。


「俺は、下田春樹じゃない。」


声が裏返りそうになるのを、必死でこらえた。


「信じられないと思うけど、俺は一度死んだ。それで目を覚ましたら、下田春樹という男になってた。俺は春樹になりきって、里歩を騙してたんだ。」


里歩はキョトンとした顔で、俺のことを見た。


「春樹として里歩と過ごす毎日が楽しかった。里歩を好きになった。ただただ幸せで、俺は里歩を騙すことになると分かりながら、打ち明けられなかった。この日常がずっと続けばいいのにって思ってた。……本当にごめん。」


話しているうちに情けなくて、消えてしまいたくなった。

雨音にかき消されそうになりながら、声を振り絞る。


「里歩が別れたいなら、もちろん別れる。俺に引き止める権利なんてないから。今までありがとう。そして…ごめん。」


雨音が強くなり、窓の軋む音が鳴り響いた。


「……はるくんは、はるくんだよ?」


里歩はまっすぐこっちを向いて話し始めた。


「同棲して変わったけど、どのはるくんも私が好きな人に変わりなかった。私は、今もはるくんが大好きだよ。」


里歩の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。


「別れたくない。でもね、はるくんにはもっといい人見つけて、幸せになって欲しい。」


悲しそうに笑う里歩は、今にも消えてしまいそうだった。


「言わないって決めてたのに、もうダメだ。はるくんのまっすぐさに負けた。」


そう言うと、里歩はカバンから封筒を取り出して机の上に出した。

封筒には“診断書”と書かれた紙が入っていた。


「私ね、余命2ヶ月らしいんだ。すい臓がんの末期で、もう手術受けても駄目みたい。」


2ヶ月……。

冗談だと言って欲しかった。 里歩が何をしたっていうんだ……。

周りの空気がなくなったかのように息苦しい。


「だからはるくんには、新しい人を見つけてほしいの。もうすぐいなくなっちゃう人と一緒にいても、幸せになれない。」


それは違う。里歩と別れる方が辛い。少しでも里歩と長くいたい。それが俺にとっての幸せなんだ。

頭に浮かんでも言葉にできない。

溺れてしまったみたいに苦しくて辛かった。


でも里歩に伝えなけばいけない。


「できるなら、俺は最後まで里歩と一緒にいたい。いさせてほしい。」


長い沈黙の後、俺は里歩にこう伝えた。

里歩は俺が喋るのを、ずっと待ってくれた。


そのとき俺の視界はぼやけて、もう何がなんだか分からなくなっていた。

でも多分、里歩は笑っていたと思う。





ーーーーー






ピピピピピピピピ




7時30分。窓を覗くと、枝には雪が積もっていた。

顔を洗い身支度を済ませ、写真の前で手を合わせる。


里歩がいなくなって2ヶ月が経った。


里歩と過ごす2ヶ月はあっという間だったのに、いなくなった後の2ヶ月はとてつもなく長かった。

里歩との生活は、夢だったのではないかとさえ思う。

俺の日常は退屈なものとなった。


でも、もう通り魔に刺されて嬉しさを感じることはないだろう。

里歩の分まで生きると決めたから。


里歩は、俺に生きる希望を残してくれた。


俺は下田春樹として生きる。

幸せにならないと、里歩に怒られちゃうし。


「行ってきます。」


鍵を閉め、いつのように満員電車に乗って出勤する。

外には昨日までの雪が嘘みたいに、きれいな青空が広がっていた。

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