予感
Ep.1
バイブレーションと無機質な音が僕の意識をゆっくりと呼び覚ます。
僕は首だけを動かして頭を上げると、まだ半分も開いていない目でスマホの画面を確認してアラームを止めた。
画面の白い文字は7:00を指している。
「学校か……」
僕は上げた顔をもう一度枕に突っ伏した。同時に脱力した右手からスマホが滑り落ちる。
枕からは少しだけ、人間の動物臭い臭いがしている。
少ししてまた顔を上げ、大きな深呼吸を2,3回したあと、上半身を起こした。
「ん〜……」というどこから発せられたかわからないような音を出したがら、頭を掻いた。
もう一度胸いっぱいに静かな部屋の空気を吸い込みながらのびをして、一気に吐き出した。
ここまでしたら、ようやく行動開始だ。
ちらっと頭よぎる昨夜の夢の断片を修復するように思い出しながら、僕はベッドから降りた。
「またか…」
僕はぼやくように言った。身体はほぼ無意識にハンガーから制服を外している。
いつからか見るようになった小さな夢。
何故か僕はいつも、誰かもわからない小さな女の子とお気に入りの展望台に向かっている。
今でもお気に入りの、家から少し行った山にあるあの展望台。
誰かと一緒に行ったことは一度もないはずなのに。
そんなことを考えながら僕は部屋のドアを閉めていた。
「ま、いいか。」
階段を降りて脱衣所に向かった。
雑にパジャマを脱いで洗濯機に突っ込んだあと、シャワーを浴びた。いつもの温度のシャワーは寝起きの身体には熱すぎる。
その熱さに慣らすように、少しずつお湯を身体にかけた。
身体が十分に暑さに慣れたと判断して、頭から一気にシャワーをかぶった。
肌の周りを包む一層の膜が剥がれて流れ落ちる感覚。
僕の意識はようやく完全に目を覚ました。
最後に顔をざっと洗ってお風呂場を出た。
タオルで全身の水を拭き取りながら、ため息をつくように息を吐き出した。
3週間ぶりに制服の袖に腕を通した。
今日から新学年だ。
なにか新しいことがあればいいなという期待が僕の胸を指す。
鏡の前で1分にも満たないポジティブタイムを終えた僕は、食卓に向かった。
食卓には、ベーコンを焼くいい匂いが広がっていた。
キッチンでエプロンを着た春香さんが料理している。
長い髪をシュシュで一つくくりにした、普通、母親にしてはかなり若い僕の義母は「おはよ」という僕の声に振り向いて「おはよ、雨くん」と言った。
「ちょうどできたところだから座ってて」
春香さんに促されて、席についた。
すぐに浅いお皿にのったホットサンドが運ばれてきた。
ベーコンとレタス、目玉焼きが食パンに挟まれている。
「いただきます」と言ってかじりついた。
あっという間になくなったホットサンドに少し寂しさを感じながら「ごちそうさま」を済ませた。
まだ家を出るまでに少し時間があったから、ホットココアを作ってゆっくりすることにした。
洗い物を終えた春香さんもマグカップに紅茶のティーバッグを垂らしてテーブルについた。
「今日から新しいクラスだね。」
春香さんが話しかけてきた。
僕はこういう話が未だに少し苦手で、マグカップで顔を隠すようにココアを飲みながら「うん」と頷いた。
「早いもんだよね、お父さんと結婚したとき、雨くん10歳だったから…3年はもう経つのかぁ。」
「うん。そうなる。」
「お父さんも降りてくればいいのにね。」
春香さんは微笑んだ。
「昨日遅くまで部屋で仕事してたみたいだし、寝てるんじゃない?それか一睡もしてないか。」
「多分寝てない。と思うんだよね。」
春香さんは困ったような笑顔で言った。
そんな話をしているうちにマグカップのココアもなくなり、僕は時計を確認して席を立った。
「そろそろ準備してくる。」
春香さんは笑顔で頷いた。
バッグをとりに部屋に向かっていると、ちょうど階段を上がった横の部屋から父さんが出てきた。
僕は突然開いたドアに驚きながら、「おはよ」と言った。
「あぁ、おはよう」ひどいクマを目の下に作った父さんは、眠そうな声で言った。
左腕には真っ黒な猫が乗っている。「風もおはよ」僕が春香さんにも父さんにも言うのとは少し違う声色でそう言うと、風は「ニィー」と、答えた。
「寝たの?」
僕は父さんに尋ねた。
「いや…」
父さんは頭を掻きながら答えた。
「書くのに没頭するのもいいけど、ちゃんと寝てよ?春…母さんも心配してたし。」
「そうか、すまんな。」
「それ母さんにもいいなよ?」
腕の中の風が、僕たちの会話に飽きたとでも言うように暴れだし、飛び降りた。
風はそのままさっと廊下を走って僕の部屋のドアを掻きだした。
「じゃあ、準備して学校行ってくる。」
僕がそう言うと、父さんは少し言葉に迷ったあと
「今日から2年だよな、頑張れよ。」
と言った。
僕は少し驚いたが素直に頷いて、部屋のドアを開けた。
同時にそれを待ちかねていた風が勢い良く部屋に飛び込んだ。
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