39. Afterwards 〜恋心〜
不意に意識が浮上して目を開けると、見慣れない寝台に寝転んでいた。肌に直接触れるシーツの感触で、自分が何も身につけていないことに気づく。左腕に何か温かい重みを感じて、そちらに目を向けると、薔薇色の一対がこちらを見つめていた。
「おはよう」
女性にしては柔らかいが、やや低いその声と、面白がるような笑みに思考が固まった。固まったままの彼の頬に伸ばされる腕は白く、その先も何も身につけていない。柔らかそうに揺れるその豊かな胸元に思わず目が釘付けになって、それどころではないことに気づいた。
「あんた、何やってんだ、こんなところで?」
「既成事実風な演出をしてみようかと」
にこやかに答えたその内容は常の如く意味不明だ。
「……『風』ってことは、事実には至ってない、って
「残念ながら、そういうことだね」
その美しい顔ののった左腕を引き抜いて身を起こすと、深いため息をついた。
「俺をひん剥いたのもあんたか?」
「そうだよ」
「……理由を聞いても?」
「『盟約』の破棄と更新が完了したときに、あのあたり一帯の魔力の力場が乱れてね。危なそうだったから、イーヴァルが全員まとめてこちらに連れてきてくれたんだけど、君は
それから、十日ほど昏睡状態だったという。土と埃にまみれた服のままではということで、脱がされた挙句そのまま寝台に放り込まれていたらしい。何で下着まで引き剥がされていたのか、その理由は不明だが。
「それにしても、無茶をしたものだね。元々君の魔力は
「別にそれでも構わなかったんだよ」
こぼれた本音に、アストリッドは呆れたような、哀れむようなそんな複雑な眼差しを向けてくる。
「あいつを守れるなら、それでもよかったんだ」
「それであの子が悲しんでも?」
「そうすりゃ、少なくとも俺のことを忘れないだろう?」
その心に傷を負わせたかったわけではない。それでも、手に入らないのならせめて自分を刻みつけておきたかった。たぶんそれは、ただの
「あんたは俺がどれほど独善的か、よく知ってるだろう?」
だが、アストリッドは愛おしむように、彼の頬に手を伸ばして笑う。
「君が独善的であったことなんて、一度もないよ」
顔を引き寄せて、額を合わせる。
「君は、いつだって誰かのために全力で自分を捧げてしまう。あの子をそれほどに想っているのに、あの子自身と他の誰かのために、諦めようとしてしまう。なのに、全身全霊をかけて守ろうとする。それほどに愛されて、心を動かされない者なんて、いないんだよ?」
まあそれでも、と不意にひどく優しく笑う。
「諦めるというのなら、私にしておいてはどうだい?」
一度離れ、身を乗り出して、その白く美しい腕を彼の肩にかける。顕になった胸元には、やわらかそうなふくらみが揺れ、その瞳は明らかに誘うように妖しく揺らめいている。一糸纏わぬ姿のまま彼の膝の上に乗り、間近に視線を合わせる。
「一応、この容姿は男性には魅力的に映るらしいよ?」
触れる素肌も、柔らかに流れる淡い金の髪も、すべてが完璧に美しい。
——だが。
「何とも言いにくいんだがな、アストリッド」
「何だい?」
「あんたじゃ勃たねえみたいだ」
「うわあ、率直だねえ」
言いながら遠慮なく彼のその辺りを覗き込み、ぴくりとも動かないそこに呆れたような視線を向ける。慌てて掛布でその視線を阻む。
「恥じらいとか慎みとかはねえのか、あんたには!」
「君が言い始めたんじゃないか」
やれやれとため息をつく。
「こんなに魅力的な女性の体を前にして反応しないなんてねえ。じゃあ、もしここにいるのがあの子で、同じように迫ってきたらどうだい?」
言われ、あの夜見た流れる銀の髪と、こちらを見上げる潤んだような眼差しを思い出す。そして、今や女性に変わった柔らかなその身体を寄せて、彼の名を呼ばれたら。
「うわあ、率直だねえ」
掛布を剥いで、彼のそこを眺めながら全く同じ台詞を別の意味を持って呟かれ、慌ててその手を振り払う。
「あんたなあ……!」
深いため息をついて、それから相手を恨めしい気持ちで睨みつける。
「だいたい、あんたが俺を巻き込んだんだろうが」
「巻き込んだと言っても、せいぜいこちらにあの子が来た時に、助けて上げて欲しいとその程度だったのに、まさか君がそこまで深く真剣に恋に落ちてしまうなんてねえ」
驚いたよ、と他人事のように言う。
「イングリッドが、俺は
「君はあの子が、ただ単に面白がって人をからかうためだけに、どれほど呼吸をするように嘘をつくか、もう忘れてしまったのかい?」
それこそが、彼があの女を魔女と呼ぶようになった理由のはずだったのに。
「精霊ってのは言霊を大切にするもんじゃねえのか?」
「だからこそ、あの子は例外なんだよ」
「あんたと同じように?」
「まあ、性質は違うけれど、私たちがはみ出し者なのは、間違いないね」
二人は同じ森の中で、同じ時期に生まれたのだという。容姿は全然似ていないが、その破格の力と——意識的にか無意識的にかは別としても——人を振り回す本質はよく似ている気がする。
もう一度深いため息をついた彼に、アストリッドはそれでも柔らかく笑う。
「つまりね、君の想いは君だけのものだ。私の願いも呪いも、君には及ばない」
「どういう意味だ?」
「それほどに惹かれるのは、君がそれだけあの子を強く求めているから、ということだよ。そろそろ素直になりなさい」
まっすぐに薔薇色の一対が彼を見据える。
「君はもっと我儘になっていい」
いつか、彼があの相手に言ったのと同じような言葉をかけてくる。
「叶わないならそれでもいいじゃないか。それでも、君が抱く想いをあの子に告げるのを阻むものは何もないよ。黒狼の里が滅んだのは君のせいじゃない。君が負い目を感じる必要なんてないんだ」
「それは……」
「私の用意した祝福は、あくまでも可能性の一つだよ。確定した未来じゃない。君の先見視と同じようにね。祝福として叶わないからと言って、彼の未来が閉ざされるわけじゃない」
彼だって、もういい大人だからね、と悪戯っぽく笑う。
「だからね、
「そうやって煽って、どうするつもりだ?」
「ああ、気づいたかい? ふられて戻ってきたら、その時こそつけ込もうと思ってるんだ」
そうしたら、今度こそ君は私の優しさによろめくだろう? とにこやかに微笑むその顔は、あっけらかんとしていて、本音なのか冗談なのか区別がつかない。この相手のことだから、きっと本気なのだろうが。
ため息をつきながら、寝台から起き上がり、用意されていた衣服を身に着ける。記憶にはないが、十日も眠り続けていた体を伸ばすと、全身に一気に血が巡ってくらりと目眩がした。
「行くのかい?」
「まあ、会いに行くだけはな」
「往生際が悪いね」
「歳をとるとな、臆病になるんだよ。あんたと違って俺は繊細にできてるもんでな」
「人間たちの言葉にいい慣用句があってね」
「……何だ?」
「『当たって砕けろ』って言うらしいよ」
楽しげに言うその顔に、文句を付けようとしたその瞬間に、視界が歪み、気がつけば見知らぬ場所に立っていた。
目の前には白い建物がある。その形状から、それが「祈りの家」と呼ばれるものだと、彼は知識として知っていた。
その入り口から、もう見慣れたその人影が現れる。彼女は彼の姿を認めると、驚いたように目を見開いて、それから嬉しそうに笑う。その笑みだけで、心臓が不規則な鼓動を打った。それが、特別な意味を持つかどうかさえ判然としないのに。
「あーもう」
この歳になってこんな感情に振り回されるなんて、予想外もいいところだった。しかも、あの精霊のせいではなく、これは彼個人の感情なのだと突きつけられてしまっているから逃げ場がない。
呟いたまま、動かない彼に、彼女の方から駆け寄ってくる。その姿を見て、なおも迷う己を自覚する。
——さて、どうしたもんかな。
未来を視る力を失った今、目印となるものさえない。想いの行方に戸惑いながら、彼は彼女がこちらにたどり着くまでの、そのほんのわずかな間に、決意を固めるより他なかった。
+++++++
This story seemed to be continued..
* The main story afterwards: Go to Next episode
* The other possibilities: https://kakuyomu.jp/works/1177354054935354814
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