22. Missing link 〜先見視〜 #1
初めてその夢を見た時は、ただの悪夢だと思った。
色とりどりの炎に包まれる山、一瞬で燃え尽きて焼け焦げた影となる人々、荒れ狂い街ごと飲み込む大きな黒い津波。人々を村ごと飲み込むほどの地割れ、淀んで周囲に毒を撒き散らす大河と泉。
最初にその夢を見たのは十歳の時だった。すでに世界は人間と精霊やその他の種族の戦が激しさを増しており、多くの命が失われ、大地もあちこちで汚染が広がっていると聞いていた。幸いなことに、彼の住む村は人里離れた北の森の奥にあり、戦乱とは無縁だったが、それでも胸を覆う黒い予感は常につきまとっていた。
「爺さま、俺、ときどき変な夢を見るんだけど」
数ヶ月に一度、繰り返されるその夢が、ついに五回を数えたところで、彼は音を上げた。びっしょりと汗をかいて目覚めるなり、村の古老であるヨルンの元へ駆け込み、彼が見た夢の内容をあらいざらい語った。
顔も手も皺だらけで、もはや古木かと見紛う古老は、ただ静かに聞いていたが、話が進むにつれてその眼差しだけが鋭く厳しくなっていく。始めは勢い込んで話していた彼も、その険しい眼差しを受けて、声がしりすぼみに小さくなっていく。だが、古老はさらに先を促した。
「全て話しなさい」
いつになく真剣なその雰囲気に気圧されながらも、全てを彼が語り終わった後、しばらく何やら考えこんでいた老人は、これは大変なことかも知れん、とぽつりと呟いた。
それからじっと彼の眼を見つめる。
「夢は別として、白昼夢のように何か変わったものが見えることはあるか?」
「……特にない、と思う」
「ふむ……そうか。だが、儂の予感が正しければ、お前のその青い瞳は
「気をつけるって、どうやって……?」
端的に尋ねた彼に、古老は肩を竦めて笑う。
「ふむ、確かにな。ただ、先見視というものはいくつかある可能性のうち、もっともありそうなものを見せているにすぎん。それは確定した未来ではなく、可変なのじゃ。今は、それだけ覚えておけばよかろう」
「それってただの夢とどう違うの?」
「夢はただの幻じゃな。先見視で見えるのは、お前の中に宿る力が見せる運命の破片じゃ。そこには必ず意味がある。どうやら、お前は運命を変える稀有な力を受け継いだようじゃな」
古老の言葉は曖昧で意味不明だったが、何かしら彼の心に重い石のような物を落とした。運命など、たかだか十年しか生きていない少年にとっては、実感しようもなかったのだが。
だが、ある日、否が応でも彼はその意味を理解することになる。
それは彼が十五歳になった年のことだった。
「またか……」
悪夢で目を覚ますと、身体中が汗でびっしょりになっていた。あまりに真に迫るその光景に、起き上がってからも背筋が震えた。
十日ほど前から同じ悪夢を見続けていた。それは彼の村が、大きな地割れに飲み込まれる、というものだった。ただの夢だ、と自分に言い聞かせて、だが十日も続いたそれに、さすがに彼も恐れを抱かずにはいられなかった。ヨルンが語った
家を出ると、いつかのようにヨルンの元へまっすぐに向かった。彼の顔を見て、普段は飄々とした表情を崩さない古老は、顔をしかめる。
「悪戯の告白にきた、というわけではなさそうじゃの?」
「そんなのしてもしょうがないじゃないか」
だが、そう言った瞬間、目の前に鮮やかな光景が広がった。明るい日差しの下、突然地面が激しく揺れ、ぱっくりと大きな亀裂が広がる。そこに、人も家も全てが飲み込まれていく。
顔色を変えた彼に気づいたのか、ヨルンは彼の肩を掴んで厳しい表情になる。
「何を見た?」
「村が……地割れに」
「いつじゃ? 日のあるうちか、夜か?」
「明るかった……と思う」
「一刻の猶予もならんな。お前の父親に伝えて、村全員、レンヴィスの丘へと集まるように触れ回ってくれ。今すぐに、全員じゃ」
「でも……」
「何もなければそれでいい。だが、何かあってからでは遅いのだ」
ヨルンも言いながら立ち上がっている。思いの外その身軽な動きに押されるようにして、彼も走り出した。
あるものは仕事を邪魔されて不機嫌そうに、あるものは何か感じるところがあるのか、素直に彼と彼の父の先導に従って、丘の上に集まった。しばらくは何も起きなかった。数時間して、昼過ぎになった頃、何人かが村に戻る、と言い始めた。ヨルンも彼の父も止めたが、それでも何の根拠も示されずただそこにいることに飽いた半分ほどの人々が、村へと戻っていった。
ヨルンは、彼に何か言いたげな目を向けたが、彼は言うべき言葉を持たなかった。ただ夢を根拠に彼らを止められるとでも——?
——だが、それは起きた。
一瞬、何が起こっているのか理解できなかった。立っていられないほどの激しい振動で、誰もがその場に膝をついた。そして、丘の端、崖の上から村を見た人々は、ただ呆然とした。
そこには、まるで誰かが戦斧で大地を叩き割ったかのような、大きな亀裂が口を開けていた。村の半分がその穴に飲み込まれ、消失していた。
「何……これ?」
「どこぞの精霊が阿呆な力を使いよったか」
ヨルンが険しい顔でそう呟くのが聞こえた。
「どういうこと?」
彼が尋ねたが、古老はただ痛ましいものを見るような目で村を見下ろし、皺だらけの手で顔を覆った。その瞬間、彼は自分の過ちを悟った。
丘の上から見下ろす限り、それはぽっかりと大きな穴にしか見えない。だが、その穴の中で確実に失われた生命がある。それも、少なくない数の。何があっても止めなければならなかった。なぜなら、彼はすでにその未来を視ていたのだから。
「俺の、せいだ……」
その場に膝をついた彼に、だが静かな声がかけられる。
「いいや、これもまた、運命だ」
「だって……俺は、知ってたのに」
「否、お前は視ただけだ。この悲劇を引き起こしたのは、別の何かじゃよ」
見上げると、古老はもう顔を覆ってはいなかった。ただ、深い悲しみを宿した眼で眼下の穴を見つめている。
「別の何か、って何……?」
こんな、あまりに簡単に多くの命を奪ってしまうような何かとは。ぎり、と唇を噛んだ彼に、ヨルンは深いため息をつく。
「お前も知っているだろう。この村の外では、世界中が戦乱の炎に包まれておる。人間と精霊やその他の人ならざる者たちが意味もなく争いを続けている」
「何で……」
「さてな。生き物というのは、放っておけば争わずにはいられないのかも知れぬ」
「そんなわけないだろ⁈ 現にここは平和だった」
「そうさなあ……」
煮え切らない古老の言葉に、ただひたすらに怒りが湧いてくる。それが自分に向けられているものでもあることに、彼自身も気づいてはいたが、そうでもしなければこの目の前の惨状に、心が耐えられなかった。
丘を下り、裂け目に近づいて、人々の絶望はさらに深まった。穴は遥かに深く、下まで降りるのは相当に難儀しそうだった。家族の姿が見えない者たちの中には、穴に飛び込もうとする者たちまでいた。
だが、呻き声一つ聞こえないその深い穴の底に飛び込んだとて、救えるものなどないことは、誰の目にも明らかだった。
「爺さま」
「何だ」
「あれもいつか起こるのか」
その亀裂を眺めながら、ヨルンと並び立ち、彼はそう問いかけた。
数ヶ月に一度、訪れるいくつもの破壊の夢。その破壊の様子は、変わらないようで、少しずつその度合いを増していた。最初は森一つ、山一つであった惨状が、夢を重ねるに連れて、次第にもっと広がっていっている。いつか、世界の全てを滅ぼすほどに。
「かもしれんな」
静かな答えに、ぎり、と唇を噛み、拳を握り締める。
「——どうすればいい?」
短い問いに、だが、ヨルンは全てを理解しているかのように、静かな眼差しを向けてくる。
「いつ起こるのか、どこで起こるのかさえわからぬままでは、何もできぬな」
「だからって……!」
激昂した彼に、だが、古老はただじっと彼を見つめる。それでも彼の表情が変わらないことを確認すると、ひとつため息をついた。
「そもそもお前の視ている悲劇は、この戦に関わっているのであろう。であれば、最も確実なのは、世界各地で起きている戦を全て終わらせることじゃろうな」
「そんなこと、できると思う?」
「北の果て、イェネスハイムへ行くがいい」
「イェネスハイム? そこに何があるんだ?」
「最も力のある精霊たちがおる。彼らに会い、そなたの視たものを伝えてこの先の未来を変える助力を請うのじゃ」
「聞いてくれると思う?」
「わからん。精霊とは気まぐれで高慢なもの。あとはお前次第だ、ロイ」
ふと、古老は面白そうに笑んだ。村一番の悪戯坊主が、まさかこの世の命運をにぎることになろうとは、と。
彼自身にも思いがけないその挑戦は、そうして始まったのだった。
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