Somewhere, Nowhere 〜ここではないどこかへ〜
橘 紀里
Ch.1 - Prologue
0. ここではないどこかへ
どうして、こんなことになってしまったのだろう、と考える。ただ、ほんの少し、理不尽ばかりが繰り返される日常を変えたかっただけなのに。
ぱしゃん、と水の中に踏み込む足音が聞こえた。外は雨だがここは屋内だ。水音がするほどに濡れるはずはないのに。
「酷い有り様だな」
その声は、確かに聞き覚えのあるものだったが、それでも思考が
「お前がやったのか?」
何を、と問おうとして声が出なかった。口を開くと、
それでも何とか周囲に目を向けると、数人の男たちが倒れているのが見えた。一様に、黒ずくめの衣装を身に纏っているが、その周囲には赤い液体が流れ出ており、その体にはもう命が宿っていないことが明らかだった。
記憶を探るが、霞がかったように何もはっきりしない。だが、曖昧な思考とは裏腹にどうしてだか「違う」とかすれた声で答えていた。目の前の影は、なるほど、と勝手に納得したように頷く。
「馬鹿な連中が無駄に殺し合ったのか。で、お前は、無害な連中をその水で眠らせただけか」
こくりとまた首が勝手に頷く。まるで
男は、じっと、何かを探ろうとするかのように、こちらを見つめる。
「ディル」
まっすぐな視線で、それが自分の名だと他人事のように思い出した。
「これがお前の望んだことか?」
「違う」
「なら、もう一度試すか」
「嫌だ」
否定の言葉ばかりが口からこぼれる。何が起きたかさえ定かではないのに、もう一度、というその言葉に全身が震えるほどの拒絶感を覚えた。
「……ガキが」
だから言っただろう、とごく小さく吐き捨てて、男はディルを軽々と抱き上げた。その拍子に、男の頬にまで血が跳ねる。それでも、彼は気にする風もなかった。
「できもしないことに首を突っ込むからこんなことになるんだ」
静かな声の中に、確かな怒りを感じ取って、ようやく思考がほんの少し
「イーヴァル」
「何だ」
間髪入れない返事に、迷う思考より先に口が勝手に言葉を紡ぐ。
「——たすけて」
深い藍色の瞳がこちらを睨むように見下ろしてくる。容易に想像できる拒絶の言葉の代わりに、青年は静かに頷いた。
「だから、最初からそう言えと言っただろうが」
そうしてディルを抱え上げたまま、男たちの死体を気にも止めずに大きく跨いで歩き出す。全身が氷のように冷えているのに、触れられている部分だけが火傷でもしそうに熱い。
そう感じたのも束の間、その意識は闇に溶けていった。
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