4
夜が明けきらない暁の空。木々の晴れた空の下にシルアの墓であろう墓石を見つめる。
──もう僕も十四になったよ、変わらない時間を六年も。
「キリュー、そろそろ帰らないと」
毎朝二人は就業開始まで、シルアの墓の前で黄昏る。そんな時、
『タスケ、テ』
刹那、地響きが起き、近づいてきていることが分かる。頭に響いた声は誰のものか分からない。鳥や小動物が逃げていく。逃げていく方向はキリユウ達が来た方向とは逆の方向。そして、揺れは収まることなく、悲嘆と呻きの声が響く。二人は声の元へと向かう。
奴隷達の牢まで来ると地響きは足音だと分かる。そして悲鳴は衛兵や奴隷達のものであった。
「ゔぁああ」
足元に滴る赤黒い液体。転がる人肉や臓物。その真ん中に立つ見上げるほどの大きな体の獣。人の血肉を貪り異臭が漂う空気。誰もが顔をしかめるであろうその光景は、シルアのことを思い出させる。四本の足や向け出た牙は赤く染まり、悲しみと怒りに帯びた瞳はキリユウを凝視する。歩み寄る重い足音。目前に迫るその獣の瞳から目を離さず見つめるキリユウの瞳には恐れはない。
「キリュー、下がって」
トーンがいつもより低いフィアナの声。草花が風で揺れる音がうるさく聞こえるほど、鳥達や小動物の声がなくなった。
「ヴォォァン」
威圧、戦意、殺意に爛々と満ちた瞳がキリユウ達を覗く。
「キリュー、
フィアナは以前、
そう定めたのは神か、世界か。この摂理は生きる人々へもたらす影響が大きかった。人より生命力が高く、
フィアナはキリユウの前に立ち、身構える。しかし、フィアナの瞳には恐れや恐怖の色がなかった。
「ねぇ、キリュー。三十秒、目瞑っててくれる?」
「殺すのか?」
おそらく、フィアナにはそれが出来る。この場を見て恐怖の色すら見せない。少しずつキリユウ達に歩み寄る一体の獣。しかし、
『タス、ケテ』
そんな声がキリユウには終始聞こえていた。助けを求める声、母を求める声、安楽を求める声。様々だが、この場に多く残留している。奴隷や衛兵は全て殺され、生命の流れを感じない。様々な粒子が重なり合い、黒く禍々しい粒子を纏う幻魔。キリユウは、行く手を阻むフィアナを横切り、獣に手を伸ばした。
「お前も悲しいのか」
その一言で獣は足を止めてた。キリユウは、獣の瞳をしばし見つめる。悲しみ、絶望、不安。様々な感情が入り混じり、殺意へと変わってしまったのだろう。
「キリュー?」
「殺さなきゃダメなの?」
「うみゅ。キリューは優しいね。それがこの子のためなの」
『ユウ、チャ』
「え、いまなんて」
数ある感情の中、確かに聞こえた声は何処か聞き覚えのある声。その声にフィアナは顔をしかめる。
「シルア、なのか。そこに、いるのか?」
『ユウチャ、フィ、ア』
幻魔に似合わぬ声。紛れもなくシルアの感情である。幻魔に近づこうとキリユウは歩み寄るが、フィアナが行手を阻む。
「フィア? シルアだよ。大丈夫だよ」
「シルアは死んだの。分かって、キリュー」
そういうとフィアナはキリユウの横に並び、瞳を閉じた。そして、フィアナを包むように星々のように輝く粒子が流れを創る。フィアナが瞳を開けると容姿が変わった。瞳は赤く染め上がり、白く長い尾と耳が付いていた。フィアナの包んでいた粒子は散り、獣にまとう。
「安らかに、眠れますように。
獣は瞳の輝きを失い、地に倒れた。残留していた感情も消え、残されたのは静寂と奴隷や衛兵の亡骸と血の池だけだった。
「なんで、シルアなんだよ。フィア、どうしっ」
これ以上は言ってわならないと悟った。振り向くと頬を濡らしたフィアナが立っていたからだ。
「もっとフィアに力があったら。大切な人たちを守れたのっ! 幻魔になんかしない選択肢だってあるはず、なのにっ」
声を荒げて泣き崩れ、地に膝をつくフィアナ。友の声をした幻魔を葬る事がどれほど苦痛か。
「ごめんっ僕の方が今も何もできずにフィアを犠牲にしてっ」
キリユウはフィアナを抱き締め、謝罪する。
──『生』と『死』の狭間に憎悪や嫌悪に心を奪われると、人は幻魔になるそうだ。
そんな言い伝えがあるそうだ。しかし、誰もがそれをただの言い伝えとして認識してはいなかった。実際に幻魔になった者と対話をしたことがある人もいる。対話を終えた後、終わりなき闇に囚われ、苦痛を共に味わう。という噂もあるほど、言葉を話し、惑わす幻魔はとても危険であり、希少でもある。それは、神の悪戯か、はたまた呪いの一種か。
死後をも鎖で心を閉ざされる世界。そう定めたのは神か世界か。この世界の行く末に何があるのだろうか。まだ、誰も知らない未知の領域。
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