第三話 Presage
モモさんのハロウィンライブから翌日。皧狐の事を話し合う為に私達は再び猫カフェへ集められていた。
それぞれの猫たちも揃って、私含め全員が姫李さんに視線を向けていた。
「皧狐について情報共有をするという事は、ボクたちの生存確率の上昇を意味する。しかしそれでは生ぬるいという事で、今からキミたちには戦う術を身に付けてもらう事にしたよ」
ライブへ行っている間、イズンさんは一人猫カフェを改装していたらしく、地下には新しくトレーニングルームなるものが設置された。
皧狐に襲われるかもしれないという不安に苛まれる事なく余裕を持って打ち込めるよう、禊猫守以外は入れないセキュリティも搭載しているらしい。
しかし私達が魔術の練習をするには一つの懸念があるだろう。
「あの〜、魔術の練習っていっても、皆それぞれ代償が付き物ですよね? その問題はどうするんでしょうか? そしてその代償の内容も、皆で共有しておいた方が良いと思います」
私達が扱う力は無条件で発現されているのではない。
一つに対して一つの代償を払う魔術なんだ。自力を込めて放つ魔法の類いではない。
「良い着眼点だねぇ、小夏。そうとも、猫巫女含めボク達は、ただRPGの如く魔術を己のポイントを消費して使っているのではない。だからこそ、代償たり得る代用物が、トレーニングにおいて必要不可欠だ」
「はい、魔術には代償が付き物。ですが、その代償を代替えする物があれば話は別。ですからトレーニングではケットシーからの魔力は使わず、その代わりとしてこちらを」
イズンさんから、小さな宝石の様な物が皆の手元に差し出された。
手渡された宝石をよく見てみると、ラオシャの肉球に描かれた紋様と同じ物が彫られているのが分かる。
「これはもしや、ルーン石ですの?」
宝石を眺めて勘づいた菜々さんにイズンさんが淡々と答え始める。
「はい。このルーン石が、今後のトレーニングに必要な代替え品となります」
「いや、この石ころから魔術を使っても代償は発生するんじゃねえのか? なんでこの石ころを経由すれば代償が発生しない事になる?」
なにやらいつもより慎重に、緋咫椰さんが問いかける。
少し言葉に詰まりつつも、イズンさんはそれに答えた。
「⋯⋯結論から言ってしまえば、ワタシ達を経由しない限り魔術の代償は発生しません。小夏の持っている天眼のモノクル同様、このルーン石に込められている魔素からであれば、代償を気にする必要はありません」
「ふ〜ん⋯⋯指で摘めるくらいの小さい石なのに、結構便利なんだな」
「ただし、このルーン石は使い切りです。そしてあまり生成出来るものでもありません。効率的な使用を心掛ける様にしてください」
「モモ、キミもこの石のおかげで遠慮する事なく魔術を扱える。良かったじゃないか?」
「⋯⋯」
姫李さんは怪しげに微笑んでモモさんに話しかける。
モモさんはそんなに乗り気ではない様だった。多少の笑みを浮かべて返事は返さず、無言で石を見つめていた。
まあ、戦いに向いてる人ではない事は、前回のライブで分かったもんな。
それにしても流されてる気がする⋯⋯皆の代償について。
姫李さんは知ってたりしないのかな?
「ね、ねえ姫李さん」
姫李さんの耳元で、コソコソと話しかけてみる。
「なんだね?」
「皆の代償ってどんなのなんですか?」
「そんなに気になる事かねぇ、でも、そうだね。例えばバナナの場合は⋯⋯もう払う必要が無い程の大きな代償を、既に支払っているよ」
「⋯⋯えっ?」
どういう事⋯⋯? と、考える前にイズンさんが話し始めた。
「ではこれからペアを組んで貰い、トレーニングに励んで貰います」
「ペア、ですか⋯⋯?」
何の意味が? と首を傾げて聞いてみる。
「そうとも。あ、ボクはトレーニングからデータを算出する係だから、残りの四人で組みたまえよ」
姫李さんは得意げにそう言うと、忘れ物をした様に颯爽とラボに戻っていった。
ペアか⋯⋯。良い思い出は無いけど、取り敢えず仲良くなってみたい人で組んでみようかな?
「えっと、じゃあ──」
「おいモモ。お前はオレと組め」
「あ⋯⋯うん。よろしくね、緋咫椰ちゃん」
ああ、忘れてた。菜々さんと馬が合わない以上、必然的にそうなっちゃうんだ。
「
「あ、あはは⋯⋯よろしくお願いします」
赤い髪を靡かせる菜々さんにペコッと浅い合槌を打ち、菜々さんの誘いを了承した。
「決まりましたね。では早速、これに着替えて頂きたいのですが」
そう言ってイズンさんがなにやら謎の衣服を取り出してみせると、今まで気分が沈んだ様子に見えていたモモさんの表情が一気に晴れやかになった。
「あ、それ! 出来たんだ、専用衣装!」
「専用?」
「はい、モモさんの提案で、私がコツコツと作り上げた力作ですよ」
と、イズンさんはふんふんと鼻を鳴らして自慢しながら、その衣服を広げて見せた。
えっ⋯⋯良い。電流が走った様な衝撃が全身に広がった。
見た目はアイボリーのパーカーワンピース、巫女服っぽい和風のデザインで、とてもこの服の魅力を引き立たせている。
「さ、触ってみても良いですかっ」
「お、さすが小夏ちゃん、分かっちゃう〜? この服の魅力が!」
身を乗り出して、服の生地を撫でてみる。
触り心地は凄く滑らかで薄い生地のような感触だ。
確かにデザインは良いけど、この時期には寒いんじゃないかと思ってしまう程に薄く感じた。
「これはただのワンピースでは無く、魔素を含んだ一本一本の糸で作った、見た目とは裏腹に攻撃への耐性のある衣服です。ワタシはこの衣服を
「なるほど!」
「フッフッフッフ⋯⋯小夏ちゃん、私には小夏ちゃんの考えが読めるよ⋯⋯実はこのパーカーワンピ、私の要望で、防寒にも優れる仕様にして貰ったんだよ! 見た目と生地の薄さに反して、とっても温かいんだよ!」
「ぱーかーわんぴではなく、祓命真依です」
「しゅきだ⋯⋯」
「これを着ておけば、今後もし皧狐に襲われても大丈夫ですわね」
「うんうん! しかも可愛いから映える事間違いなし! 勿論皆の分あるからね!」
「まあ、良いか⋯⋯オレには似合わないけど」
「今後はこのパーカーワンピを着て皆で活動⋯⋯! う〜ん、好き〜♪」
「祓命真依です⋯⋯」
✳︎
禊猫守全員、イズンさんが作ってくれた祓命真依を着た後は予定通り、トレーニングルームへと向かった。
トレーニングルームは二部屋あった。
姫李さんのラボの手前にあった部屋がトレーニングルームに変わっていたみたいだ。
それにしても部屋が均等に並ぶこの空間とか、よく見てみると、何故だろう。
姫李さんのラボに続く扉だけ浮いている様な、そんな違和感を感じる。
トレーニングルームは特に何も無く、広めの白い空間が青い照明に照らされているだけだった。
「思ったより広めですね」
「耐久性もそれなりにあるので、多少暴れても問題はありません」
「よし、モモ。早速オレのトレーニングに付き合えよ」
矢継ぎ早に緋咫椰さんが行動を取り始める。モモさんは緋咫椰さんに着いていくだけで大変だろうな。
もう片方のトレーニングルームに二人は歩いて行った。
「では、ワタシは表に戻っています。何かあれば呼んでください」
「あ、うん。ありがとねイズンさん」
イズンさんもそう言い残し、トレーニングルームを後にした。
「じゃあ、私も皧狐対策に何か技の一つでも考えようかな⋯⋯うーん」
「ワシの出番はなさそうじゃな、小夏」
ここまで口を開かなかったラオシャが、ようやく話しかけてきた。
そうだよね。修行には石を使うから、ラオシャが居なくても私一人で何とかなっちゃうもんな。
「まあでも、ここで鍛えたとして、実際は神衣を使って応戦するんだから、ラオシャとも修行したいよね」
「それは確かにそうじゃな」
せっかくだし、ルーン石を使うのはまた今度にして、今回はラオシャと息を合わせてみようかな。
「ねえ、ずっと思ってたんだけど、神衣の時に意識が同じになっちゃうのって、結構不便じゃない? 別々で話せるようにしてみようよ」
「ふーむ? 別々で話すとは、どうするのかの?」
「なんというか⋯⋯私の身体から分離してっていうか、ラオシャの精神が私の身体に引っ付いてる状態をイメージしてるんだけど」
「良く分からんが⋯⋯取り敢えず神衣になってみるか? ワシと小夏の代償は空腹じゃから、適度に腹ごしらえしておけば大きな問題にはなるまい」
「そうだね。とにもかくにもまずは神衣になってから試行錯誤してみよっか」
私たちの代償は空腹だ。
空腹、と言えば軽く聞こえるかもしれないが、この代償には限度が無い。
つまり、空腹の状態からさらに魔術を使い続けると、最悪の場合餓死してしまう。
物は言い様だが太らない身体になっていた。
「ちょっと、お待ちになってくださる?」
「あ、菜々さん」
ああ、この人を忘れてた。
あんまり言いたくはないけど、この人もこの人で緋咫椰さんと同じであんまり喋らないんだよな⋯⋯。
他の人に興味を示さない雰囲気があるから、話し掛けづらい所もあるし。
「私を忘れるなんてどんな神経をしてますの? 全く⋯⋯」
「あ、いえ、そういうつもりじゃ⋯⋯ん?」
「なんですの?」
「菜々さんって銃使うんだな〜と思って」
菜々さんの手に握られていたのは、豪華な装飾が施された一丁の拳銃だった。
とても人に向けて撃つような、ゲームで見かけるデザインをしていない為、あまり恐怖感は抱かない。が、拳銃は拳銃だから、その使用方法を想像すると眉間に皺が寄ってしまいそうになる。
「ええ、これは私の愛銃、ファルケですわ。ふふ、そんな物騒な物を見る目をしなくてもよろしいのよ。弾は込められていますが、人に向けて撃つ物とは違いますの」
「そ、そうなんですね。じゃあ、菜々さんは普段どんな感じで迷魂を返してるんですか?」
「ふっふっふ、良いですわ⋯⋯良いですわね小夏! もっと質問して良いですわ、小夏!」
私が質問すると、菜々さんは人が変わったみたいに高笑いをして上機嫌になり始めた。
「え? あ、ああ⋯⋯弾にはどんな効果が──」
「良くぞ! 良くぞ聞いてくれました!」
「急に人が変わったのう、此奴⋯⋯」
「え、ええ?」
食い入る様に距離を詰めて、菜々さんは私に銃を見せつけてくる。
他人との距離の詰め方選手権があったとしたら、下から数えた方が見つけられる人だとこの時思った。
「私の魔弾には三つの特性があるのよ。赤はティーレ、青はシュルツ、黄色はマース」
「へ、へぇ〜⋯⋯それぞれ効果が違うんですか?」
「あったりまえじゃない、例えば赤のティーレだったら──」
『力の増幅、だよ』
トレーニングルームに取り付けられているスピーカーから、姫李さんの声が響き渡った。
「姫李さん?」
「久木野さん⋯⋯いつからモニターしていらしたの?」
さっきの距離感のバグった態度から変わって、いつもの菜々さんに戻った。
『今さっきさ。ボクの趣味は人間観察と言っても過言では無いからねぇ』
姿は見えないけれど、冷酷に微笑む姫李さんの姿が目に浮かぶ。
少しくらい仲良くなれたと思っていたけど、やっぱりそうでも無さそうだ。
「良い趣味してますわね、本当に」
『う〜んそれほどでも。キミも、その見栄を張った皮肉キャラには慣れてきたのかな?』
「えっ、ち、ちょっとっ!? なにを⋯⋯!」
皮肉キャラ? 姫李さんは菜々さんの事を知っているのだろうか。
「姫李さん」
『どうしたんだい小夏』
「姫李さんはトレーニングとかしないの?」
『キミにとっては当然の疑問だねぇ。でも、ボクがトレーニングに励むとしたらそれは世界が滅びる時、だろうね』
「ふぅん、やけに自信があるのね。それならもし私たちがピンチになった時には、貴方は助けてくださるのかしら?」
『そんな状況にならない為にも、キミたちには力をつけて貰いたいんだけどねぇ。ほら、ちょうど小夏の後ろにある黒い穴も、トレーニングの賜物なんだろう? 早く見せておくれよ〜』
「黒い穴?」
ラオシャが首を傾げて言う。
いいや、私も菜々さんもそんな物は出していないはず。
そっと後ろを振り返ると、確かに人が通れそうなほどの黒い穴が空中に浮いていた。
ラオシャと話している間に菜々さんが出していたのか?
「な、なんですの、これ」
と思ったが、菜々さんもこの様子で知らないみたいだ。ならこれは⋯⋯?
『おや、もしかして⋯⋯』
「うふふ、正解」
黒い穴の先から、艶やかな女性の声がした。危機本能が一瞬で芽生え、その穴から即座に遠ざかる。
そしてもしかしてと思う前に、黒い穴から狐の面を被った人が私達の前に姿を現したのだった。
「皧狐っ!」
菜々さんが咄嗟に声を上げた。
「それも正解。ちゃんと六花の声は届いていた様ね」
緊迫していく私達とは対照的に、落ち着いた雰囲気で皧狐は立っていた。
腰に刀が差してあるのが見える、この人も刀を使うのか⋯⋯。
いや、それよりももっと疑うべき所があるはずだ。
「どうして私達の場所が⋯⋯しかも直接ここへっ!?」
「モ、モモさんや緋咫椰は無事ですの⋯⋯!?」
「自分たちの心配をした方が良いんじゃないかしら? 貴方達は今、目の敵にしている狐に襲われている最中なのよ?」
『なかなか用意周到だねぇ、やってくれるじゃないか』
「姫李さんっ! モモさん達の状況はっ!?」
『接敵はしていない、が、前回の狂った笑い方をする皧狐によって閉じ込められている。彼女の毒は物質を固めてしまう事も出来るようだねぇ。毒ではなくて、泥か何かなのかな』
「どうして私達を狙うんですかっ!」
「貴方達には何も知らなくて良い事よ。ただ斬られてくれればそれで良いの」
「理不尽ですわね⋯⋯セバスチャン、神衣を」
「ラオシャ、私達も行くよ」
「「承知しました/分かっておる」」
二人同時に神衣を羽織り、前の敵を見据えた。
唐突過ぎる襲撃。ただならぬ雰囲気を前に縮こまってしまいそうだ。でもそうは言っていられない。
こんな状況でも皧狐に太刀打ち出来なければ、ただ虚しくやられてしまう。
全力で、両手に浄化の枷を大きく形作った。
「まるで身体を大きく見せる猫の威嚇ね、可愛くて素敵。でも残念」
皧狐はそう言って、懐の刀をゆっくりと抜いた。
「そんなただの見掛け倒しの姿じゃ、わたしは揺らがないわよ」
「口の減らない人ですわね⋯⋯っ!」
菜々さんは愛銃を片手に、皧狐の方へ走りだした。
「魔弾、シュルツ!」
そう告げると、菜々さんは銃口を自分の脚に向け、そのまま引き金を引いた。
自身で撃ち込んだ脚から展開された魔法陣はやがて脚の中へ収縮すると、神衣時の何倍も早い速度で菜々さんが駆け始め、皧狐へ向かっていった。
神衣状態で向上している身体能力を更に部分的に進化させた技の様だ。
脚から赤い光の尾が引いているのを目で追うのがやっとで、菜々さん自身の姿は早すぎて天眼でも捉えられない。
ぶつかった強い衝撃でトレーニングルームが揺れた。
でも、それだけだった。
皧狐は魔弾の効力で勢いをつけて突進した菜々さんを平然と受け止めていた。
「猫なのか猪なのか、それじゃハッキリしないわね」
「ぐっ⋯⋯! まだですわっ!」
頭を抑えられたまま、菜々さんは銃を持たない手で皧狐に殴りかかるが、それも皧狐には通用しなかった。
「聞いてた通り、戦いに関してはてんでダメね⋯⋯なんでそんな実力で抗おうとするのかしら」
皧狐は身体を少し捻ると、菜々さんを軽々蹴り飛ばしてみせた。
「菜々さんっ!」
私の方へ向かってくる菜々さんを、私は受け止める事も出来なかった。
菜々さんも着地出来ず、そのまま地面に叩きつけられた。
「お嬢様ともあろう者が、随分と猪突猛進な戦い方をするのね。その銃は御守りでしかないのかしら?」
返事は返ってこない、菜々さんは倒れ伏したまま起き上がれずにいて、ただ皧狐を睨む事しか出来なかった。
「本当たやすい命ね。さあ、次は貴方。貴方は⋯⋯もう少し楽しませて欲しいのだけれど」
こうなったらダメ元でやるしかない!
「うおおおっ!」
「うふふふ、あはははっ!」
自分を束縛しようと向かってくる大量の輪を見ても、皧狐は笑っていた。
皧狐は刀を構えると、向かってくる輪を次々と斬り伏せていった。
負けじと何度も繰り出すが、その悉くが真っ二つにされていく。
回り込んでも、頭上から投げても、手錠が皧狐を捕らえる事は無く、皧狐は私の行動を読む様に刀を振るってみせた。
通用しない。そんな決定的な事実を突きつけられる様に、息も絶え絶えとなって、ついに私の手は止まってしまった。
「さあ、曲芸に付き合ってあげたわよ。次は無いのかしら?」
一つも息を乱す様子もなく皧狐はゆっくり歩き始めた。私に、とどめを刺す為に。
「だ、駄目じゃ、何も通じる気がせんぞ、小夏!」
「うん、やばい、ね⋯⋯」
「一人二役で喋って⋯⋯本当、その神衣とやらは奇妙でチンケな紛い物ね」
「くっ!」
「由里香と六花を相手にしたって聞いたから、早めに手を打った方が良いと思って表に顔を出したのに、期待外れにも程が──」
皧狐の話には目もくれまいと、唐突に銃声が鳴り響く。
青い軌道を描いてその銃弾は皧狐の脚に着弾した。
着弾した瞬間から皧狐は重力に導かれるようにその身を崩し始め、即座に膝をついて身体を落とした。
「⋯⋯全く、それが何だと言うのかしら」
「菜々さん⋯⋯!」
身体も動かさず、愛銃だけを相手に向けて撃ち込んでいた。微かに見えるその表情から、一矢報いたいという気持ちだけで撃ったに違いない。してやったと言うかのように笑っていた。
「諦めない限り、足掻けるのよ」
「菜々さん⋯⋯っ」
「意味もなく足掻く事を無謀と言うのよ。まあ、そうね。そんなに御所望なら、まずは貴方から殺してあげるわ」
「くそ⋯⋯」
何してるんだ私。早く動かないと、菜々さんがやられてしまう。
やられてしまうのに、身体が動いてくれない。
「どんな死に様になっても、私は足掻いてみせるわよ⋯⋯」
「良い言葉ね。遺言はそれにしましょう」
魔弾による重力の影響が薄まったのか、皧狐はすくっと立ち上がり菜々さんの方へ近づいた。
駄目だ⋯⋯駄目だ、駄目だ!!
刀を突き立てて、今にも振りかぶろうとしている時、ようやく私の足は動き出した。
「菜々さんっ!!」
とにかく何でもぶつけられればと、決死に皧狐の方へ飛び込んだ。
そんな覚悟と同時、視界の隅でとてつもない衝撃で扉が宙を舞っているような、そんな光景がチラついた。
だが今はそんな事に気にかけている場合ではない、私は咄嗟に
でも皧狐はそれを許してはくれず、私は反撃で貰った蹴りで思い切り吹き飛ばされ、地面を滑った。
「貴方も学ばないわね」
拍子に形作った失敗作は私の指に収まり、小さな指輪になっていた。
そんな急場しのぎな物を見て、私は憧れていた先輩の姿を思い出す。私が猫巫女の頃憧れていた、彼女の姿を。
そうだ⋯⋯彼方さんならこの状況でも、きっと笑っている。
そんな先輩の姿を思い浮かべると、自然と頬が和らいで、口角が上がった。
まだ笑える。まだ終わっていない。まだ私は、諦めていない。
「まだ何か?」
彼方先輩、少しお借りしますね。
「斎戒式⋯⋯ッ!!」
「ッ!?」
立ち上がり、指輪にありったけの魔力を込めて、直接皧狐へと解き放った。
攻撃するのにわざわざ形作る必要なんてない。
ありのまま、光の列を成した魔力の塊は、皧狐を怯ませるには充分な威力を発揮した。
「へえ、意外とやるじゃない⋯⋯」
さっきまで余裕だった皧狐の声に焦りが現れ始めたのが分かって、私は再び笑みを漏らした。
「まだ、やれますよ」
「そんなビーム一つ出せただけで、わたしに敵うと思うのかしら?」
「⋯⋯そうですね。戦い方一つ身に付いていない私達じゃ、これだけで戦うのは無理がある。でも、それでも私は引きません。アナタが諦めるまで、私は笑ってみせますっ!!」
「小夏さん⋯⋯っ」
「そう⋯⋯やっぱり、なるようにしてなるものね」
「はて、それはキミが言えた事なのかな」
その場にいないはずの声に、全員が振り向いた。
振り向いた先には壊された扉と、その入り口に腕を組んで立っている、インナーカラーの白衣の少女の姿があった。
「遅れてすまないねぇ、そいつの他に狐が一匹紛れ込んでいたからさ、その対処に時間を食ってしまった」
「姫李さんっ!」
「遅かったじゃない⋯⋯」
姫李さんがそう言うと、そのもう一人の皧狐が物の様に投げ入れられた。
「ごめ〜ん、やられちゃった⋯⋯コイツ面倒くさくて」
姫李さんに投げ入れられた白髪の子は、前回緋咫椰さんと対峙していた子だ。
この子だけ素顔を隠していなかったから微かに覚えている。
「由里香⋯⋯貴方はもう下がりなさい」
「うん⋯⋯もう飽きたから、帰る〜」
小さい子供の様な振る舞いを見せると彼女は立ち上がり、黒い穴を出現させるとそのまますんなり帰っていった。
「姫李さん、緋咫椰さんたちは?」
「二人ならイズンを呼びに表に出しているよ。そうしないと、緋咫椰に邪魔されるからねぇ⋯⋯」
姫李さんは鋭い視線を皧狐に向けてそう言い放ち、無遠慮に相手の方へ歩み寄った。
「姫李さん、一人じゃ危険だよ、私も⋯⋯うっ」
くそ、また身体が動かない。今度は恐怖とかから来る物じゃない。
限界が来た事を知らせるように、私の神衣が解除され、ラオシャが私の横に出た。
「さっきがむしゃらに打ったビームに魔力を注ぎすぎたせいじゃな。ガス欠じゃ、小夏よ」
「こんな時に⋯⋯私は」
「次の猪は、何秒持ってくれるのかしら?」
「おやぁ? 実力の差が分かっていないようだね。でも貴重なデータを取るには最適な状態とも言えるか」
一歩も譲る気を見せない二人を、私は見届ける事しか出来ないのか⋯⋯。
「小夏よ」
「ラオシャ?」
「久木野姫李なら、恐らく大丈夫じゃ。見ておれ」
姫李さんなら大丈夫って、姫李さんは緋咫椰さんみたいに戦えるのだろうか。
正直、そういう風には見えないけれど。
「ふぅん。じゃあ見せてもらえる? 一分でも耐えてみせたら、褒めてあげても良いわ⋯⋯っ!?」
姫李さんの周囲から突然白い霧が立ち込め始めた。
「じゃあボクからは、傷一つでも付ける事が出来たら褒めてあげよう。まあ、そんな希望も生まれない程に、キミは惨めな存在と化すけどね」
程なく白い霧は姫李さんの構えた手元に一箇所に集まり、小さな盾として姿を現し、姫李さんの周りを守る様に浮遊し始めた。
皧狐の方も身体が強張るほどに、殺気を放っている。
大丈夫っていっても姫李さん一人だ。せめて少しでも、姫李さんの助けにならないと。
「姫李さん! その皧狐、油断出来ないです! 神衣も羽織らないと⋯⋯!」
「何も問題ない。そのままそこで見ていたまえよ、小夏」
「話してる場合なのかしら?」
皧狐は姫李さんの背後を瞬時に取り、刀を振るった。
「姫李さんっ!」
しかし振るった刀は姫李さんには届かず、浮遊していた盾に防がれていた。
「まだよ」
皧狐は止まらず、二撃、三撃と刀を繰り出していく。
しかしその攻撃も盾に吸い込まれるように防がれていっている。
姫李さん自身は皧狐の攻撃に動じず、腕を組んでジッと立ち尽くしているままだ。
「言ったじゃろ、此奴なら大丈夫じゃと」
「なんなのよ、これはっ!!」
「フッフッフッフ、アッハッハッハッ!!」
皧狐を小馬鹿にするように、姫李さんは大きく嘲笑った。
やがて浮遊盾は防ぐだけでなく皧狐の姿勢を崩す様な挙動を見せ始めた。
「チッ!!」
皧狐も素早く動いているが、姫李さんの盾はそれを予測して先回りしているよつに、攻撃を防ぎ続けている。
そしてそんな中、姫李さんは冷たい笑みを浮かべながら口を開き始めた。
「さて、ボクが神衣を纏っていないという話だが⋯⋯常にボクは神衣状態にある。そしてこの盾は、もう皧狐による攻撃は全て対処出来る所まで成長してしまったようだ」
「なんですって⋯⋯」
えっ!? 姫李さんはもう神衣を? もしかして、あのいつも着ている白衣が!?
「あの白衣、出会った時からずっと着てた⋯⋯」
「そして、ボクの方ももう終わった。後は開放するだけだが⋯⋯」
姫李さんは組んでいた腕を降ろし、皧狐の方を向くと、再び皧狐を馬鹿にしていく。
「おやおや、手が止まっているねぇ。刀以外を使うしか無いようだ。でもその前に聞きたい事があるんだけどね」
「⋯⋯っ」
「やっぱり、居るのかな。内通者」
「な、内通者⋯⋯?」
「アンダーに入れる点もそうだが、キミ達の能力だけでボク達の居場所を特定出来るなら、もうとっくにボク達の始末に動くはずだ。でも、実際に動き出したのはあの皧狐の顔は割れてから」
姫李さんの言葉で、皧狐の行動の疑問が次々と浮かんでくる。
確かに、唐突な襲撃ではあるが、それが出来るならとっくに手を下しているはず。そして前回は何でもう一人の皧狐を、しかもアンダーの中を一人で歩かせていたんだろう?
「そしてあの幼稚な皧狐の顔は、お前たちに殺された禊猫守と同じ顔をしていた。本当の狙いが他にあるとしかボクには考えられないんだよねぇ」
「フン、たとえそれを知っても、貴方には到底理解出来ない話よ」
「理解してみせるまでさ。正義感の強い猫巫女に、そうお願いされたからね」
「⋯⋯あっそう。なら──」
突然、皧狐が消えた。
「小夏! 後ろじゃ!」
「えっ!?」
ラオシャの言葉に振り向こうとするが、その前に身動きの取れない私の身体が勝手に後ろへ引っ張られた。
いつの間にか後ろに回り込んでいた皧狐に何かの力で掴まれているようだ。
両手も拘束されていて、全く抗えない。
「厄介な猫がいると分かった以上、ここで退くのが懸命ね⋯⋯時間稼ぎも十分出来たし。おまけでこれくらいは残しておくわね」
「小夏っ!!」
身動きの取れない私に、突然重い衝撃がのし掛かった。
「ああああああああッッッ!!!!」
その鈍い衝撃に耐えられず、視界が大きくブレる。
全身を焼き尽くしていくような痛みが身体の内側を覆いだし、私は堪らず絶叫した。
「待ちたまえ、時間稼ぎとはなんだ! 小夏に一体なにを!」
「わたしからの、ちょっとした置き土産よ。じゃあね、もう次はないかもしれないけれど」
そう言い残し、怪しく笑いながら皧狐が消えていったという事は、私が目を覚ましてから聞いた事だった。
そして、イズンさんが行方不明になった事も、私が目覚めてから聞いた事だ。
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