第5話 満員プールの一幕(1)
サンビーチ刑部は市の南部に位置する巨大プールだ。行き方はバスか車。電車は走っちゃいない。刑部駅から夏休みになると一時間に三本ぐらい走っているから、それを使えばサンビーチ刑部までは一本で行くことが出来る。割と大きなプールで、刑部に住む子供はここで泳ぎを学ぶんだよな。
「サンビーチ刑部って、国内最大級の淡水プールなんだって」
のぞみがスマートフォンを僕に見せながら、そう言った。
サンビーチ刑部行きのバスは、夏休みだと混雑率二百パーセント近い、都内の満員電車ぐらいの混雑率になる。しかし、朝七時台ともなるとバスの混雑率は若干低下する。それでも早く並んでいないと座席に座れないぐらいの混雑具合ではあるのだが。
どうせ終点まで乗るのだから――とのぞみは一番後ろの席を陣取った。それについては別に文句を言う必要はない。座れるなら別に何処でだって良い訳だし。
問題は、座る位置。何故か知らないが、気がつけば僕を挟み込むように嘉神シスターズが座っている。これ、どういうことなんだ……? 端から見たら、女子二人を侍らせている風に見えたりしないか?
「へえ、淡水プールなのは知っていたけれど、国内最大級ってのは驚きだね。でも結構人も集まっているし、それが案外当たり前だったりするのかな? ほら、刑部に住む皆って、子供の時サンビーチ刑部で泳ぎをマスターするぐらいだもんね」
「まあ、言ってしまえばそれぐらい娯楽が少ないってことでもあるんだよな……」
「昔はショッピングモールとかなかったもんね……」
「映画館とか、図書館とか、ゲームセンターはありましたけれど……でも、どれも学校で行っちゃ駄目って言われていましたもんね……」
正確に言うと、子供だけでは行ってはいけない、という但し書きがあった。親かそれに値する保護者が居れば、別に映画館だろうがゲームセンターだろうが図書館だろうが、好きな場所に行って良かった訳だ。しかしながら、大人にも限りがあるし、彼らにも仕事がある。僕達みたいに夏休みや冬休みという纏まった休みがある訳ではない。であるならば、彼らの体調も考慮してあげるべきなのだろうけれど――生憎、僕達はそんなことを考えられるような子供ではなかった、という訳だ。
「サンビーチ刑部……今年も混んでいるんだろうなあ……」
僕は途方に暮れる。
「……そんなこと言うってことは、さてはアンタ、サンビーチ刑部公式LINEと友達になっていないわね?」
「…………何ですと?」
僕らのサンビーチ刑部に、LINEアカウントがあったのか?
「実はLINEアカウントやっていたみたいなんですよね……」
そう言ったのはのぞみだった。
ということは、のぞみも友達に?
「夏休み期間中はサンビーチ刑部の混雑情報をオープン時から閉園までずっと教えてくれる、とっても優れているアカウントなのよね。しかも時間帯は決まっていないから、完全手動だろうし。管理人がきっと居るのだろうけれど、その管理人がかなり優秀ってことよね。そうじゃないと、こんな風にアカウントの運営って出来ないでしょうし」
「それはまあ、分かるが……。で、今の混雑状況は?」
「昨日はあまり混んでいなかったようね。何でも今年は冷夏だから、あんまり客の出入りがないんですって。まあ、温水プールとかないしね」
「じゃあ、それ程混雑していないと?」
「昨日は『それなりに混雑しています』だったわよ」
それなりって何だよ、それなりって。
それ一番色々と面倒臭い表現の一つじゃないか?
「……じゃあ、それを信じるなら例年通りの混雑具合じゃないってことか……」
あくまでもそれを信じるならば、少しは希望が見えてきたというものだ。
それが希望なのか、絶望なのかは――今の僕達にはさっぱり見えてこないのだけれど。
ともあれ、バスに乗っていればいずれはサンビーチ刑部に到着する。
とにかく今は、サンビーチ刑部で何をしようかと思いに耽るしかこの時間を消化する術が見つからない訳であった。
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