第7話 こっくりさんの話 その4

 チエミ先生は、イマを近くの道の駅に連れていくと、優しく背中を撫でる。

「大丈夫。大丈夫よ、イマちゃん。ゆっくり深呼吸して」

 先生の声を聞いているうちに、イマは段々と落ち着いていった。

「……ごめんなさい、先生」

「いいのよ。気にしないで」

 先生はおっとりとした口調でいった。

「でも、どうしてあの場に?」

 尋ねたのはカノンだった。

「たまたま用事で通りかかったの。よかったわ」

「ありがとう、ございます」

 イマは頭を下げる。

「家まで送っていくわ。イマちゃん」

「へ、でも、先生用事が……」

「うん、ちょうどイマちゃんの家に用事がね」

 先生はそういって笑った。


 カノンと別れて、イマと先生、それからミキは傘をさして山への道を歩く。

「どう? ミキちゃんと仲良くなれそう?」

 突然、先生はそういってイマは驚いた。

「先生、先輩のこと見えているんですか?」

 先生はうなずく。

「うん。イマちゃんはこの先に若桜弁財天、江島神社って神社があるの、知ってる?」

 イマは首を横に振った。

「昨日、引っ越してきたばかりなので」

「そっか。そうだよね。まあ、とりあえずそういう神社があってね、そこに祭られている神が私。本当の名前は、イチキシマヒメノミコト。商売繁盛と、縁結びと、子守りと、それから水の神よ」

「神様……」

 唖然とするイマに、先生はうなずく。

「まあ、私が神です、なんていわれても信じられないよね。とりあえず私は、普段は保健室の先生をやってるから、神でも、保健室の先生でも、どっちでもいいから困ったとこがあったら頼っておいで。できることはやるから」

 イマは小さくうなずく。

「先生は事件(・・)のこと、知っているんですか?」

 イマが尋ねると、先生はうなずいた。

「うん。聞いてる。仕事上、必要なことだから。ゆっくりでいいよ。ゆっくりでね」

 なにがゆっくりなのか先生はいわなかったが、イマはうなずいた。

「アタシからは、なにも聞かないから。その事件っていうのがなんなのか、イマが話したくないなら黙っていればいい。でも、もしも吐き出しだくなったら、アタシは全身で、受け止めるから」

 ミキは、前を見たまま、イマを見ないでいった。

「ありがと、先輩」

「だからもうちょっとだけ、アタシさ、そばにいていいかな? ホントは、イマの顔を見たらすぐにヨモツクニへ逝くつもりだったけど、少し長居したくなったわ」

「うん。嬉しいです。先輩」

 イマは大きくうなずく。


 家に着くと、先生は大まかに事情を説明した。

 母は、イマをギュッと抱きしめた。

 それから、母は先生と客間で話していて、その間イマとミキは自室にいた。

 しばらくして、お母さんと先生は部屋にやってきた。

「ちょっと先生がイマと二人だけでお話ししたいって、いいかな?」

 母が尋ねると、イマはうなずいた。

「失礼しますね」

 先生が部屋に入ると、母は出ていきふふすまを閉めた。

 それを見て、先生はこう切り出す」

「さてと、イマちゃんに相談だけど、ミキちゃんと一緒に暮らすならこの部屋に結界を張っておこうとおもうのだけど、いいかな?」

「結界、ですか?」

 イマは首をかしげる。

「うん。魂だけでも周囲の物に触れられるようになる結界。これを張っておけばミキちゃんはこの部屋にいる間だけイマちゃんと同じものに触れて、同じものを食べることができるようになるわ」

 説明を聞きながら、イマはミキに目をやった。ミキの目は輝いていた。「ぜひお願いします」といえという無言の圧力を感じた。

「はい、お願いします」

 イマがいうと、先生は笑顔でうなずく。

 その瞬間、部屋の空気がスッと軽く、澄んだものに変わった感じがした。

「これで、ミキちゃん、多少はすごしやすくなるんじゃないかな。あ、わかってると思うけど、結界の中にいると、普段、幽霊の見えないヒトにも見えるようになってるから、気を付けてね」

 先生の言葉に、ミキはうなずいた。


「じゃあ、また学校で。なにかあったらいつでも保健室に来てね」

 先生はそういい残して帰っていった。

 その背中が見えなくなると、ミキはいった。

「イマ、一生のお願い。アンタの部屋に食べもの、お菓子、山ほどため込んで」

「一生のお願いって、先輩、もう死んじゃってるじゃないですか」

 イマは苦笑いを浮かべながら返事した。


 それからイマは自室のパソコンを立ち上げた。東京にいる頃から使っているもので、イマ専用にと買ってもらったものだ。

 オンラインゲーム『いきものの森』にアクセスし、ログイン。

 すると、画面には絵本のような絵柄の二足歩行のキツネが現れる。

 イマのアバターのコンコンだ。可愛い服で着飾った、女の子だ。

 コンコンの頭上にメッセージが表示される。

『ニャンキチ さんから手紙が届いています』

 イマはそのニャンキチというヒトを知らない。

 メッセージを開いてみる。


『こんばんは。カコだ。ニャンキチって名前でやってます。フレンド登録お願い』


 イマはそれを読むと、いくつかの操作をして『ニャンキチ』をフレンド登録した。

 すると、コンコンの横に男の子のネコのアバターが現れた。

『フレンド登録ありがとう。これからよろしくな』』

 ネコのアバター、ニャンキチがいった。

『うん、よろしく。カコちゃん、男の子のアバターなんだね』

『まあな。だってせっかくのゲームなのに、現実と一緒じゃ面白くないだろ? オレはここでは男の子だ。よろしくな』

 イマはキーボードから指を離し、少し考える。

「どうしたの? イマ」

 ミキは大きなコッペパンを頬張りながら尋ねた。

「ううん。なんでもない」

 イマはそういうと、メッセージを打ち込む。

『わかった。よろしくね』

 ミキはそんなイマの様子をじっと見ていた。


 その日の夜。

 イマは夢を見ていた。

 そこは、どこかの学校の職員室のようだった。しかし、イマがこれまでに通った二つの学校の、どちら学校のものとも違っていた。

 先生たちがそれぞれ、せわしなく仕事をしている。

 みんな、イマの知らない先生だった。

 そして、誰もイマのことを気にとめない。そう、まるでイマの姿が見えていないかのように。

 そのとき、ノックの音の後、入り口のドアが開く。

「失礼します」

 入ってきたのは、ミキだった。

 ミキはある一人の男の先生のところまで歩いていく。

「あの、先生。ちょっとお話があるんですが」

 パソコンを触っていた先生は、手を止めミキを見る。

「この前、話していた件か?」

 ミキはうなずく。

「やっぱり、水泳部、辞めようと思います。昨日、もう一度お医者さんと相談したんですが、アタシの肺では水泳は諦めろ、っていわれました」

 ミキは胸に手をあてた。

「それなら、マネージャーにならないか? みんな、お前がいなくなると寂しがる」

 先生はそういったが、ミキは首を横に振った。

「アタシも、部のみんなは大好きです。でも、でも、みんなは仲間だけど、ライバルなんです。アタシ、泳ぎたいんです。プールサイドから見てるだけなんて、嫌なんです」

 ミキは徐々に涙声になる。

「そうか。じゃあ、これを書いて、持ってきてくれ」

 先生は引き出しから紙を一枚出して、差し出す。

 ミキはそれをひったくるように受け取ると、「失礼します」叫ぶようにいって、職員室を飛び出していった。


 イマは飛び起きた。

 そこは、イマの自室だった。

 壁のエアコンが微かな音と共に冷気を吐き出している。

 照明は完全には消さず、オレンジのライトをつけている。

 イマの布団の横、畳の上にミキが寝ていた。


 一応、ミキの分の布団も押し入れにあるのだが、畳の上の方が冷たくて眠りやすいらしい。

 ミキの目に、涙がにじんでいた。

 イマがそっと指先で拭おうとすると、ミキは目を覚ました。

「なに? イマ、起きちゃった? 嫌な夢でも見ちゃった?」

 ミキは眠そうに目をこすりながら体をおこす。

 イマは少し考える。

「うん。だから、もう少し近くにいてもらっていいですか?」

 ミキは「しょうがないわね。甘えんぼ」といいながら、イマと肌が触れ合うくらいの距離まで近付いてくる。

「ねえ、先輩」

「なに?」

「どうして死んじゃったんですか?」

 しばらくの無言の後、ミキはゆっくりとこういった。

「かっこつけて、無理しちゃったのよ」

「後悔、してますか?」

「……してない。もう寝ましょ。アンタは明日も学校あるでしょ」

 二人は、眠りに落ちていった。

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