第24話 豪傑淑女③
――ガシャン
「陛下、どうされましたか?!」
硝子の割れる音がして、マクシミリアンは慌ててヴィクトルの居る書斎へと駆けつけた。一人にしてほしいと言われてそれを了承したことを、マクシミリアンは激しく後悔する。
「ああ、すまん。ぼーっとしていたら、落としてしまった。」
ヴィクトルの足元には、ティーカップが破片になって転げ落ちていた。マクシミリアンはほっと胸を撫でおろし、侍女を呼んで片付けさせる。侍女は片付けるとともに、新しいティーセットを持ってくると、さっさと下がって行った。
「……アリスのことが心配ですか。」
マクシミリアンがお茶を淹れ、ヴィクトルが座って居るソファーの前のテーブルにティーカップを置きながら尋ねた。ヴィクトルは肩眉を挙げるだけで、マクシミリアンが淹れたお茶へと手を伸ばし、口をつける。
「……順調にいけば、今日明日にはこの領館へと到着するだろ。」
ヴィクトルの元にアリスからの手紙が届いたのは、一昨日のことだった。すでに王城を出発していることが考えられ、アリスを止める手立てがなかった。そして何より、アリスの作戦に乗らざるをえない状況に、嘲笑しか出てこない。
幸い、領館まで戦火は伸びていないものの、戦況は一進一退という状況だ。なにしろ、砦に立てこもられている以上、無理な強行突破はできない。砦の包囲をしているものの、一斉攻撃を受ければパストゥール側にも分が悪い
「サブレ側の状況は?」
「ドナルド殿下からの報告によりますと、こちら側とほぼ同じ状況だそうで。」
「やはりか。」
サブレ王国の辺境地の砦が真っ先に制圧されたのち、パストゥール王国の砦も制圧されていた。砦に居た兵たちは無事だが大きな負傷を抱えている者も居る。皆が口々に自分の不甲斐なさをヴィクトルに詫びたが、その姿を見るにつけ彼は心が痛んだ。
パストゥール王国もサブレ王国も、決して兵力をケチっていたわけではない。しかし、辺境地となると隣国との均衡関係に左右される。隣国が敵国であった場合には表立って兵力を見せつけても良いが、友好国である場合にはそうはいかない。
そういうわけで、レルカン国の動乱に際して、パストゥール王国もサブレ王国も警戒はしていたものの友好国であるレルカン国に対して、武装するわけにはいかなかったのだ。
しかしヴィクトルは、「こんなことならば武装許可を出しておくのだった」と後悔をにじませた。騎士といっても、パストゥール王国の大事な民である。その者たちに怪我を負わせてしまったのは自分の責任であると考えているのだ。
それと同時に、ブレソールへの軽蔑が強まる。一国の王子であるならば、このような事態を予測できただろうにと。
「これで、陛下は堂々と進言ができますね。」
「ああ。」
ブレソールの失態に、サブレ王国の国王も何か考えているだろうと予想はつくが、しっかりダメ押しすることも考えている。
「それには、全員が生きて帰らねばならないな。」
「まさしく。早く、アリスに会いたいですね。」
「シスコンか。お前は、お前の家族のことでも考えておけ。」
「何をおっしゃいますか。アリスとてわたくしの立派な妹にございます。アリスに何かありましたら、ブラシェール侯爵家を敵に回すとお考えください。」
「それは怖いな。」
ヴィクトルはくくっと笑い声をあげたときだった。
「陛下!マクシミリアン様!」
青ざめた顔で書斎へと駆けこんできたのは、近衛騎士団の一人だった。
「どうした。」
「は!先ほど、アリス王妃殿下御一行が森で賊に襲われたとの情報が入ってまいりました!」
騎士が報告内容を告げた瞬間、ヴィクトルとマクシミリアンは思わず立ち上がった。
「それは誠か?!」
「はい!たった今、王妃殿下御一行の一人として共に着いていた騎士の一人が、こちらまで到着して事の顛末を。」
騎士の額には脂汗がにじんでいる。その様子に、ヴィクトルはまだ知らせていない情報があるのではないかとすぐに気づいた。
「アリスは?アリスの無事はどうなのだ?!」
「そ、それが……。」
「なんだ、早く言え!」
マクシミリアンも声を荒げる。
「その者が申すには、御一行は散り散りになられて、一刻も早くこちらに知らせなければとその場を離れたために、どうなったのか定かではないそうなのですが……。王妃殿下は御怪我をされているようです。」
「なに?!」
「なぜ、その者は持ち場を離れたのだ?!」
「どうやら、こちらに応援要請をしたかったようでして……。」
アリス一行の行程が順調に進んでいれば、アリスと共にある騎士は4名しか居ない。賊に襲われたとなると、そのうちの1名がこちらに応援要請のために馬を飛ばしたとしてもおかしくはない。
しかし、戦力が1人居なくなってしまったとなると、アリス達が全員無傷であるかは分からない。
「マクシミリアン、馬を!」
「はい!すぐに!」
ヴィクトルは書斎を飛び出し、すぐに厩へと向かった。騎士の報告を受けて、領館も騒々しくなる。
「兄上!」
そこに、領館へと駆けこんできたクロードがヴィクトルの元へとやってきた。どうやら領館に帰還して早々、騎士たちからアリスのことを耳にしたらしい。
「クロード。ちょうどよかった。お前、留守を預かれ。」
「王妃殿下の元に行かれるのですか。」
「ああ。俺が行かなくてどうする。妻も守れん男が、一国を預かれるはずがないだろう。」
ヴィクトルの後ろで控えながら、“だからそれは、アリス本人に言ってください”と心の中で毒づく。クロードはヴィクトルの言葉を聞いて、くくっと笑いを漏らした。
「そういうことならば、わたくしがこの領館の指揮を一時的に引き受けましょう。マリーも今、王城で頑張っているはずですからね。」
「ああ。姉上もこちらに向かっているから、兄弟総出だ。」
「確かに。王妃殿下を必ずご無事のまま。」
「もちろんだ。」
ヴィクトルとクロードが拳を交わすと、その場に居た騎士たちからは元気な声が涌いた。「陛下どうかご無事で!」という声や「領館はお任せを!」という声がどこからともなくあがっている。
その様子を見て、「我が国の騎士は大丈夫だ」とヴィクトルは心から彼らを誇りに思った。そして、マクシミリアンと領館へと報告にやってきた騎士を入れて3名の騎士と共に、アリスが襲われた森へと向かった。
「アリス様!!!」
森中に響き渡るかのようなセリアの悲痛な声が、そこに居るすべての者の耳へと入る。隊列を崩したアリス達であったが、セリアの声に一瞬でアリスを守る体制へと整える。
アリスの体を掠めた刃は、通常よりも鋭利な弓矢だった。明らかに、アリスの命を狙おうとして放たれたものだと分かる。アリスの腕に突き刺さったものの、そこには防具を嵌めていた。
むしろ、防具を嵌めていたからこそ、そこで受けたといってもよい。しかし、鋭い弓矢であったため、無傷というわけにはいかなかった。傷は深くはなく、出血もひどくはないものの、セリアを怒らせるには十分だった。
怒りで進化したセリアと、笑いながら敵をなぎ倒すエリーズと、剣を見えないほどに振り回しているミシェルは強かった。
セリアは百発百中で敵を弓矢で仕留めるし、エリーズは敵の放つ弓矢に怯むことなく突っ込んでいく。極めつけにミシェルの大立ち回りは、敵が防御の姿勢をとる間もない速さで打ち合いをするため、彼女のスピードについて行ける者はいなかった。
そのため、なんとか敵を手籠めにして追っ手から逃れる女性陣の元へとやってきたニコラたちがやってきたときには、3人があ然とするほど相手はこてんぱにやられていた。ニコラたち3人は、変に手を貸すよりもやられている敵の後処理をした方が良いと判断し、苦笑いをしながら迅速に行っていく。
生きている敵を縄でしばってから気づいたことだが、ニコラたち3人が相手にした敵は10名弱だったが、女性陣が相手にした人数は15名前後だった。女性陣の豪傑ぶりに、近衛騎士は「彼女たちを敵に回すのはよそう」と決意するのだった。
戦意喪失した賊たちを捕まえ、騎士たちが後処理をしている間、セリアはわんわんと泣きながらアリスの腕の手当てをした。そんなに大げさにするほどではないのにとアリスは思ったが、ここに居るアリス一行の中では、アリスが一番の重傷であるため、セリアの厚意は甘んじて受けることにした。
自分が怪我をしてはならない存在であることを、アリスは誰よりも分かっていたからだ。
「王妃殿下。馬の手当てはどうしましょうか。」
フィリップがアリスに尋ねた。騎士1名とアリスの馬がやられている。弓矢が当たった瞬間は興奮したアリスの馬だったが、痛みに動けなくなったのか今はじっとしている。その後ろ足には、まだ弓矢が刺さったままだ。
「そうね。任せても良いかしら。」
「承知いたしました。」
戦地での馬の応急処置は、騎士ならば誰もが訓練をされている。そういうわけで、アリスはフィリップやニコラに頼んだ方が良いと判断をした。
それにしても、とアリスは辺りを見渡す。そして、自分の腕へと突き刺さった矢を広い、もう一度それをまじまじと見た。そして、矢筒の中にしまう。
「それにしても……。領館に着いたら陛下にお説教されるのが面倒ですわ。」
切り株に座るアリスの隣に腰掛けたミシェルが、悩まし気にその言葉を吐いた。
「陛下がミシェル様をお説教されるなんてこと、あるのですか?」
「普段はそんなことありませんけれど……。ことがことだけに……。ああ、わたくしとしたことが、どうしてアリス様と離れてしまったのでしょう。」
「仕方ありませんわ。あれは予測の範囲を超えておりましたもの。」
「いいえ。戦では予測できないのが通常ですわ。何があっても、わたくしはアリス様から離れてはいけませんでした。」
「ミシェル様……。」
意気消沈しているミシェルの手に、アリスは自分の手を重ねる。
「きっとミシェル様は、わたくしが何を言ってもご自分を許されることはないのでしょう。ですが、わたくしはこうして生きておりますし、元気ですわ。この腕だって、自分で受け止めた傷。ですから、一定期間がすぎたら、どうかご自分をお許しください。」
「一定期間、ですか?」
「ええ。王城には可愛いわたくしの甥と姪がおりますのよ。ですから、それまでにはきっと、ご自分をお許しくださいまし。……お義姉様。」
「アリス様……。」
アリスとミシェルは恥ずかしそうに微笑みあった。セリアもエリーズも顔を綻ばせる。今の今まで賊に襲われていた等忘れてしまうくらい、その光景は微笑ましかった。
そんな中、森の中に馬の蹄の音が響き渡る。アリス一行は賊の応援かと神経を研ぎ澄ませ、瞬時に全員が茂みへと隠れた。今、この状態で見つかってしまえば、敵の人数によっては一網打尽にされる恐れもある。
「アリス!アリスはどこだ!」
しかしすぐに、それが敵ではないことが分かった。なぜなら、アリスの聞きたい声が森中に響くかのような大きさでアリスの耳に届いているからだ。
「陛下!」
アリスが立ち上がり、ヴィクトルが目視できるように姿を現すと、馬から飛び降りたヴィクトルが風を切る速さでアリスの元へと駆けつけ、そして彼女の体を包み込んだ。
「アリス!ああ!アリス!無事だったのだな!」
一旦体を離して、アリスの顔をよく確認すると、ヴィクトルはもう一度アリスの体をきつく抱きしめた。切羽詰まったヴィクトルの表情に、アリスの胸の鼓動は鳴りやまない。まさか、ヴィクトルがこんなにも泣きそうな顔で自分のことを心配してくれるなど、夢にも思わなかったからだ。
「陛下も、よくご無事で。」
アリスは遠慮がちにヴィクトルの背中へと両腕を回す。ずっと抱きしめたかった広い背中に、彼女は感動を覚える。
「……貴女が賊に襲われたと聞いて、生きた心地がしなかった。」
「陛下にそう言ってもらえるだけで、わたくしは幸せ者です。」
ぎゅうぎゅうに押しつぶされて苦しいが、アリスはそれが心地よかった。ただの王妃としてではなく、ヴィクトルの心配の対象に値すると認められていたことが、アリスはなにより嬉しかったのだ。
「ではこのまま、私たちと領館へと向かおう。」
「しかし、わたくしの馬と騎士1名の馬がやられているのです。」
「馬2頭は、騎士たちでなんとかできるだろ。」
ヴィクトルが騎士に目をやると、彼らは黙って了承の敬礼をした。
「姉上もご無事でなによりです。」
「まあ。わたくしのことは思い出したように。でもそれでいいですのよ。わたくしにはドナルド殿下がおりますから。」
「……アリスを無事に届けてくださって、感謝申し上げます。」
アリスの腕をさすりながら言うヴィクトルに、ミシェルもこめかみに青筋を立てる。2人共表面上は笑顔で会話をしているものの、そこに居る全員には火花が散っているのが見えている。
「と、とにかく。わたくしも皆も無事でしたので。少しでも早く領館へと参りたいと思います。わたくしたちが少しだけお持ちした兵糧もありますし、明日から続々と領館へと兵糧が届くと思いますので。」
「ああ、そうだった。まさか根菜を兵糧にするとは思わなかった。」
「根菜のデビュー戦ですわ。」
「根菜の調理方法はわたくしから提案させていただきますので、アリス様はお休みになるということでよろしいですわね?」
すると、セリアが有無を言わせない笑顔で言葉を発した。この表情をするセリアには、アリスのわがままは効かないのである。
アリスは唇を尖らせて、一応不服はアピールする。しかしここで、自分がやりたいとわがままを言えば、皆が血相を変えて止めることも分かっている。
「……分かったわ。セリアに任せるわ。」
「痛み入ります。」
「では、ジケル領館へと参ろうか。」
そう言ったヴィクトルは、川の流れのようにアリスの体を横抱きにした。あまりにも自然な動作であったため、アリスが反論する前にヴィクトルの腕の中に彼女の体はあった。
「貴女は私の馬だからな。」
「え、あの。」
「仕方がないだろう。貴女の乗る馬は私の馬以外にないのだから。さあ、どうぞ。」
ヴィクトルに促されるままに、アリスはヴィクトルの馬へと乗せられる。そして、アリスの体を後ろから覆うようにしてヴィクトルが馬に乗り、手綱を握る。これでは、後ろから抱きしめられているのと同じだ。
アリスが頬を真っ赤にさせていることを、ヴィクトル以外の全員が見守っていた。
「馬のある者たちは続け。それ以外の者は、負傷した馬を頼むぞ。」
そして、一行は森を抜けてジケル領館へと馬を走らせる。その道中、アリスの心臓は高鳴りが止まない。胸を抑えて身を小さくしているアリスを気遣い、ヴィクトルは声をかける。
「アリス、大丈夫か?腕が痛むのか?」
「い、いえ。なんともございません。……陛下は、御体に障りはないですか?」
「ああ。すこぶる元気だ。」
ヴィクトルの顔を確認することはできないが、アリスの背中には逞しい声が響く。しかし、ヴィクトルは少しだけ痩せたような気がしている。兵糧を確保するために、食事を減らしているのかもしれないとアリスは思った。
「それは良かったです。」
「……貴女が無事にこちらまで到着してくれて、本当によかった……。」
ヴィクトルはそう言いながら、アリスの後頭部に頬を埋めた。「ひっ。」と口から声が漏れそうになるのを、アリスは寸で我慢する。
「へ、陛下。ま、前を……!」
「……ああ。ちゃんと見えているから大丈夫だ。アリスになにかあったらと思うと、気が気じゃなかったのだ。」
“アリス”と愛しい人の唇からその名がこぼれるたび、アリスは胸の奥がざわざわというようなもぞもぞというようなくすぐったい感情に襲われる。騎士の皆の前だからそうしているのかもしれないとも思うが、いつもよりも甘い、甘い口調にアリスもどうしたら良いのか分からないのだ。
「……ジケル領館は戦地に近いところではあるが……。信頼のおける騎士がたくさん居る。貴女はまず、怪我の治療から専念してもらいたい。」
「分かりました。でも、わたくしにできることは、何でもさせてくださいね。」
「……貴女は私の傍に居てくれればそれでいい。」
「……は、はい……?」
アリスは疑問形ともとれるような返事をするしかなかった。ミシェルが以前、ヴィクトルのことを“頓珍漢”と表現したことを唐突に思い出す。「陛下はなぜ頓珍漢なことを?」とよぎるほど、ヴィクトルの態度がアリスには理解できなかった。
そして、その国王夫妻の様子を見守るマクシミリアンは、笑いをこらえるのに必死だった。アリスのことを心配しすぎてリミッターを外してしまったヴィクトルと、ヴィクトルに失恋をしたと思っているアリスである。すべての真実を知っているマクシミリアンにとっては、それはコメディ以上のコメディであった。
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