第11話 アリスのおねだり

「はあ……。一体どうしたらいいんだ……。」


 ヴィクトルは執務机に突っ伏す。そんなタイミングを見計らったかのように、執務室のドアが開かれた。


「お兄様!……って、あら?どうなされましたの?」

「……マリー様、あれほどノックもなしに陛下の執務室に入ってはいけませんと申したでしょう。」


 マクシミリアンは、訪問者に向かって笑顔で窘める。彼女が幼い頃から何度注意したか分からない。


「いいじゃない。わたくしがノックもなしに入るのは、この部屋だけよ。あとはきちんと、面会伺いをたてますし、お兄様の自室であればきちんとノックいたしますもの。」


 しかし、マリーには効いていない。昔からこの調子なので、彼女が結婚でもしない限りは、この調子が続くのであろう。


「それにしても、お兄様は一体どうなさったの?お義姉様がお兄様にお手紙を送られたと情報があったからこうして訪ねてまいりましたのに。」

「マリー様。それはどこからの情報にございますか?」

「わたくしには優秀な間者がおりますのよ。それより、お兄様ですわ。アリス様からのラブレターにやられてしまったのかしら。」

「ラブレターなんかじゃないぞ!」


 マリーの声にまったく反応を示さなかったヴィクトルだったが、ラブレターと聞いて声をあげた。


「ラブレターじゃなかったのですか?」

「側妃に御子が生まれた場合のご相談だったそうです。」

「まあ。」


 驚きの声をあげるマリーとは対照的に、口にすればするほど面白かったのか、マクシミリアンはもう一度吹き出す。それを聞き逃さなかったヴィクトルは、マクシミリアンに向かって執務机から顔をあげて、きっと彼を睨んだ。


「お兄様、マクシミリアンを責めても仕方ないことですわ。こうなったら、お義姉様を口説こう大作戦を決行するしかありませんわ!」

「……なんだ、その作戦は。」

「そうですね。普通ならデートに誘うことから始めるところでしょうけれど……。お兄様には難しいでしょうから、贈り物をされては?」

「贈り物ならドレスを贈ったぞ。」


 ヴィクトルは自慢気に言った。しかしそれに、マリーは「はぁ。」と溜息をこぼして額を抑える。


「妻のドレスを夫が見立てるなど当たり前のことです。それ以外で贈り物をするのですよ。例えばそうですね……。何もないときにアクセサリーを贈ったり、毎日のように愛の花言葉を持つ花束を贈ったり。お兄様にはそういうところが足りないのですわ。」

「しかし、鬱陶しいと思われたら……。」

「それでもいいのですわ。なにか行動を起こさないと、お義姉様がお兄様のことを好意的に思う日はきませんわよ。」

「ぐ……。」

「とりあえず、来週あたりに一緒に王都へ出かけましょう。そこで、贈り物を探すのです。そうですね。商会の視察という名目で店を回りましょう。そこで、一番気に入ったものを贈り物に。」

「……分かった。マクシミリアン、いいか?」

「ええ。来週でしたら、予定を組めるかと。」

「悪いな。よろしく頼む。」

「承知いたしました。」


 マクシミリアンは口元に笑みを浮かべながら、ヴィクトルの予定を調整するために執務室から下がった。マリーは「お茶を1杯いただきますわ」と言って、侍女を呼ぶ呼び鈴を鳴らしている。


 ヴィクトルは、じっとアリスからの手紙を見つめていた。「彼女は字も綺麗だ……。」と感動したことは、誰にも話さないと心に決めた。






「……貴女は今、なにか欲しいものはあるか?」


 昼食の時間に、ヴィクトルからそう尋ねられて、アリスはちょっと困ったように笑った。“欲しいもの”とは、一体どんなジャンルで答えたら良いのか、皆目見当もつかなかったからだ。


「王城での生活に不満はありません。」


 そのため、無難な返事をした。ただそれは、嘘偽りのない言葉だった。輿入りする前にアリスが最も欲しいと思っていたのは、研究のための書物だ。王城にはそれが全部そろっている。だから今のところ、アリスには「あれが欲しい!」と思えるものがないのだ。


「遠慮しなくていい。欲しいものがあったら言いなさい。」

「そう言われましても……。」


 万年筆だってレターセットだって、アリスが揃えなくても準備をしてある。それは、ドレスやアクセサリー類も同じだ。しかし、強いて言うならば……。


「じゃあ、2つおねだりしても良いでしょうか。」

「なんだ。」


 アリスは恥ずかしそうに、そしておずおずと口を開いた。


「1つは、許可をいただきたいのです。」

「許可?」

「はい。……実は、先日のわたくしが開催しました茶会の手土産のハチミツを、誤って赤ん坊に食べさせてしまったご夫人がいらっしゃったそうで。一命はとりとめたそうですが、お見舞いに伺いたくて。」

「どこの家の者だったんだ?」

「バリエ準男爵家だそうです。」


 アリスの意図が分からず、ヴィクトルは困惑した。準男爵家であれば一代限りの貴族だ。王妃が直々に見舞いに行くほどでもないだろうと言っても過言ではない。


「そうか……。それで、貴女が見舞いに行きたい理由を伺っても良いだろうか。バリエ準男爵夫人と懇意にしているというわけでもないだろう?」

「はい。特別縁があるわけでもございませんし、直接会話したのは先日の茶会が初めてにございました。今回、お見舞いに伺いたいわけは、わたくしの配慮不足だったからです。ハチミツを手にしたことのある者であれば、それを赤ん坊に食べさせるのは毒であることを知っていたと思いますが、そうでない方はどうだったでしょうか。“健康に良い”と聞けば、親心から赤ん坊に食べさせてしまうこともあったのではないかと。……ハチミツを食べたことのない方にも喜んでいただきたいと思って行ったことではありましたが……。今回はそれが裏目に出てしまいました。注意事項をきちんと同封していれば、こんなことにはならなかったと思うのです。」

「そうか……。」


 それでも、アリスが直接伺うことのほどではないだろうとヴィクトルは思う。しかし、それがアリスなりの誠意なのかと思うと、尊敬に値すると感じた。


「貴女は、一人一人を大切にされる方なのだな。」


 ヴィクトルの一言にアリスの胸がどきんと跳ねる。分かってもらえたことが、こんなにも嬉しいとは思わなかったのだ。


「……はい。身分に関係なく、王妃として一人一人と向き合って参りたいのです。」

「そうか。分かった。ならば許可しよう。」

「ありがとうございます。」


 こんなにもあっさりと承諾してもらえるとは思わず、アリスは破顔した。


「では、もう1つはなんだ?」

「もう1つは、根菜を食べていただきたいのです。」

「コンサイ……?」

「ええ。野菜の根っこの部分です。とても栄養価が高いのですが、“土の中のものを食べるなんて”という声から、中々流通しないのです。巷では“毒がある”と誤解も広がっているとか。農村地帯ではよく食べられている野菜なのです。葉物野菜とは違って甘味もあってとても美味しいですし腹もちもいいので、一人でも多くの民の元に届けばと思っておりまして。」

「なるほど。つまり、私が食べれば無害が証明され、流通のきっかけになると。」

「はい。実はわたくしの畑でも育てておりまして。それを食べていただけたらと。驚いたことに、この王城の畑は通常の畑よりも良い土なんです。調べてみましたら、わたくしの畑があった場所は、花壇だったとのことだったのですが、その前は肥溜めだったそうで。王城の馬たちは良い食べ物を食べておりますので、一般的な肥溜めよりも良い土を作ったのでしょう。それで、わたくしも見たことがないほど野菜たちが生き生きと成長しております。ですから、陛下にはその最高の根菜類を食べていただきたいのです。」

「ふむ。貴女がそこまで言うのであれば、一度食べてみよう。」


 ぱっとアリスの顔は明るくなり、期待の眼差しでヴィクトルを見つめた。「この表情、あの図書室で前に見たことあるな」と、ヴィクトルは懐かしさからつい口元を緩める。


「陛下、心から感謝申し上げます。あとこれは1つ提案なのですが、王城の馬たちの堆肥を農地に寄附してはいかがでしょうか。」

「寄附?」

「ええ。良い肥料であることを考えると、土の肥えが悪い農地にとっては、恵みとなるのではないでしょうか。そうすれば、その土地の馬も良い餌が食べられるようになり、良い堆肥を作れるようになるのではないでしょうか。」

「つまり、好循環になるということだな。」

「はい。」

「なるほど。一度議会にかけて検討しよう。民たちの生活に関わることだからな。」

「ありがとうございます。」

「なに、礼には及ばない。こちらが感謝申し上げたいくらいだ。」

「そんなことは。」


 研究を進めれば進めるほど、畑の肥えない地域のことがアリスは気になっていた。食べることは生きること。その食べ物が少ししかない土地では、栄養不足も懸念される。そこに住んでいる人がいる限り、大事な命を育める環境の整備をするのが、王族の責務であるとアリスは考えているのだ。


 しかし、アリスは別のことも気になっていた。昨日、ヴィクトルへ出した手紙の返事だ。側妃の御子をアリスが教育しても良いものか尋ねたが、ヴィクトルからは何も返事をもらっていない。そのため、今日の昼食時に返答されるかと思ったが、その話題にすらなりそうになかった。


「あの、陛下差し出がましいようですが……。」

「なんだ?」

「昨日のわたくしのお手紙は、読んでいただけましたでしょうか……?」


 アリスはそっと、ヴィクトルを伺うような視線を向けると、彼のこめかみがぴくりと動いたのが分かった。もしかして、余計な気を回してしまったかとアリスは思う。御子を産めば側妃は解任されると決まっているため、ひょっとしたらすでに教育係も決まっているのかもしれないと。


「……ああ。」

「わたくしは、どのように接したら良いでしょうか。」

「……それについては、貴女は何も考えなくていい。私の方で対処する。」

「承知いたしました。」


 「やはり、出しゃばったことをしてしまった」とアリスは思った。もし、側妃の中で一番に懐妊する可能性が高いのは、ヴィクトルが執心していると噂のルージュであろう。「よく考えたら、その愛する我が子を私に託されるなんてことはないわ。」とアリスは心を曇らせた。


 ひょっとしたら、あれだけルージュを目にかけているヴィクトルであるから、側妃を解任せずに第二子、第三子と誕生するかもしれないとアリスは思った。――そうなったときに、この恋心は冷静で居られるかしら。


「もし、貴女は私と側妃の間に御子ができたら、どう思う?嫌か?」


 ヴィクトルの問いかけに、アリスははっとする。そして、ヴィクトルと側妃との間に御子が生まれることを、否定できない立場であることを突き付けられた。アリスは「恋心を優先させるなんて、王妃失格だわ」と自分の心を立て直した。


「とんでもございません。とても嬉しく思います。その御子はわたくしの御子同然ですもの。ですからもし、そのような未来がきたときには、わたくしにできることは精一杯させていただきたいですわ。」


 アリスは、とびきりの笑顔を貼り付けて言った。まるでさも、「それこそが自分の幸せである」とでもいうような口調で。少しも言い淀まないアリスに、ヴィクトルは「そうか……。」と苦笑いしながら返事をした。






「さあ、フィリップ!観念しなさい!」

「お、王妃殿下、お待ちを!」


 ヴィクトルに根菜の許可をもらった次の日、アリスは厨房を借りて根菜類の調理をしていた。ヴィクトルに食べさせるのであれば、きちんとしたものをという思いからだ。王城の料理人に任せればいいかもしれないのだが、皆調理法が分からなかったため、アリスが手本を見せながら、調理をしたのだ。


 その餌食となろうとしているのが、フィリップである。調理をしたからには、第三者に食べさせなければならない。そういうわけで、アリスはフィリップを呼び出して、甘く煮たニンジンの根を食べさせようとしていた。


「何言ってるの。あなたはパストゥール王国に忠義を捧げた騎士殿でしょ!さあ口を開くのよ!」

「し、しかし!なぜわたくしなのですか!」


 橙色のそれをフォークに突き刺して、剣のようにして口元に差し出すアリスに壁際に追いやられ、逃げ場がなくなったところでフィリップはその質問をぶつけた。口に入れる猶予が欲しかったのである。


「だってあなたしか居ないじゃない。わたくしの信用に足りる第三者は。料理人の皆さんは、興味津々で口にされるでしょうから、また角度が違うでしょ。それともフィリップは、陛下が口にされてからじゃないと口にしないとでもいうの?」

「まさか!」


 臣下たるもの、安全性が確認されたものでないと、ヴィクトルの口に入れるわけにはいかないという思いは、フィリップも持っている。しかし、その見た目からどうにも食欲がわかない。


「大丈夫よ。このわたくしの研究の末に、美味しいと立証された根菜なのですから。ニンジンの次は、ジャガイモも食べてもらいたいんだから、さっさと食べてちょうだいな。はい、あーん。」


 「あーん」とアリスに言われては、もう食べるしかない。フィリップはまさしく、万事休すである。一文字に結んでいた唇を緩めて、おずおずと開いたところに、ひょいっとニンジンが入れられる。


「!」

「どう?美味しいでしょ?」


 口の中に広がる甘さと、噛み応えのある食感。そして、噛めば噛むほど甘味と旨味が喉を通っていく。


「これは。」

「今回は甘く煮たけれど、煮込み料理に入れても美味しいし、すりつぶしてケーキに入れても美味しいのよ。」

「さようでございますか。腹もちしそうなので、団の食事に入れても良いかもしれません。」

「そうね。じゃあ今度はジャガイモね。こっちは根菜じゃなくて芋なんだけど。フィリップにとってはこっちの方が馴染みあるかもしれないわ。スイートポテトをよくお裾分けしていたでしょう?それの仲間なの。」

「ああ!ブラシェール侯爵夫人からよくいただいていた、あの菓子ですか。」

「そうよ。甘さはそこまでないから、こちらはお菓子というよりもご飯ね。さあ、食べてみて。」


 今度は、ふかしたジャガイモをフィリップの口へと運ぶ。


「どう?美味しいでしょ?」


 一噛みするごとに、フィリップは目を大きくさせた。


「ほっぺたが落ちそうです。わたくしは、ジャガイモが好きかもしれません!」

「そうでしょう。」


 アリスは満足気に笑った。


「フィリップが美味しいと言ってくれたわ。料理人の皆さんもどうぞ、いただいて。」


 アリスの言葉を待ってましたとばかりに、厨房にいた料理人が次々にニンジンとジャガイモへと手を伸ばす。アリスはその光景を見て、軽く鼻を鳴らした。


「皆さん、お味はいかがかしら?」

「美味しゅうございます!」

「噂には聞いておりましたが、このように食べられるなど存じ上げませんでした。」

「土の中のものを食べるなんてと思いましたが、こんなに美味しいとは思いもしませんでした。」

「どちらもスープに入れて煮込んでも美味しそうですね。」


 次々に、称賛の言葉が飛ぶ。そうでしょう、そうでしょうとアリスは鼻高々だ。


「ええ、そうですわ。こちらのジャガイモは細かくすりおろしてポタージュスープにもできますわよ。」

「なるほど。」

「きのこと一緒に煮ても美味しいですわ。」

「さすが王妃殿下にございます。わたくしたちの知らない食材をこんなにも。」

「わたくしは農業が好きなだけですわ。そこから先は、あなたたち料理人の領域だと思っております。どうか、陛下に美味しい根菜類を食べさせて差し上げたいので、ご協力いただけるでしょうか。」


 アリスは料理人たちに向かって、淑女の礼をした。王妃殿下の丁寧な依頼に、料理に夢中になっていた料理人たちも食器を台の上に置いて、背筋を伸ばしてアリスの方へと向く。


「どうか、わたくしたちにお任せください。」


 その場に居た料理長が、紳士の礼をとりながら承諾の意を示した。


「あなたたちの厚意に感謝申し上げます。なにか必要な食材があれば、申し付けてください。」

「王妃殿下のお心遣い、感謝申し上げます。」


 にこっとアリスが笑顔を飛ばすと、厨房はほわっと桃色の空気に包まれた。こんなにも近くでおねだりされれば、憧憬の念を抱いてしまうのも仕方がない。


 厨房にはバルバラが居た頃から働いている者が多く、アリスが厨房にやってくると聞いただけで警戒していた者も居たが、アリスの意図が分かって協力的な雰囲気になった。


 アリスは、厨房の者たちに警戒されることは分かっていた。だからこそ、味見係としてフィリップを連れてきた。できるだけ、自分の人柄を分かってもらいたいというアリスの思いもそこに込められていたのだ。


「他の根菜はどのように調理いたしましょうか。」

「皆さんにお任せいたしますわ。ジャガイモだけ芽を取るのと皮を厚く剥くのだけ気を付ければ、他は火を通せば皮ごと食べられるものばかりですので。一番美味しい料理を作ってくださいまし。」


 アリスはニンジンとジャガイモの他に、タマネギやサツマイモ、カブ、ラディッシュ、ダイコンを持ってきていた。美味しい食べ方はアリスも知っていたが、料理人の方が新たな発見をしてくれると思い、注意事項しか伝えなかった。


「承知いたしました。必ずや、美味しい料理を。」

「ええ。期待しております。」


 なんとかおねだりを聞いてもらえて、アリスは心からほっとした。


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