第3話 旦那が奇妙なものを描いてました。

 おかあ様方と長い長い話をした後、私は夕方頃自分達の天幕に戻りました。

 入ると彼は何やら床に大きな薄い革を広げ、骨ペンと墨で何やら熱心に書き込んでいます。


「何描いてるの?」

「よく聞いてくれた!」


 ぱっ、と彼は側に座った私の目の前にそれを広げました。


「地図? ではないでしょう? 何の絵?」

「いや地図」

「地図?」


 それは違うでしょう、と言いたい気持ちをちょっとだけ押さえて、私はそれをまじまじと見ました。


「やっぱり絵に見えるわ。だいたいこの端の線とその向こうにあるものは何なの? 『うみ』って」


 私の知っている地図は、ここからどこかへ行く時の道案内図です。だけど今彼が描いていたものは、大きな塊でした。


「海はあっちからこっちまで水ばかりの場所」

「湖じゃないの?」


 湖なら、生まれてこの方何度かした移動の際に見たことがあります。

 何と言っても水が無ければ生きていけないので、移動する時には井戸が作れそうな場所か、湖の近くか。

 だからそんな場所を常に部族の中から探す専門の役割のひとも居ます。今私達が住んでいるのは、井戸のある場所です。


「むかしあんたとも行ったよね」

「うん。水たまりという意味では同じなんだけど、こっちは広さが全然違うんだ」


 それで、と彼はかたまりの真ん中近くを指しました。


「今俺等がいるのがこのへん。この間までいたのがこのへん」


 指した二つの場所はほとんど離れてません。


「イリヤ、言ってる意味がわからないわ」

「うん、まあダリヤでもわからないとは思ってた。ごめん。だけど知って欲しいなとは思うんだけど、俺等の住んでる場所って、ものすごーく小さいんだ」


 私はそれに何と答えていいのかわかりませんでした。

 何に対して小さいというんでしょう。日々眺める草原も空も果てが無いというのに。


「いや言いたいことはわかる。ただ」


 彼はその「うみ」側に指を滑らせました。


「こっちに行くと、もっと住みやすい場所があるんだ」

「あんたそっちに住みたいの?」


 まさかここを出ていきたいということ? でもそれでは、まず部族長、と話がつながりません。


「いやいや、俺等はここに住みたければ住めばいい。だけどこっちが住みやすいかどうかも見てみたいなあというのがあるんだ」


 やっぱり何か大事なことが抜けているような気がします。


「ねえイリヤ」

「何ダリヤ」

「いったいぜんたい、どうしちゃったの? 何か山であったの?」


 やっぱりこのひとの頭の方を心配したくなりました。何だかんだ言って私の旦那なんですから。

 彼は腕を組んでうーん、としばらく口を一文字にして黙りました。

 そしてやがて上目づかいで私の方を見ると。


「……俺が何言っても信じる?」


 さてどうしましょう。

 私はこのひとと結婚してもう三年になります。

 このひとは器用貧乏で、たいがいのことはまあ無難に人並み以上にはこなします。ただ言われないと自分で仕事をわざわざ見つけてくるような性格ではないし、発言も時々素直過ぎて場を乱すこともなくはないです。

 それでも私は幾人かいた同じ年頃の候補の中で、彼ならいいと思いました。

 ときどきすっとんきょうなことは言うとしても、何かしらの意味があることがほとんどなのです。

 義母もその辺りを心配して、あまり噂話が好きではなく、一方で女だてらに狩りをするのも好きなずけずけとしたところもある、彼とはやや反対気味の私を応援したのでしょう。

 そういう彼が珍しく、本当に! 珍しく言い出したことです。


「信じるわよ」


 私がそう言わなくてどうするんですか。

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