異世界で聖女になった私、現実世界でも聖女チートで完全勝利!

四葉夕卜

第1章 聖女誕生

プロローグ


 とある街の中心部に、藤和白百合とうわしらゆり女学院という女子校がある。


 その地域では誰もが知る名門校であり、お嬢様学校として名高い高校だ。

 セーラー服に、高校では珍しい純白のブレザーとスカートをシンボルとした、街の名物とも言ってもいい制服を採用している。この制服に憧れて入学してくる生徒も多い。


 私たちは制服を汚さないという自信の現れでもあり、純白の制服は彼女たちの誇りだ。


 そんな夏服のブレザーに、革靴の跡をつけられた女子――平等院澪亜(びょうどういんれいあ)は嵐が去るのを待つかのように、身体を丸めて地面にうずくまっていた。


 彼女の純白の背中は、何度も踏みつけられたのか、茶色く変色している。


「おいデブ。おまえがいるだけで温度が上がるんだよ」


 背の高い、気の強そうな女子が澪亜の丸い背中を蹴りつける。

 革靴の跡がまた一つ増えた。


「脂肪が多すぎて跳ね返ってくるんですけどぉ」


 ケラケラと気の強そうな女子が笑うと、周囲にいた取り巻きの女子三人も笑った。


 澪亜を蹴りつけているのは田中純子という、金持ち社長令嬢だ。どう育てられたのか、理由もなく澪亜を学校でいじめ抜いている。


「もう学校に来ないでくれませんかぁ〜、没落お貴族おデブさまぁ」


 ゲラゲラと女子たちの笑い声が校舎裏に響いた。

 澪亜は指だけは怪我をしないようにと身体を丸めている。いつものこと、いつものこと、と言い聞かせて声を発しない。


「何も言えないんですかねぇ、平等院家のお嬢さまは? ほら、なんとか言いなさいよ。ホラ、ホラ、ホラァッ」


 言葉に合わせて純子が背中を蹴りつける。


 容赦ない威力に澪亜は息をするのも苦しい。

 それでも澪亜は「何も言えないのか」という問いかけに、律儀に答えようと顔を上げた。


 澪亜の鳶色の瞳が、純子を見つめた。


「こういうことは……よくないと思います」

「うるせえんだよ!」


 純子が目を吊り上げて、ゲシゲシと澪亜の背中を再び蹴り始めた。


 澪亜は顔を引っ込めて縮こまる。


 もはや純白のブレザーに白い箇所は見つからない。純子はわざと砂を靴裏にこすりつけて足跡を残すように蹴っていた。


 田中純子は何度いじめても言い返してくる、優等生な澪亜が気に食わないらしい。中学二年生で澪亜と同じクラスになってから高校一年生になった今まで、飽きもせずこうして澪亜に直接的な嫌がらせをしている。


「お前の死んだ両親はバカだから没落したんだよ。親を恨め。豚女」


 澪亜は唇を噛み締めた。


 いつもこうだ。純子は必ず最後には死んだ両親を引き合いにだして、ひどいことを言ってくる。澪亜は悔しくて涙が出そうになるが、淑女が人前で泣くのは嬉しいときだけよ、という母親の言葉を懸命に思い出して、仕打ちに耐えた。


「あれを出して」


 やがて飽きたのか、純子が取り巻き連中に指示を出した。

 澪亜が顔を上げると、澪亜の学生鞄に大量の砂が投下されていた。


「ど……どうしてそんなことをするんですか?」


 ザァァとご丁寧に準備してきたらしい砂が落ちていく様を見て、澪亜が悲鳴に近い声を上げた。


「どうって? 面白いから」


 純子が笑うと、取り巻き連中の一人がパンパンに膨れ上がった鞄のチャックをしめる。


 入り切らなかった砂がこぼれ落ちた。

 きっと中の教科書はひどいことになっているだろう。


「持ってみて。どう、重い?」

「はい。とっても重いですわ」


 取り巻き女子が砂入りの鞄を持ち上げて、よろめいた。

 純子はそれを見て大爆笑する。


「豚。今日は砂を入れたまま帰れ。いいな?」


 純子は満足したのか、茶色になった澪亜のブレザーを見て鼻で笑い、去っていった。


 澪亜は呆然と純子と取り巻き連中、四人の白い後ろ姿を眺めた。


「……痛いです……」


 起き上がると、蹴られた背中と脇腹が痛む。

 泣きそうになったが、ぐっとこらえ、ブレザーを脱いで広げた。


(ひどい……どうしてこんなことができるんだろう……)


 真っ白だったブレザーが見るも無残な状態になっている。


 純子に対する憎しみよりも、疑問のほうが大きい。なぜ他人にこんな仕打ちができるのか、理解できなかった。


(家に帰って洗わないと……)


 澪亜がブレザーを丁寧に叩いていると、二人の女子生徒が校舎裏にやってきた。


「あ……春菜、芽々子……」


 色素の薄い髪をした姉妹と目が合った。


 かつては一緒に暮らしていた、義理の姉と妹だ。


 二人は純子に教えられ、わざわざ澪亜の様子を見に来たらしい。

 何も言わず、汚物でも見るかのような視線をよこし、小馬鹿にした笑いを残していなくなった。


 三年前までは仲が良かった義理の姉妹。


 仲良しだったのは彼女たちの振りであって、心から澪亜を親族だと思っていなかった。澪亜の父である平等院家は、夏月院家に裏切られ、すべてを奪われた。その後、姉妹は豹変した。


「……」


 澪亜はみじめな気分になった。


 なぜ、自分がこんな目に合わなければいけないのかわからなかった。

 両親が亡くなって家が没落したから? それとも自分が太っているから?


 また涙が出そうになってくる。


 いっそ、今この瞬間に世界が消えてなくなってくれたらどれだけいいかと思う。


(おばあさま……)


 マイナスな思考をすると、一緒に住む唯一の味方である、祖母の顔が浮かんだ。


 澪亜は顔を上げてスカートの汚れをできるだけ払い、ブレザーを丸めて手に持った。鞄を開けてひっくり返し、砂に埋れた教科書や筆箱を拾い上げる。


(せめて私が痩せていたら……違ったのかな……)


 動かしている自分の太い腕を見て、澪亜は力なく笑った。

 どれだけダイエットを頑張っても痩せられない不便な身体だ。


(どこか遠いところへ行ってみたいよ……誰も私を知らない、どこか遠くへ……)


 澪亜は砂だらけの教科書を丁寧に叩いて、鞄へ入れていく。

 中身はまた家に帰ったら洗おう。


 そう決めて、校舎裏から歩き出した。



      ◯



 築六十年。おんぼろの一軒家が平等院家の自宅だ。

 以前住んでいた豪邸は、夏月院家のものになっている。


 澪亜は重い足取りで玄関まで歩き、ドアを開けた。


「おかえりなさい」


 玄関を開ける音を聞いたのか、祖母の声が響いた。


「ただいま戻りました、おばあさま」


 澪亜がつとめて明るく言うと、リビングの座椅子に座っている祖母が怪訝そうに眉をひそめた。


「どうしたの? 何かあったの? 砂の匂いがするじゃない」


 祖母が白濁した瞳を澪亜に向けた。


 昔は有名なピアニストとして活躍し、その美貌と卓越した演奏技術で世界中から引っ張りだこであった祖母の鞠江は、十年ほど前の事故で目が見えなくなった。それを機にプロピアニストの活動も引退している。


 澪亜の両親が亡くなってからは、澪亜と二人で暮らしていた。


 鞠江の失明はお家没落のタイミングよりも少し前だ。無関係ではないと思い、澪亜が理由を何度か聞いたが、教えてはくれなかった。


 そんな祖母の鞠江は平等院家が没落しようとも名家らしさを失っていない。座椅子にすっぽり収まっているが、背筋が伸びていた。


 澪亜は祖母に見つめられ、すべてを見透かされているような気持ちになって息を飲んだ。


(いじめられてること、おばあさまには言えない……。これ以上心配をかけてはいけない)


「いえ……なんでもありません。先ほど、転んだからだと思います」

「そう。先週も転んだわね? 淑女たるもの、注意深く歩かなくてはいけません」

「はい。申し訳ありません」


 鞠江が何度かまばたきをすると、にこりと微笑んだ。


「お隣さんにお芋をもらったのよ。ふかしてあるから食べなさい」

「まあ。後でお礼を言わなければいけませんね。それより大丈夫ですか? お指に火傷などしてませんか?」

「平気だわ」


 鞠江がカラカラと軽快に笑った。

 目が見えなくても、この祖母は自由人であった。


 心配性の澪亜はいじめられたこともすっかり忘れて、学生鞄を置き、祖母の指へ視線を落とした。


(長い指……火傷はしてないね)


 うんと澪亜はうなずいた。

 以前、一人で調理をして火傷したのだ。あれからいつも心配している。


「料理は私がしますから、おばあさまはあまりご無理をなさらないでください」

「いいのよ。澪亜には苦労をかけたくないんだから。それよりもほら、着替えてきなさい。ピアノの練習も忘れないようにね」

「わかりました」


 澪亜は素直にうなずいて、部屋着のワンピースに着替えた。

 ピアノを練習する前に、面所で汚れた制服を洗っておく。


(なぜあんなひどい……田中さんはひどい人です……)


 じゃぶじゃぶと水でブレザーを洗っていたら、また蹴られた痛みを思い出した。みじめな気持ちと、絶望感が胸に広がっていく。こんな毎日が卒業まで続くのかと思うと、胃が痛くなった。


(人のことを悪く言うのはよくないよね……お母さまとお父さまなら、なんて言うんだろう……)


 茶色くにごった水が排水口へ流れていく。

 渦を巻いている水の中で溺れている自分を想像し、澪亜はため息をついた。


(……わからないな……)


 澪亜は二階に上がり、ブレザーとスカートをベランダに干した。

 錆びが目立つ物干し竿に、藤和白百合女子の制服がひるがえる。まったく場違いに見えて仕方がない。


 ベランダから二階の部屋に戻ると、ところ狭しと物が置かれていた。


(お掃除しないとね……思い出の品ばかりだし……)


 金目のものはすべて奪われてしまったため、部屋に置かれているのは相手にとって価値のない、写真や両親の洋服だ。


 唯一高級品で持ち出せた物は、祖母のグランドピアノだけだ。さすがにピアニストからピアノまで奪ったら外聞が悪いという自分勝手な配慮であろう。ピアノは一階の部屋に置いてある。


(鏡も拭いたほうがいいかな?)


 祖母が大切にしている、古ぼけた全身鏡に近づく。

 かかっている布を取ると光が鏡に反射した。


(綺麗な鏡……自分の姿は見たくないけど)


 澪亜は自分の全身が映らないように、斜め前に立って、鏡の縁をなぞった。

 髪の毛を手に取り、鏡に映してみる。


(お母さまとおばあさまと同じ色……でも……)


 鳶色の瞳、亜麻色の髪、白い肌――すべて母と祖母譲りだ。


 ただ、どう頑張っても太った身体が細くなることはなかった。顔に肉がつきやすいのか、お饅頭のように丸い。澪亜は自分の身体と、自分の顔が、大嫌いであった。自分の顔を鏡で見るのがいつから嫌いになったのか、覚えていない。


 ぼんやりと鏡の縁をなぞっていると、光が反射して色味が強くなったように見えた。


(虹色に光った?)


 澪亜はおもむろに指を伸ばし、鏡に触れてみる。


「――えっ」


 指がスルリと鏡へ吸い込まれ、ずぶずぶと身体が引き込まれていく。


 抗えない力に、澪亜は悲鳴を上げる暇もなく、鏡の中へと吸い込まれていった。

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