第二節~時空龍・サタヴァ―ハール~

「今の爆炎術ソウルバーンで、時空龍を封じている第一の封印が解けた。これで神龍と意識を通じて会話することができる」

「そうなんだ、すごい」

「ここからはおぬしの番だ。神龍と契りを交わせ。この門を使う正当な理由、行先、おおよその旅行期間を伝え、力を貸してくれるように頼むのだ」

「う、うん!」

 入里夜は決心したような顔でうなずき、門の前に立った。正面に立つと、門から今まで感じられなかった強い意志のようなものが溢れ、巫女の神経を刺激する。

「――うっ!」

 その場から押し返されるような圧迫感を感じた入里夜だが、ぐっとこらえ、神龍の声を聞こうと精神を研ぎ澄ませた。

 やがて彼女の脳裏に、神龍のものだろう厳かな声が響き渡り始める。それは、清めの儀式の際に聞こえた朔夜の声のように、脳内を駆けめぐる。

『我、此れなる門に宿りし大いなる力。汝、我の封印を解きし者。汝、我に何を求めん』

「ひゃう⁉」

 入里夜はその声を聞いて、ここにいる神龍が、清めの儀式で契りを交わした龍とは全く別物であることを感じていた。すさまじい恐怖が迫りくるが、ここが踏ん張りどころである。

 彼女は後ろへ下がりたがる己の意志を何とか制し、門に向かって語りかけた。

「は、はい、私は月宮の者です。おかっ……母の命で……ええっと、異世界へ散らばってしまったじ、神器の回収に向かいたいです。どうかお力を貸してください」

 どうにか言いたいことを言えた入里夜だが、緊張感と威圧感でもはや倒れそうだ。

 彼女が跳ね上がる心臓を落ち着けながら反応を待っていると、少し間を開けて、再び少女にとって苦手な声が脳裏に響いた。

『何を申しておるか、この安寧の地において神器が失われることわりがどこにあろう。戯言たわごとを申すために赴いたのであれば、立ちどころに去るが良い』

「――っ!」

 入里夜は心臓が潰れるかと本気で思った。彼女は緊張のあまり、「大魔界」の侵攻を一言も喋っていない。これでは神龍に拒絶されても致し方ない。

 すぐそれに気付いた入里夜は、舌を何度も噛みそうになりながら必要事項を付け足した。

『……大魔界の侵攻。此れこそ汝が我が力を必要とする理か』

 神龍の意志はようやく少し威厳を落とし、入里夜が耐えられる声で問いただした。彼女としては、これだけで生き返った心地である。

「あっ、は、はいっ、そうです! ……はっ!」

 彼女は思わず弾むような声を出してしまい、慌てて両手で口をおおった。横で見ていたレンが思わず盛大に噴き出す。

「ちょっ、ちょっとレンくん!」

 入里夜が恥ずかしそうに顔を赤らめ、ふくれっ面でレンに目を向けた。門番が慌てて謝罪する。

「あっ、いや、笑ってすまない」

 巫女が頬に詰めこんだ空気をぬくと、門にある龍の像の眼が紅い光を放った。入里夜が例によってびくっとなる。

 ふたりが像に注目すると、神龍の声がまた流れ始めた。しかし今度は脳裏にではなく、龍像の口辺りから実際に聞こえてくる。

「入里夜よ、汝の強き意思は我に伝わった。では真に月宮の者であるという確固たる証を示せ。それが偽り無きものであれば、我と汝の契約は完了する」

 入里夜とレンはそれを聞き、ぱっと顔を上げた。入里夜の強い決心と思いは、神龍に届いたのだ。

「でもレンくん、月宮の者である証って?」

 答えを探し求めるように、首をかしげる入里夜にレンがうなずいた。

「なに、簡単なことだ。私がおぬしと初めて会ったあの時、何故私はおぬしを誤って殺してしまわなかったか、もう忘れたか」

「そっか! 家紋ね」

 入里夜がはっとして声を上げると、レンはうなずいて門に刻まれた「証」という文字を指さした。

「うむ、我らにとってそれぞれの家紋は、絶対的な信頼性を持つ身分証明になる。あの「証」と書かれた場所に手をかざせ」

「分かった」

 こくりとうなずいた入里夜が門に近づいて手をかざすと、彼女の手に魔方陣が浮き上がり、文字の上に青白く月宮家の家紋が現れた。

「レンくん、これでいいの?」

「うむ、問題ない。それで少し待つんだ。もう手は放してよいぞ」

 入里夜がゆっくりと手を下ろすと、月宮家の家紋の上から「認証」の文字がかぶさるようにして上書きされ、やがてすべては静かに消えていった。

 そして、改めるような口調で神龍の声が流れる。入里夜には、随分と聞きやすい雰囲気になったように感じられた。

「我は世界の時間を司りし時空龍、サタヴァ―ハール。月宮の巫女、入里夜よ。汝との契約はここに完了した」

 入里夜の顔が朝日のように輝き、レンのほうもにこやかな表情だった。

「うむ、いや、本当によくやったな、入里夜。……んっ、どうしたのだ入里夜」

 レンが不思議そうな声を出したのは、入里夜がゆっくりと門に近づいていたからだ。

「あの、サタヴァ―ハールさま」

「どうした。我に問いたきことがあるか」

「はい、あの……どうして私を認めてくださったのですか? 私なんてまだ未熟な巫女なのに…」

 入里夜は珍しく真剣な眼差しで龍像を見上げた。レンもただ静かにその答えを待つ。

 やがて静寂が破られ、威厳はそのままで、どこか穏やかな口調の声が龍像から流れでた。

「未熟か否か。それを判断するは心の強さである。汝は我が声に恐れを抱きながらも、己の使命を果たすことを選んだ。恐怖より脱したいと思うより先に、汝は世の平和を心底で望んでいた。汝を認めるには十分であろう」

「……あ、ありがとうございますっ」

 入里夜の顔がさらに温かい光を放ち、瞳が輝いた。言葉にするのが難しいが、強大な神にでも認められたようなここちだった。


「して入里夜よ、汝は何処いずこの世界への旅立ちを望むか」

 龍神の声に、入里夜がはっとして答える。

「は、はい。母からまず人間界へ行くように言われています」

「請け負った。ではこれより汝を人間界アイルジャークへ飛ばす」

 その時、その声に呼応して異界の門に異変が起きた。龍神像の頭上に「人間界」と言う文字が浮き上がる。

「ときに入里夜よ。汝は開錠魔法ジャルヴァーレを心得ておるか? 使えぬのであれば、我がここで伝承しよう。この門から旅立つには、その者自身の力で鍵を開け放つ必要がある」

 入里夜は笑顔で「はい」と答え、軽くうなずいて見せた。開錠魔法なら先ほど、魔力を解放するとき習得していただろう。レンはそれが意外だったようだ。

「入里夜、おぬし開錠魔法まで使えると言うのか」

「ええ、さっきお母さんが習得させてくれたわ」

 そうか、と答えたレンは、使い方までは知らぬ入里夜に開錠魔法の使い方を教えてやった。

 それから数分が経過し、入里夜の脳みそは何とかその使い方を覚えた。レンは教え方がなかなか上手いようだ。

 こうして準備は整い、入里夜は改めてレンと向きあった。

「入里夜、いよいよだな」

「うん、ホントにありがとう。レン君がいなかったら私は絶対に旅立てなかったわ。まだサタンたちとの戦いがあると思うけれど、気を付けてね」

「ああ、分かっている。月読様が降臨された今、私たちに敗北は無いが、むろん油断はしない。ゆえにおぬしも、自分のすべきことをしっかりこなせ。……それと、あと一つ」

「うん?」

「入里夜、最初会った時はすまなかった」

 レンは少し目線をそらし、頭を軽く掻きながらそう言った。

「あの時のことはもういいよ。でもありがとう。お母さんや雷羅にもよろしくね」

「ああ、分かった。任せておけ」

 レンの言葉に笑顔でうなずいた入里夜は、いよいよ異界の門にかけられている鍵の開錠に取り掛かった。

 彼女が本格的に魔術的な儀式を行うのは初めてだ。それもあるのか、なかなかに慎重でぎこちない。

 レンがすぐ後ろで見守るなか、入里夜は彼に教わった通り、そして先刻の暦の仕草を思い出して、鍵の紋章を描いた。その上から指で星形の魔方陣を描いて重ね合わせると、黄金の鍵が生成される。

「ふおおっ……す、すごい!」

 入里夜は、初めての魔術儀式にかなり興奮気味だ。できあがった鍵を手に取り、まじまじと見つめた。

「レンくん、みてみて、綺麗な鍵!」

「うむ、そうだな……。いやそうではなく……早く儀式を進めぬか!」

「わ、分かってるよぉ」

 入里夜は少し口をとがらせて言うと、手のうえで光り輝く鍵を、門の上部にある竜神像へ向けて放り投げた。鍵は竜神像の口に引き寄せられて口に入り、カチッと鍵が開くような音がする。

 そして像の口に「開」の文字が浮き上がった。

「うむ、入里夜、儀式は成功だ」

「ホント!? よかったあ、私でも何とかできた」

 入里夜は長い息を吐きだし、ほっとしたように胸をなでおろした。

 これで門の鍵は完全に開錠され、あとは門を開くのみ。ついに最終段階と言える。しかし、真に大変なのはここからだった。

 これより先は、門番であるレンの仕事だ。

 堂々とそびえたつ異界の門は、その大きさゆえに質量は計り知れず、開錠後は物理的な力で強引にこじ開けるほかない。

 レンはお札を懐から取り出しつつ入里夜に忠告した。

「入里夜、少し離れていろ。かなりの衝撃がくるからな」

「えっ!?」

 レンの言葉にびくっとした入里夜は、階段手前に鎮座する二体の龍像の片方に慌ててしがみついた。魔法で酷い目に遭うのはもうこりごりである。

 入里夜がしっかりとしがみついたことを横目で確認したレンは、取り出したお札を指ではさんで印を結び、守護結界の内側に新たな結界を展開した。

 この結界は、レン自身の物理的攻撃力を一定期間飛躍的に上昇させるもの。さらに彼は、魔力で頑丈なロープを作り、自身と入里夜がしがみついていないほうの龍像とを固く結びつけた。

「レンくん、いったい何をしているの?」

 レンは、ロープが解けぬよう何重にも括りつけながら答える。

「門が開くと次元空間道路ディメンション・ロードへ行けるのだが、同時に恐ろしい力で……いや、より正確に言えば風の力で門へ吸い込まれるのだ」

「ふえっ!?」

 入里夜は瞬く間に青ざめた。そんな話は聞いていない。何やら最悪な予感がするのだが、今さらあとには引けないではないか。彼女は思わず息をのみ込んだ。

 そんな彼女をよそに、自身の安全を確保したレンが手に魔方陣を宿した。

「はあああああああああああああああああ~っ!」

 レンはうなるような声を上げながら、持てる魔力を絞り出す勢いで放出し、手にした魔方陣に集約していく。

 入里夜はその様子を後ろから見守っていたが、やがてそれどころではなくなってしまう。

 しばらくすると、レンの魔方陣に魔力が集約し過ぎたために、余波の風や稲妻が発生し、結界内を激しく往来し始めたのだ。

「いやあああああああああああっ!」

 けたたましく叫び始めたのは、むろん入里夜だった。突風と雷に襲われるのは暦に叩き起こされてからもう何度めだろうか。

 今や結界内は、レンから放たれたものすべてが放つ轟音に支配されているのだ。入里夜にとっては生き地獄といえる環境だ。

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