第四節~神と巫女~

 怒り狂うヴァデルのことは無視して、月読は入里夜のもとへ歩み寄った。

「月読さま……あ、あのっ、ありがとうございますっ!」

 入里夜が少しおどおどしながら言うと、月読はふっと微笑した。彼の口から流れ出た声は、ヴァデルに向けられていた冷ややかな口調とはまるで違う、優しさ溢れるものだった。

「なに、此れしきのこと気にするな。入里夜こちらへ寄れ、その身に受けし傷を治してやる。それが終わり次第異界の門へ向かうとしよう」

 入里夜は月読の口調の変わりように驚いたが、彼の優しい瞳を見て安心し、吸い寄せられるように月読に歩みよる。

「うむ、美しい手だ」

 月読は入里夜が来ると彼女の手を優しくとった。

「あ、あの、月読さま?」

 入里夜は母と同じく色男に弱い。それなのにとつぜん手を握られ、彼女は少しあたふたしている。

 入里夜が身動き一つ取れずにいると、月読は入里夜を即死させるような行動に出た。

「っ!? ちょっ、つ、月読さま!? な、なにを……」

 かれは入里夜の柔らかな手を自分の口に近づけ、慌てる少女にかまうことなく優しく接吻をしたのだ。

 同時に入里夜の傷ついた体を金色の暖かな光が包み込んだ。優しく穏やかな光は、彼女の傷をそっと癒し始めた。身体から痛みが急速に引いて行く。

「月読さま、この光は……」

「これはわが力の一つ。月光の神秘性で我の持つ回復の力を増幅し、あらゆる傷を癒す」

 それからものの数秒で入里夜の身体の傷は完治した。この速さであれほどの怪我を治癒させるとは、さすがは神の力と言うべきだろう。

 だが。

「……ふえ~っ」

「な、なんだ入里夜、どうしたというのだ」

 月読が……その神性さに似合わぬ声を上げたのも無理はない。入里夜が傷の完治とともにとつぜん気を失ったのだから。

 月読はこれまでも同じように人の傷を癒してきたのだが、このような現象は初めてだ。かれはおどろき慌てふためいて入里夜の身を揺する。

「入里夜、しっかりいたせ! なぜだ? 回復魔術のみを使用したはずなのだが」

 月読の心配が極みに達しようとしたところで、入里夜がゆっくりと目を開いた。

 何とも幸せそうな表情だ。

「入里夜、気が付いたか」

「月読……さま? 私はいったい」

 入里夜は少しばかり現状理解に戸惑ったが、月読の腕の中で気を失っていたことに気づいて慌ただしく立ち上がった。

「入里夜、体のほうは大事ないか? おぬしは突如意識を失ったのだぞ」

「は、はいっ、大丈夫です! それよりも私……月読さまのう、う、腕の中で気を失ってしまうなんてとんだご無礼を!」

 入里夜はぺこぺこと何度も頭を下げた。しかし月読のほうも迷惑などとは一切思っていない。

「気にするなと申したであろう」

 しかし入里夜の色男好きも困ったものというべきだ。軽く手に口づけをされただけで興奮のあまり気を失ってしまうのだから。もしくは、神の接吻はよほど効くのだろうか……。

 ただひとつ、入里夜の扱いには月の神ですら難儀するようだ。


「いずれにせよ、おぬしが無事ならばそれでよい」 

 月読は安堵の表情でそう言うと指を軽く鳴らした。

「す、すご~い!」

 驚いたように声を上げる入里夜。彼女の目の前に立つ神は、指を鳴らすだけで破壊された神社を修復できるらしい。

 崩壊していた部分が瞬く間に修復され、参道から本堂の扉や賽銭箱に至るまですべてがもとの姿を取り戻す。入里夜は開いた口が閉まらず、唖然として立ち尽くした。

「つ、月読さますごいですっ!」

「そうか、おぬしにそう言ってもらえるとは喜ばしいな」

 月読はそう言って微笑んで見せた。同時に入里夜の心臓がまた跳ね上がる。

「さて、こうしている間にも門ではレンたちが戦っておるのだろう。我らも門へ向かうぞ」

「は、はい……で、ですがあのっ、月読さま……あぁ」

 女性らしい甘い声を出す入里夜の白い顔が、真っ赤に染まっていた。月読が彼女を優しく抱き上げたのでそうなっても仕方ない。いわゆるお姫様抱っこと言われるものだ。

 入里夜の心臓は激しく鼓動していた。

「つ、月読さま、私はただの巫女です! こっ、このようなことをして頂くわけにはいきまっ!」

 彼女は舌がうまく回らないほどに興奮しているようだ。

「…………ッ!」

 恥ずかしさのあまり下を向いた入里夜の身体が小刻みに震えている。

「……ふっ」

 月読が思わず微笑した。

「いやあ~っ恥ずかしいです月読さま……」

「すまぬ、笑うつもりはなかったのだが……おぬしがいかにも愛らしいのでな」

「かはっ!」

 月読の台詞せりふは、入里夜にとって破壊力抜群な一撃だったようだ。

「あ、あのう、でも」

 入里夜は嬉しい気持ちをなんとか抑えて最後の抵抗をする。彼女は、巫女が神に抱かれるなど相手に対して無礼極まりないと思っていた。

 だが月読はそう思っていない。なにせ彼は巫女と結ばれた身なのだから。

 「入里夜、此度は我に身を委ねよ。おぬしはいま魔力を少しでも温存しておかねばならぬのであろう? それに月の如く美しき心を持つ者は神にも等しくある。神だからと恐縮されてはいささか寂しいではないか」

「ふええ……」

 こう言われるともはや彼女は抵抗不可だ。入里夜は朱に染まった顔で恥ずかしそうに身を縮め、ゆっくりと月読に身を預ける。

「そ……それでは失礼します」

「うむ、それでよい……では行くぞ!」

 月読は強く地を蹴って夜空へ飛び上がると、入里夜をしっかりと抱えてすさまじい速度で異界の門へと飛び去った。

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