第六章~旅立ちの秋~

 場がいったん落ち着いたところでケルトが空を見上げた。

「では、そろそろ異界の門へ……月麗山げつれいざんへ向かう準備を致しましょう。時間もあまりございませぬ」

「そうだな、ケルト。では暦さま、わが龍を呼びましょう」

「ええ、お願いね雷羅」

「はい! お任せください」

 雷羅はそう言って片手を夜空に振り上げた。それを合図に天から金色の龍が舞い降りてくる。

 この龍は、雷羅が契約している龍の中でもっとも高い戦闘能力を誇り、彼が初めて契約した個体だった。

「すごい強そうな龍だね~」

 入里夜が感激の声を上げると、雷羅が舞い降りてきた龍の頭をなでながら、その龍について軽く語った。

「ありがとう、入里夜ちゃん。こいつは、龍のなかでも地と雷と嵐の力を操る雷龍で、「ヴァンドール」と言うんだ」

 それを聞いていた暦がすかさず反応する。

「そうだったの。たしか雷龍っていちばん契約が難しいはずよね? すごいじゃない雷羅」

 暦に褒められた雷羅は、少し照れた様子で頭をかいた。

「ま、まあ俺も龍使いのはしくれですから。ありがとうございます、暦さま。わが誇りにかけ、入里夜ちゃんは責任を持って月麗山までお連れしますよ」

「ふふっ、よろしくね、雷羅」

 雷羅が改めてうなずくと、ケルトが友をうながす。

「では雷羅、そろそろ……」

「ああ。では入里夜ちゃん、行きますぞ」

「うん、よろしくね雷羅」

 入里夜がはじけるように微笑むと、すこしたじろぐ龍使い。彼の心中にはまったく気づかないようすの入里夜は、母のほうをふりかえる。

「じゃあお母さん、ケルト、行ってくるね!」

「うん、でも入里夜、無理だけはしないでね」

 暦はいまいちど娘を強く抱きしめた。予定どおり入里夜が修行を行えば、これより三年間会えないことになる。

 巫女たちは親子というにしては仲が良すぎるだろう。くっついてなかなか離れようとしない。

 やがて入里夜がそっと離れ、最後の心配を母に投げかけた。

「お母さん、月界の……この世界の記憶、本当にちゃんと戻ってくるよね?」

 入里夜はまだそのことだけが心配で、最後の不安を振り切れない。暦は優しく微笑んでもういちど娘をそっと抱きしめた。

「大丈夫よ、入里夜。そうだ、良いことを教えてあげる。どんな状況になっても、優しい心と笑顔だけは忘れてはいけないよ」

「……優しい心と、笑顔?」

 入里夜が不安そうな顔で暦を見上げた。

「うん、それさえあれば、どんなに辛いこと嫌なこと、大変なことでも乗り越えていけるわ。でもね、苦しいことがあったら、我慢せずしっかり泣きなさい」

「しっかり泣くってどういう……」

 暦は、真剣ながらも優しさあふれる顔でうなずいた。

「ええ、異世界へ行けば月宮の者だということは分からないし、周りにもちろん通じない。周囲にいる人がみんな優しくしてくれるとは限らないわ」

「……そ、そうだよね」

 暦は静かにうなずいてみせる。

「そんな中で辛いことに苛まれると、誰でも周りにつらく当たってしまうものなの。でもそれは、その人たちを同じにさせてしまうだけで誰も幸せにはなれないでしょ?」

「……うん」

「そんなときは思いっきり泣いていいの。すっきりするし、流れた涙はいやな気持ちも優しく流してくれるわ」

「うん、わかった! なんか私、大丈夫な気がしてきたわ」

「それはよかったわ」

 暦の声には、他者を落ち着ける力がある。それを本人も気づいていないようだが。


 入里夜は国家いう王女様のような立場なので、ひどい嫌がらせやいじめはまったくの無経験。しかし、月という楽園を出てしまえばどうなるかわからない。

 暦は母として、入里夜に強く優しくあることを伝えておく必要があった。

 

 彼女の激励は、入里夜の心から最後の迷いを打ち消したようだ。彼女の晴れ渡る碧い瞳には、強い意志の光が宿っていた。

 

 いよいよ旅立ちのときだ。


 入里夜は母の頬にそっと口づけした。

「……行ってきます、お母さん。私、きっと三年後に笑顔で帰ってくるから」

「ええ、私たちは直接手を出すことはできないけれど、月界このせかいから応援しているからね。入里夜ならきっと大丈夫よ」

「うんっ!」

 もう一度うなずいた入里夜は、雷羅のもとへ向かった。

「それじゃあ雷羅、よろしくね」

「……あ、ああ! まかせて」

 入里夜の瞳には、雷羅が少し驚くほどの強い光がある。雷羅はふっと微笑すると、自身の後方に控えるヴァンドールを呼んだ。

「では月麗山へ向けて発つと致しましょう。入里夜ちゃん、あいさつはもう済んだ?」

「うん、大丈夫」

 ケルトは、やはり細かい所を見逃さない。

「おい雷羅! 先ほどから黙って聞いていれば……その呼称は無礼だと言っておろうに!」

「はいはい」

「おぬし、わかっておらぬだろう!」

「わかったわかった」

 雷羅はケルトの抗議をかるく受け流し、軽快な身のこなしでヴァンドールの頭部に飛び乗った。

 入里夜も彼に続こうとしたとき。

「入里夜、ちょっと」

 暦は自身の首飾りを外すと、入里夜の綺麗な胸元にそっとつけた。

「わあ。お母さん、これは……」

「お守りよ、もしなにかあった時、きっとあなたを守ってくれるわ。離れていても、心はいつも一緒だからね」

「ありがとうお母さん、大切にするね」

 入里夜の胸元で輝く首飾りは、月界水晶と呼ばれる宝石で作られた大巫女の証となるものだ。

 淡い青色の三日月に巻きつくように同色の龍が躍動していて、龍の頭上に天使の輪がある。これは月宮の家紋でもあった。

 これは暦が就寝の時すらも外さない大巫女にとって重要なもので、同時に強力なお守りでもある。

 入里夜はせっかくなのでケルトと別れの握手を交わした。

「どうかお気を付けて。入里夜さまなら、きっと大丈夫です」

「ありがとう、ケルトも元気でね」

 ケルトは男らしい笑みを浮かべてうなずく。

 

「頑張ってね入里夜。でも体は大切にしてね。あなたときどき頑張りすぎるだから。疲れたらちゃんと休むのよ」

 暦の一言に入里夜は笑顔でうなずいた。

「うん、じゃあ行ってくるね!」

 

「入里夜ちゃん、挨拶は終わった?」

「うん、終わったよ。なんか待たせちゃってごめんね、雷羅」

「そんなことないよ、入里夜ちゃん。ひと時とはいえ別れだ。思いはしっかり伝えておかないと」

 雷羅は笑顔で言うと、ヴァンドールの頭上から手を伸ばして入里夜を自分の後ろに乗せた。

「あ、ありがとう雷羅」

「どういたしまして」

 出発の準備が整ったところで、雷羅は暦とケルトのほうをむく。

「では、月麗山へ出立します。ケルト、暦様、少しお下がりを」

 二人がうなずいてヴァンドールから離れると、雷羅が声を上げた。

「ではヴァンドール、目票は月麗山にある異界の門だ。さあ行け!」

 ヴァンドールは、主の声に応えるように力強く咆哮すると、前脚で地を強く蹴って空へ舞いあがる。

 浮きあがったしゅんかん雷羅にしがみつく入里夜。

「わあ! と、飛んでる!」

「入里夜ちゃん安心して。ぜったい落ちることはないから」

「う、うん」

 ヴァンドールは金色の体で螺旋らせんを描くようにしてたかく空を駆けあがると、月麗山の方角へ飛び去って行った。


 龍が飛び去ったあと、館の広場には大巫女である暦と、大将軍であるケルト。そして彼の率いる月界防衛軍の一部隊が残されていた。騎士団長の聖が率いる『朱雀すざく』だ。

「聖、館の門は『青龍』が守護しているゆえ、おぬしら朱雀は館の上空を守護せよ」

「はっ、仰せのままに」

 ケルトの命を受けた聖の采配で、二万の軍勢は夜空へ昇っていった。

 

 あとには暦とケルトがのこり、ヴァンドールが去っていった空をしみじみと見あげていた。

「……行ってしまったわね」

「はい、行ってしまわれた」

 二人はしばらく星空のもとを動かなかった。


 幼いころの入里夜と今の彼女の姿を重ね合わせ、少女の成長を感じていたのだ。


 

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