第五節~若き龍使い~
「……って、あれ?」
入里夜は異変に気づいた。先ほどまで見えていた美しい夜空が、厚い雲におおわれて視界から消えていく。同時に、秋の夜を吹き抜ける冷たい風。
「さっきまで晴れてたのに……」
入里夜は今後の心配も忘れて曇り空を見上げた。しかし、どういう訳か暦たちは特に驚いていない。
すると、暦が入里夜に駆けよって曇天の空を指し示す。
「入里夜、ほら、雷羅が来たわよ」
「えっ、本当? お母さん、どこ?」
入里夜は厚い雲の中心を見つめたが、雲のほかは特に何も見えない。彼女はむっとした。
「なによお母さん、まだじゃない……」
まさにそう言おうとした瞬間だ。雲がさらに厚く黒くなり、ピカッとひかり輝いた。そして真夏の発達した積乱雲を連想させるような雷が目の前に落ちたではないか。
「きゃ~~っ!」
入里夜は飛び上がって絶叫すると、側にいた暦にしっかりとへばり付いた。
「いやあ~~っ! いったい何なのよ~!」
謎の雷は入里夜の叫び声をかき消すようにますます荒れ狂い、激しい稲妻が空を駆けめぐる。
入里夜は母が言うとおり雷が大嫌いだ。もはや震えあがって暦にしがみついているほかない。
やがて辺りが静まると、暦がそっと入里夜に声をかけた。
「入里夜、もう大丈夫よ。顔を上げてみて」
「本当に?」
入里夜は母がもう一度うなずくのを確認すると、暦にしがみついていた手を放した。ゆっくりと顔を上げて涙の残った瞳で空を見あげる。
「あっ……」
彼女はいっしゅん目の前の光景に絶句した。雷が去った雲の切れ間に、立派な金色の龍が堂々とした風格を漂わせて飛んでいる。見た目や色は儀式のときに契約した神龍と似ているが、群青色の瞳には力強い光が宿っていた。
入里夜はその迫力に支配され、しばらくのあいだ動くことを封じられた。だが直後、母の一言で少女の封印は簡単に解けてしまう。
「ちょっと怖かったかしら? でも言わなかったほうが楽しいでしょ、ほら、雷羅が降りてくるわ」
暦はなに食わぬ顔でそう言ったが、彼女の発言は暦が入里夜の雷嫌いと雷羅登場時の落雷を、両方とも知っていることを意味しているのだ。それに気づいた入里夜は、はっとして暦につめよる。
「ちょっとお母さん! それじゃあ雷のこと知っていたの~!?」
入里夜の抗議に、暦は知らん顔で答えた。
「あら、いったい何の事かしら?」
暦は少々意地の悪い顔で入里夜を見やった。完全に馬鹿にしたような目つきだ。
「も~っ、お母さんのいじわる~っ!」
入里夜は半ば怒りながら、それでも泣いているような笑っているような顔で暦の肩を軽く叩いた。
巫女たちがじゃれ合っている間に、頭部に主を乗せた金色の龍が長い体を蛇行させ、ゆっくりと降下してくる。
それに気づいた入里夜が元気よく手をふると、龍使いのほうも笑顔で手を振り返して巫女に応じた。
やがて龍使いの青年が龍の頭から飛び降りて龍が上空へ舞い戻ると、一同は彼のもとへ駆け寄った。
「
入里夜が弾むような声で龍使いの若者を歓迎した。数十年【人間界の計算では約数百】ぶりの再会である。
彼の名は
普段は修行のために契約した多くの龍を従えて世界中を旅しているのだが、今回月界の危機を知り、急ぎ舞い戻ってきたのだ。
彼の持つ美しい翠玉色の瞳には、優しく強い意志の光が宿っている。また美しい容姿に加え、瞳と同色の輝く長髪を持ち、それら全てが秀麗な若者をさらに輝かせた。
雷羅は入里夜の歓迎に笑顔で答えた。
「ほんとに久しいね。最後に入里夜ちゃんと会ったのは、お互いにまだ子どもと言える歳だったかな」
「そうね、雷羅すっごいおとなになってる」
「そうかなあ。入里夜ちゃんもすっごい綺麗になっててびっくりしたよ」
「ちょっ、やめてよ雷羅」
入里夜が恥ずかしそうに身をよじる。
さて、ふたりのやりとりを見守る者たちのなかに、龍使いの発言が納得いかない者が一人いた。
「おい、雷羅! 入里夜ちゃんとはなんだちゃんとは! 入里夜さまは月宮家の巫女であらせられるばかりか、我らため、これより異世界へ旅立たれようとしている偉大なお方だぞ! そのような呼び方が許されるはずがなかろう!」
そう言ったのはケルトだ。同じ月宮家に仕える二人は親友であり、互いの実力を認め合いそのちからを高めあう仲だった。
ケルトに指摘された雷羅も負けてはいない。というより、龍使いのほうが舌戦においてはずいぶんと達者だ。
「相変わらずかたいな~ケルトは。そのようでは女性にもてないのではないか」
ケルトは、たしかに女性の扱いが苦手だった。痛いところをつかれた彼は少し怒って反論する。
「くっ! いい加減にせぬか雷羅! それとこれとは関係なかろう!」
「いやあ~なにを言う。おぬしもいい年だろう? 気高き天宮の純血を永く後世に遺すためにも、そろそろ良き相手を探してもよかろうに」
「っ! こ、この……! ええい、このような時になにを言うか! 今の俺には大将軍としての使命があるのだ」
「はあ、つまらぬやつめ」
「なんだと!」
二人の言い合いはよけいに盛りあがり、しばらく収まりそうになかった。その様子を巫女たちが微笑ましい顔で見守っている。
一分ほどしてようやく視線に気づいたケルトと雷羅。
「はっ!? これは面目ない。申し訳ございませぬ」
「これはお恥ずかしい。久しい再会でしたもので……」
二人は自分たちの状況に気づき、慌てて巫女たちに頭を下げた。
「いいえ、二人とも元気で何よりよ」
暦はそう言ってにこやかに笑っている。
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