第四節~戦闘開始~

 シャンバラの結界を突破してしまえば、目標までの距離は近くすでにそれを目視できる。五千年前、百年前にも月界に侵攻した彼にとっては三度目の対面だったが、それでも目を見張った。


 月宮の館は、街から百メートルの断崖だんがいを登った高所にあり、八階建て七十メートル、奥行き五十メートル、横幅百メートルの巨大さをほこる。


正面玄関へ行くには、街から石段を千段以上のぼり、二重の門をぬけ、さらに五十段の石段を二回あがり、その先の広場を越えなければならなかった。


 この規模になればいかに大魔界の王といえども、畏怖いふの念を抱かずにはいられないというものだろう。


「おお……やはりみごとな立ちすがたよな。だがその姿も今夜かぎりぞ。その偉大さに敬意をはらい、一瞬のうちに消し飛ばしてくれよう」


 サタンは豪語とともに左手を開いた。紫のまがまがしい魔法陣が展開され、紫の魔力が集約される。


 程なくして魔力が過度に集まったのか、魔方陣から紫の稲妻がもれ始めた。


「くっ! まだだ! これでは館を破壊するにはまだ弱い! ぬおおおおおお!」


 サタンは震える左手を抑え、さらに魔力を充填し続ける。


 彼の攻撃魔方陣は強力だった。己の魔力を集約し光線と化して放つだけだが、魔力の量によっては城をも壊滅させる。


 彼は永年の戦闘経験から、必要な魔力の計算を瞬時に行えるのだった。これは万人にできる芸当ではない。


「もう少し、もう少しだ! この館を破壊し、巫女どもを捕えてさえしまえばこの世界は終わる。いかに防衛軍が動こうと無意味なことよ」


 制圧したこの世界を第二の大魔界として、ここから多くの世界を制圧し、真の魔界を創造すること。それが今回の遠征の目的だった。

 

 そしてついに、時機はおとずれた。


「来た! この量ならば、確実に館は死ぬ!」


 サタンは笑みを浮かべ、魔力があふれんばかりの魔法陣が宿った左手を館へとむける。


「魔方陣・解!」


 サタンの手が開かれると、魔法陣は変形して紫に輝いた。まさに発射準備完了といった状態である。


 大魔界の王がふいに笑った。その男らしい顔には、悪の王者らしき輝きが湛えられている。


「きさまら月の歴史にこの俺が終止符を打ってくれる、光栄に思うが良い。滅びのときだ!『悪魔の滅煌デストロイ・オブ・サタン』!」


 サタンの叫びとともに、魔法陣が解放された。


 まがまがしい魔力は魔法陣の中心に集約され、無慈悲な破滅の光線が月宮の館めがけて放たれた。悪魔の光線はうなり声をあげ、獲物におそかかっていく。


 魔の光は捕らえた獲物に容赦なく噛みつき、大爆発をおこした。サタンのまえで、月宮の館が巨大な煙のヴェールに包まれていく。


 衝撃波が夜気をふるわせ、サタンの髪をなびかせた。


「さらばだ、月界よ。ふははははは!」


 サタンは邪王にふさわしい笑みを浮かべて高らかに笑った。

 

 だが直後、彼は自分の攻撃が……ひいては計画が失敗に終わったことをさとることになる。


 『悪魔の滅煌デストロイ・オブ・サタン』の一撃では、巫女を殺せない。

 彼女たちの身体的防御力がほかに類をみないことは、数千年前に思い知らされていた。


 ゆえにサタンとしては、館の壊滅を確認し、瀕死の巫女どもを探しだしてひっ捕らえる。


 そして彼女たちを脅しの材料として防衛軍を黙らせ、ゆっくりと月を征服する予定だったのだが、それは夢と消えてしまったようだ。


 彼が失敗を悟った理由は、煙の中から聞き覚えがあり同時に聞きたくなかった男の声を聞いたからだった。


「まったく、また威勢のよい攻撃をしかけてくれたものだな。これは館の修復が大変ではないか」


 その声は男らしく、落ち着きのなかにわずかながら嘲笑の念がこもっていた。

 

 煙が晴れて現れたのは、サタンを止めるため待ち構えていた月界防衛軍大将軍のケルトである。


サタンの放った渾身の一撃は、ケルトが召喚したであろう金色に輝く天使によって、完全に止められていた。


 館に与えた損害といえば、至近距離の爆風によるかるい破損ていどだ。

 

 サタンは急に機嫌を悪くした。計画は失敗に終わり、さきほどの一撃で魔力を相当消費してしまったのだ。


 このような万が一も考えたからこそ、緻密な計算をもとに魔力を集約したわけだが、万が一は起こっていいものではない。


 サタンは今から始まるであろうケルトとの決戦を、限られた魔力で戦い抜かねばならないのだ。


 負けるとは思わないものの、彼は弱き者のほかに自分の計画を狂わせられることが大嫌いだった。


悪魔の両眼に、直視しがたい怒りの眼光が揺らめく。


「……きさま、よくも我の計画を頓挫とんざさせてくれたな。許さぬぞ!」


「そうか。だが俺の記憶ではおぬしはいちど俺に負けている」


 ケルトの余裕たっぷりな発言で、サタンの表情がさらに険しさを増す。


「っ! そうだ、以前の戦いで俺は、子どものきさまに敗北した」


 サタンは当時を振り返るように語り、歯を軋ませた。


「だが今は違う! 今回のこととかつての恨み、いまここで償わせてやる。覚悟しろ!」


「ふっ、威勢は良いがおぬしは今の攻撃で魔力を大きく消費した。もはや私に勝つ術はない」


 ケルトは不敵な笑みでサタンを見返した。サタンの暗く強烈な眼光がその笑みをはじき返す。


「……それはやってみなければわからぬだろうが! 消えてもらうぞ、大将軍レインバードよ」


「残念ながら、その要求には応えられぬな」


 かれらは互いに雄敵であることを理解している。二人の顔は真剣そのものになり、激しい視線でにらみ合った。


「行くぞ、サタン!」


「来いっ! 瞬きのうちに葬ってくれるわ!」


 ケルトがサタンに宣戦布告し、サタンがそれに応じる。


 こうして、軍を束ねる総帥同士の決闘が始まった。

 

 両者はすぐ手に魔方陣を宿し、遠近戦が展開された。彼らは魔法による特殊攻撃を戦いで多用する。


 ケルトは悪を浄化する金色こんじきの光線を、サタンはまがまがしい闇の光線を放ち、激しい打ち合いが始まった。


「ふっ、なかなかやるな」


「きさまこそ、わが攻撃をよくかわす」


 戦いは、激しさをましつつあった。


 かれらは戦っていながら、それぞれが勝利とする条件は異なっている。


サタンの勝利が敵の死であるのに対し、ケルトの勝利条件はまったく異なるのだ。しかしそれは、ケルトに限られたものではない。月宮の支配のもとで生きる全ての民はみなそうである。


 月の民は、初代大巫女レミール朔夜の力により、魔法の使える者は魔法による攻撃で敵を無力化できるが、決して殺めることはできない。


 代わりに、誰もが強力な浄化魔法を身につけていた。理由は朔夜の過去にあるとされるが、彼女を詳しく知る者がいないので確めるすべはなかった。


 つまりケルトの勝利の瞬間がこんや訪れることはない。ただの防衛戦である。


 彼にとっての完全勝利とは、サタンたちを天使の力で浄化し、悪の支配から完全に開放したその時なのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る