9 新型ガレー船(模型)

 二輪荷車{自転車}の試作3號機を見たイゾルテは、その後書斎に閉じこもった。二輪荷車を安定させるために考えた「同じものを横に並べて繋げる」というアイデアからインスピレーションが働いたのだ。そして贈り物の本に描かれた1枚の絵{写真}を見つけ出すと、次から次へとアイデアが湧き出して夢中になってしまったのである。

 丸2日ほどしてようやく書斎から出てくると、彼女はアドラーを呼び出した。

「アドラー、解決したぞ」

「何の話ですか?」

「新型ガレー船のことだ」

「確か、水車をなるだけ大きくした方が良いって話でしたよね?」

「ああ。白鳥{スワンボート}の水車は小さすぎて無茶苦茶たいへんだったからな」


 白鳥{スワンボート}の水車は殆ど半分くらいまで水に浸かっていたので、水車の板がほとんど垂直に水面を叩くことになり、バシャバシャと無駄な飛沫を上げるばかりでなかなか前に進まなかったのだ。だが水車を大きくしてその下の端っこだけを水に浸けて回転させると、加えられた力の大半を推進力に変えることが出来るはずなのである。……計算上は。

「ですが、その大きな水車をどこに乗せるんですか?」

「もともと1つの回答は持っていたのだ。これを見ろ」


 イゾルテが指さしたのは、様々な船の絵が描かれた本{『子供学習図鑑 船の歴史』}だった。そこには船体の両脇に巨大な水車をくっ付けて、煙突からもくもくと黒煙を吐き出している船{外輪船}の絵{写真}が載っていた。

「おお、水車を両脇に付けるのですか! 確かにこれなら大きく出来ますなぁ」

「だが、このままではダメなんだ」

「何故です?」

「ガレー船の衝角は勿論、小型投石機の1発で壊れちゃうだろ?」

「ああ、弱点丸出しですもんね……」

民間ならともかく、戦闘用艦艇としてはあまりにも致命歴な弱点であった。


「だから私はずっとその問題を克服する方法を考えていたのだ。そしてその答えが……コレだっ!」

そう言って彼女は糊の付いた紙{付箋紙}のついたページを開いた。

 そこに載っていた絵{写真}には異形の舟が描かれていた。細長い小舟を2隻並べてその上に大きな板を置いたような形状である。{ダブルカヌー} 

「こ、これは……!?」

それはまるで、故国スノミで使われていた橇を彷彿とさせる形状だった。



 それから5日後、イゾルテはアドラーたちに作らせた模型を持って皇宮を訪れた。

 外廷にある皇帝の執務室を訪ねると、心を入れ替えたテオドーラが父の傍らで執務を学んでいた。実務は夫任せにするにしても、皇帝本人もある程度知っておいた方が良いに決まっているのだ。イゾルテはテオドーラの変化を嬉しく思った。


「父上、姉上、新しい船の模型を持ってまいりました」

「おお、白鳥型推進式の新型船だな。見せてくれ」

イゾルテは白い覆いをガバっと払い除けた。

「こっ、これは……」

それはガレー船の、というかゲルトルート号を含めたこれまでの全ての船舶の常識を打ち破るものだった。


それは……

 ・船が2つ横並びにくっついていた(双胴船)

 ・その間に巨大な水車が前後に2つ付いていた(内輪船(注1))

 ・それぞれの船体は前後に細長く、高いマストを4本ずつ備えていた(合計8本)

 ・2つの船体の間には宙に浮くように広い甲板が広がっていた(クロスデッキ)


ルキウスは暫くの間沈黙した後、恐る恐る口を開いた。

「……これで1隻なのか?」

「これで1隻です」

「これがガレー船なのか?」

「定義によります。人力で推進可能な船をガレー船と呼ぶのなら、まさにガレー船です」

「なんでこんなにマストがあるんだ?」

「あった方が良いでしょう?」

「この広い甲板は何に使うんだ?」

「並んで体操でもしましょうか」


 彼はそれ以上のツッコミを控えて眉間を揉んだ。ツッコミ所が多すぎて、これ以上どこをツッコめば良いのか分からなくなったのである。

「あー、まずはコレの利点について説明してくれ」

「はい。まず、水車を装備したことで自力での推進が可能です。そして、弱点となる水車を左右から挟むことで敵から隠しています」

「ふむ」

「また2つの船を連結したことで、左右方向への安定性が格段に上がっています。そのため左右それぞれの船体は細長くすることが可能になりました。船幅が減った分だけ水の抵抗が減っていますので、その分高速になるはずです。また同じ理由で船幅に比べて高いマストを装備できます。それによって帆走速度がますます速くなるはずです」

「なるほど、筋は通っているな。だがここまで帆を増やすのなら、もう帆船でいいのではないか? 

 お前が以前言っていた通り、これからは白兵戦が廃れて射撃戦の重みが増すだろう。それなら水車のためだけに大勢の水兵を乗せるのは効率が悪いのではないか?」

 それは1つの解であった。というか、普通に考えればガレー船の運用からは手を引くべきなのだ。イゾルテ自身がその流れを狙って産み出したというのに、なぜか彼女はその流れに真っ向から逆らっているのである。


「その射撃戦のためにも、自力で方向転換出来る必要があります。

 それに水兵達の力は射撃戦にも利用します」

「確かにこれまでのガレー船でも、接舷後には漕ぎ手たちに戦闘をさせていたが……」

「いえ、水車を回す力を投石機カタパルト大弩バリスタの巻き上げにも利用するのです」

「なに?」

予想外の言葉にルキウスは目をしばたたかせた。

「射撃間隔は大幅に短くなります。これは試算ですが、左右両舷合計60門の兵器が最短で6秒毎に発射可能です」

「は? つまり1分間で……600発ということかっ!?」

「まあ、理論値ですけど」


 イゾルテはサラっと答えたが、これは割ととんでもないことである。そもそもこれまでの投石機カタパルト大弩バリスタは、再装填に(装置の大きさにもよるが)数分かかるのが普通だったのだ。それがいきなり6秒になるというのである。

「いやいやいや、さすがにそれは無理だろう!?」

「そうですか? 1人の腕の力で巻き上げるより、10人の足の力で巻き上げた方が速いのは自明だと思いますけど」


 早く巻き上げたいのなら人数を増やせば良い……というのは、誰でも考えつくアイデアだ。しかし実際に1台の大弩バリスタに10人が群がっても、まともに作業できるのはせいぜい3~4人に過ぎないだろう。況してそれらは城壁上や船内といった狭い場所に設置されるのだから、作業員が大勢居ても邪魔になるだけなのだ。

 だが機械装置によって10人の力をし、それを兵器まですることが出来るのなら、1人で作業していた時より10倍の速度になって当然である。更に足の力が腕の力の数倍であることを考えると、6秒という数字もあながち嘘とは言い切れないのだ。

「……敵は、一瞬で針ネズミだな」

「あるいは火ネズミですね」


 その言葉を聞いて、ルキウスは火炎壺イゾルテ・カクテルのことを思い出した。陸海軍が工廠での高濃度酒精{アルコール}の製造をあっさり認めたかと思えば、そこで生産した高濃度酒精{アルコール}の大半を火炎壺イゾルテ・カクテルの生産・備蓄に回しているらしい。当然この新型船にも搭載されることになるだろう。

――つまり、1分間に600カ所で火事が起こるのか……

 この船に近づいた敵の末路が目に浮かぶようである。それはもはや、戦闘と呼べるものではなかったが。


「うむ、確かに面白い試みだ。これはゲルトルート号に続いて、海戦の常識を覆す物となるだろう。しかし、しばらく海戦はないと思うぞ。今作る必要があるのか?」

「はい。例によってドルク軍は海峡を渡ろうとするでしょうから、完成が間に合うようならこの船でそれを阻止したいと思っています」

「ふむ、海峡で使うか……」

 確かに、(海に比べれば)狭いペルセパネ海峡の中では、風向きによって動きが制限される帆船より、狙った方向に確実に進めるガレー船の方が圧倒的に使いやすいだろう。


「メダストラ海もアムゾン海も制海権は我らが握っていますから、ドルク軍が大型船海を渡ることは不可能です。彼らは急造の筏や小舟で海峡を押し渡るしか手がありません」

「うむ。まあ、そうだろうな」

「そこで、この船の出番です。ゲルトルート号並みの索敵範囲があり、狭い海峡を自由に泳げ、射撃能力は並みの船の百倍以上です。ドルク軍が一斉に渡河するその最中さなかに突入すれば、これ一隻でドルク兵数万人を始末できるでしょう」


 筏にせよ小舟にせよ、火炎壺イゾルテ・カクテルが1発当たれば焼け死ぬなり溺死するなりして全乗員が無力化されるだろう。そんな火炎壺イゾルテ・カクテルを毎分600発も放つというのだから、ドルク軍にしてみればたまったものではないだろう。


 無数の小舟が炎を上げる水面を、悠々と進む巨船の姿が瞼に浮かんだ。

「分かった、建造を許可しよう」

鷹揚に頷いたルキウスだったが、ここでキッと厳しい目をイゾルテに向けた。

「だがな、イゾルテ。お前にはどうしても聞かなくてはならないことがある!」

「な、何でしょう?」

「この前の白鳥{スワンボート}のどこがコレの雛形だったんだ? 全然違うではないかっ!」

イゾルテは不満気に口を歪ませた。

「急いで方向性を示せと仰ったのは父上ですよ」

「それはそうだが、アレの印象が強かったせいで『白鳥型』などという言葉が一人歩きしているのだ。この模型を見せたら絶対にツッコまれるぞ!」

あまりの下らなさにイゾルテは脱力した。

「そんなの知りませんよ……」

「ではせめて船名だけでも白鳥にちなんでおくか?」

「白鳥に? 白鳥、白鳥……。うーん、私は思いつきません」

「例えば……そうだ、ネダ号はどうだ?」

 ネダ(注1)とは神話に登場する美女の名前である。白鳥とどんな関係があるのかというと、ムラッときたゼーオス神がに化けて彼女をレイプしたのである。何とも最低なちなみ方だった。

「……勘弁してください。それよりも、この前は私の母上の名前を付けたのですから、今度は姉上の名前を頂けませんか?」

「えっ、私の?」

全然話に付いて来れていなかったテオドーラは、突然自分が話題になって驚いていた。

「今回は随分私の工夫を取り入れました。それで、おね……姉上に捧げたいと思いまして……」

そう言いながらイゾルテは頬を赤らめ、目を逸らした。しかしテオドーラは微笑みながら首を振った。

「いえ、ダメよ」

「えっ……?」

まさか断られるとは思っていなかったイゾルテは愕然とした。

「だってせっかく2人並んでいるのです。私は右の半分だけ、左にはあなたの名前をつけましょう。そうすれば、私たちはいつも一緒にいられるわ」

「お姉さま……」

イゾルテは感激に打ち震えながらテオドーラを見つめた。テオドーラはそんなイゾルテに近づくと、その手を取って握りあった。そして見つめ合う姉妹の間は更に縮まり、やがて……父が慌てて割って入った。

「そ、そういうことなら! えーと……『暁の姉妹』号? でどうだろうかっ?

 ほら、『暁』はタイトンの東端にある我が国のことで、『姉妹』はもちろんお前たちのことだ」

――なにしろお前たちはだからな。夫婦でも恋人でもなく、血のつながっただからなっ!

ルキウスの目には何か鬼気迫るものがあったが、娘たちの目にはお互いしか入っていなかった。

「まぁ、が乗る船に相応しい名前だわ」

「お姉さまがそう仰るのでしたら」

こうして後の歴史に名を遺す「暁の姉妹号」の建造が開始されることとなった。


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注1)「内輪船」と言われる船は実際にあるようですが、どうやらスクリュー船のようです。作中の双胴船とは全くの別物です。

外輪船からスクリュー船に移り変わる時代に、「外輪」の反対の言葉として使われた……のだと思いますが、はっきりとは分かりません。

ですが一般的な用語ではないので、作中ではあくまでも「水車が内側に付いている双胴船」を指すことにします。


注2)ネダの元ネタはギリシャ神話のレダです。

レイプ云々のくだりは白鳥座の元ネタになった一件ですね。いや、こんな性犯罪の記録を星座にしちゃって良いんですかね?

星座をの話を子供に語って聞かせる時に、いったいどう言えば良いんですかね? そう言えば、おおぐま座のカリストも似たようなレイプ事件だったし……

ゼウスって、本当に最低ですね。性的な意味で。

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