3 見舞い(前)

 1月も末になると、年始の祝賀行事もあらかた終わっていた。偉い人が暇になった頃を見計らって行われる1ランク下の新年会も終わり、今は更にその下のランクの新年会が行われている。だが皇女であるイゾルテがわざわざ出向くようなものではないので、彼女は仮病をやめて(今更ながら)新年の挨拶に皇宮を訪れた。といっても、正面から訪れると外廷――政治を行うエリア――をうろついている政治家や役人に捕まってしまうので、裏門からひっそりと後宮に赴いたのである。ちなみに男装女子化計画は続行中なので、イゾルテはトーガではなく軍服を着用していた。


「新年おめでとうございます、父上」

「ああ。おめでとう、イゾルテ。お加減は如何かな?」

微笑みながらもチクリと刺してくるルキウスに、イゾルテも苦笑で返した。

「皮肉ですか? 仮病だとはお伝えしたはずです」

「ああ、皮肉だとも。テオドーラがどれほど心配したと思う? 放っておくと離宮に押しかけそうだったので、無理をしていろいろな祝賀会に連れて行ったのだぞ」

イゾルテはその言葉を聞いて内心冷や汗を垂らした。最悪の場合、見舞いどころか看病と称して離宮に居着いていたかもしれない。その場合イゾルテの貞操は確実に奪われていたことだろう。

「そ、それは、助かりました。ありがとうございます」

「まぁ、良い。おまえのお陰でいろんなカクテルも楽しめたしな」

「は? かくてる?」

イゾルテは聞き覚えのない言葉に首を傾げた。

「なんだ、知らないのか? お前の所の高濃度酒精{アルコール}で作ったお酒だぞ。色々な飲み物に混ぜて飲むのが流行り始めている」

「…………」

「今に一気に需要が増えるぞ。離宮では生産量に限界があるだろう、どこかに用地を確保しないとな」

嬉しそうに語るルキウスは、娘の手柄を手放しで喜んでいるようだった。

「えーと、その、たぶんその高濃度酒精は……掃除用洗剤ですよ?」

「ぶっふぉ!」

ルキウスは飲んでいたお茶を吹き出した。

「ゴホッゴホッ! な、何だとっ!?」

「まぁ、衛生上の問題はないのですが、一応"掃除用洗剤"として卸しているものです」

「……飲用ではないのか?」

「悪酔いするので飲用には卸しておりません」

「悪酔い? 別に悪酔いなどしなかったぞ?」

「でもあんなに酒精{アルコール}が濃いと……って、あっ、そうか!」

イゾルテたちは濃縮した状態のまま飲んだためペースを誤ってしまったが、「カクテル」は他の飲み物で割って飲みやすくしているので酒精{アルコール}の度数は高くない。おかげでルキウスたちはペースを誤らずに飲むことが出来たのである。

「申し訳ございません。せっかく高濃度にしたものをわざわざ希釈するという発想はありませんでした。未熟者とお笑いください。今後は飲用にも卸すことに致します」

イゾルテの口調は妙に堅苦しかった。半分は八つ当たりで飲用禁止にしたのを恥じてのことだったが、残り半分は「わざわざ高濃度にしたのに薄めるなよ」という不満である。

「いや、笑ったりはしないが……。今後は私も洗剤を飲まされることがなくなる訳だな。喜ばしいことだ」


「ところで用地のことですが、高い秘守性が必要となります。おいそれと余所で作ることは出来ません」

「それほどのものか? 確かに重要な輸出品に化ける可能性はあるが……」

ルキウスは首をひねったが、イゾルテはきっぱりと言い切った。

「重要な機密です。工廠こうしょうをお借りすることになるかと思います」

工廠こうしょうとは軍需品を作るために設備のことだ。間違っても酒造所ではない。

「工廠を? だがガレー船の件で工廠も忙しいはずだ。軍人たちが納得するだろうか?」

「説得はこちらで致します」

イゾルテが並々ならぬ意気込みを見せる一方で、ルキウスにも敢えて止める理由は無かった。

「そうか、ならばお前に任せよう。だが大がかりな工事は差し控えろ。ドルクがきな臭いからな」

「ドルクが?」

「ああ。おそらくヒシャームは赦されるだろう」

「?」

イゾルテが可愛らしく首を傾げると、ルキウスは妙に嬉しくなった。

「おお、お前にも分からないことがあるのだな。父は嬉しいぞ」

「皮肉ですか?」

「とんでもない! まだお前に教えられる事があったと喜んでいるのだ。ムルクスは『もう教えることがない』とぼやいていたがな」

「爺がそんなことを……?」

初耳だったイゾルテは、その言葉を聞いて複雑な心境になった。

「それはともかく、ヒシャームはローダス攻めの総大将だった男だ」

「それくらいは知っています」

「では、ヒシャームが皇帝の乳兄弟だと知っていたか?」

「……いいえ」

「帝位を巡って骨肉が争うドルクの帝室においては、乳兄弟は格別に強い絆を持っている。あちらには『乳は血より白い』という言葉もあるくらいだ」

「どういう意味ですか?」

「『すぐに黒ずむ血に比べて乳は腐っても白いまま』というところから転じて、『血のつながった兄弟より乳兄弟の方が信用できる』という意味になる」

イゾルテは眉を顰めた。

「……腐ったらダメだと思いますよ?」

「恐らくは馬乳酒や乾酪チーズのことであろう」

「おお、なるほど」

「まあそんなわけで、おそらく皇帝はヒシャームを殺したくない。だが、あれほどの大敗を喫して処罰しないとあっては皇帝の権威が損なわれる。ヒシャーム自身あちこちから恨みをかっているしな。だから赦すための理由を作ろうとするかもしれない」

イゾルテは再び眉を顰めた。しかしその意味は大きく違った。

「赦すための理由……一度の敗戦は、一度の勝利で償え、と?」

「違うな。より大きな勝利を以って、だ」

「より大きな……スエーズ、ではないですよね?」


 スエーズとはアフルーク大陸とアルーア大陸を繋ぐ地峡のことである。ドルク帝国と北アフルークの東端に位置するスエーズ王国の国境でもあった。彼らは地形を利用してドルクの大軍に対抗していたのだ。いわば北アフルーク諸王国にとってのプレセンティナ帝国である。だが中立の北アフルーク諸王国を新たに敵に回すより、既に敵になっている国を襲う可能性の方が高い。つまりはこのプレセンティナ帝国である。


 イゾルテは真っ青になって呟いた。

「私は、ヒシャームを捕らえるべきだったのでしょうか……?」

実際に彼女にはその手段があったのだ。最後の決戦で敵艦を逃さなければ、あるいは決戦の直後にローダス港を押さえてしまえば、ヒシャームは逃げ出すことが出来なかっただろう。だがその場合はムルス騎士団が滅ぼされていたかも知れなかった。彼女はそれを天秤にかけて、ムルス騎士団を選んだのである。だが逆に言えば、天秤にかける程度には迷う余地があったのだ。もしヒシャームを逃すことでドルクの再侵攻を招くと知っていれば、彼女は迷わずムルス騎士団を犠牲にしていたことだろう。


 だがルキウスは首を振った。

「ドルクには次の皇帝の座を狙う3人の皇子たちがいる。ヒシャームが我らプレセンティナ帝国軍に殺されたとなれば、その仇を討つことで得点を稼ごうとするであろうな」

「では、そもそもローダスに援軍を出すべきではなかったと……?」

「そうではない、ドルクがプレセンティナを襲うのは必然なのだ。それは秋の後に冬が訪れるのと同じことだ。だが逆に言えば、夏の直後に冬は来ない。今が秋だと分かっていれば、冬に備えることができる。

 1年のうち冬の4ヶ月を冥界で過ごすペルセパネがうっかり暦を読み間違えて冥界に行かなければ、冥王ハゾスの怒りが世界を襲うだろう。我々も暦には注意しなくてはな」

自分のせいではない――少なくとも父が自分を責めている訳ではない――と分かり、イゾルテは幾分血の気を取り戻した。

「では、今は秋だと仰るのですね」

「ああ、年明け早々にな」


 その後しばらく歓談した後、イゾルテは帰ることにした。

「姉上が見舞いに来ないうちに、快復したとお伝え下さい」

「ああ、分かった。快気祝いがどうとか言い出しそうではあるが……」

「そのあたりは上手いことお願いします!」

「ああ、まかせろ。もう慣れた。

 見舞いといえば、ミランダがまたせっているそうだ。お前も病気だと聞いて心配していたそうだぞ? 見舞ってやってはどうだ」

「ミランダが? そうですか……これから行ってみます」

ミランダはルキウスのすぐ下の弟の娘で、イゾルテにとっては従姉妹にあたる少女だった。皇位継承順位は第3位、たった3人しか居ない皇位継承権保持者の1人だった。



 イゾルテはその足で、ミランダとその母のリーヴィアが暮らす離宮を訪れた。普通はこういう場合、予め使いを立てて相手の予定を聞き、訪問日時やフォーマル度を相談し、それに合わせた服装を整えてから訪問するものだ。だがイゾルテは全てをすっ飛ばした。サプライズのためにはそんなことはしていられない。部屋の中に取り次ごうとするメイドすら押し留め、ドアをばぁんと開け放ちながら大声を上げた。

「ミラぁ、お見舞いに来たぞぉ!」

「ルテ姉さま!」

だがそこには、ベットから身を起こした小さなミランダの他に、栗鼠りすのように小柄な貴婦人と熊のように大柄な男がいた。

「あ゛……し、失礼しました、叔母上! それにスキピア子爵も!」

むしろイゾルテの方がサプライズだった。彼女は気まずげな顔でペコリと頭を下げた。

「お久しぶりです、殿下。今、あなたが立派になったとお話ししていたのに台無しですよ」

イゾルテは苦笑いを浮かべながらポリポリと頭をかいた。彼女は昔からこの小柄な叔母が苦手なのだ。

「まぁまぁ、姉上。お忙しい中ミランダを訪ねてくださったのです。お小言は後にしましょう」

大柄な割につぶらな瞳が熊のぬいぐるみを思わせるスキピア子爵は、このリーヴィアの実の弟であり、ミランダにとっては叔父に当たる人物だった。イゾルテは思った。

――あれ? 結局後で叱られるの?

優しげに見えても猛将として知られた人物である。実はあんまり優しくないのかもしれなかった。


「ミラ、久しぶり。元気だったか?」

ミランダはくすくす笑いながら答えた。

「ルテ姉さま、元気じゃないですよ。ルテ姉さまこそお元気だったんですか?」

「私はいつも元気だ。実は朝ベットから出るのが嫌で仮病を使ってたんだ。ミラもホントは元気なんじゃないのかぁ~?」

「くすくす、そうかも知れません。おじ様やルテ姉さまが来てくださって元気が出てきました」

ミランダは両手を振り上げて力こぶを作るふりをしてみせたが、反ってその腕の細さが痛々しかった。ミランダは今年で11歳になるが、生まれながらに体が弱くその体つきは2~3歳は幼く見えた。体重に至っては6歳児くらいかもしれない。一年の大半をベットの上で過ごし、残りも屋敷から出ることのないミランダにとって、イゾルテは一番年の近い友人でもあった。


「前に話した船のことは覚えてる?」

「ルテ姉さまのお母様と同じ名前の船ですね」

「そう、それ。その船で南の方に行っていたんだ」

イゾルテはローダス島をめぐる海戦を童話的に脚色しながら面白おかしく話して聞かせた。その話では、イゾルテが敵船に乗り込んでたった一人で全員を締めあげたり、イゾルテが変装してローダス島に潜入して極秘情報を掴んできたり、イゾルテが海神ポセウドンに祈ると海が割れてドルクの大艦隊が飲み込まれたことになっていた。おかげでミランダはとても喜び、はしゃぎ、興奮して、遂には熱を出してしまった。これでは逆に見舞いにならない。

「熱があるようだね。もう疲れただろう? ゆっくり寝て元気になるようにっ!」

「はい。ルテ姉さま、また来てくださいね」

「もちろん! 私はしばらく暇だから、ミラが元気になったらまた来るよ」


 イゾルテは手を振りながら部屋を出ると、しばらくの間ミランダの素直さに感動していた。

――なんて聞き分けがいいのだろう。姉上と同じ血が流れているとは思えない……!

イゾルテは自分を棚に上げてそんなことを考えていた。だがその感動は水を差されてしまった。

「殿下、こちらへどうぞ」

「は、はひ……」

そして彼女はスキピア姉弟に応接室へと連行されて行った。


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ちなみに……『乳は血より白い』というのは創作です。

いや、意外にありそうに思えたので、念の為。

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