9 衝突
プレセンティナ艦隊がドルク艦隊を発見したのは、作戦会議の2日後の正午過ぎだった。
「敵影発見! 西25km以上! 詳細不明!」
……
「敵進路判明! 東北東! 現在位置、西23km!」
……
「敵詳細判明! ガレー船およそ80! 帆船10。現在位置、西20km!」
次第にはっきりしてくる敵の情報にイゾルテは溜息をついた。
――ガレー船は80隻か……
想定していた中では最小の数である。しかし少なくて良かったという気持ちがある一方で、今回の海戦では終わらないという残念な気持ちと、そして次の戦いでは浮網の存在を知った100隻規模の敵と戦わねばならないという不安が渦巻いた。
――だが、それもこれも今日の戦いに勝ってからのことだ!
ムルクスは作戦通り全艦隊を西に向けて陣を組ませた。前衛には第2分艦隊、左翼には第5分艦隊、右翼には第6分艦隊を展開し、本隊を構成する第3分艦隊と第4分艦隊は前進させて
『遠征艦隊司令部、遠征艦隊司令部、こちら第2分艦隊。ドウゾ』
「こちら艦隊司令部、イゾルテだ。どうした? ドウゾ」
『殿下、これが最後の通信です。ウチの若いのにこの神器{無線機}を持って行かせます。ドウゾ』
貴重な遠くと話す箱{無線機}を失わせまいという配慮だろう。死を覚悟しての言葉に他ならなかった。
「……船と一緒に沈めても構わんのだぞ。ドウゾ」
『すみません、殿下。これがあると私が戦えないのです。久しぶりに刀を振り回したい気分でして。ドウゾ』
悲嘆にくれることもなく、イゾルテを非難することもなく、あくまで自分の希望だと言い張る分艦隊司令に、イゾルテは胸が熱くなった。
「……分かった。なら思う存分暴れてみせろ! マストから見ていてやる! ドウゾ」
『殿下、ありがとうございます。最後にあなたと話せて良かったです! 通信終わり!』
「…………」
一方的にその通信が切られると、イゾルテはポツリと呟いた。
「バカ者め。最後の最後にお約束{通信プロトコル}を破りおった。通信の終わりは相手の復唱を待ってからだ」
イゾルテは丸兜{ヘルメット}を被って顔を隠すとマストに向かった。
プレセンティナ艦隊に遅れること2時間、ドルク軍第1第3連合艦隊もようやくプレセンティナ艦隊を発見した。ローダス島東海上で合流してから2日、作戦が決まった会議から4日目のことであった。
「敵影発見! 東南東8km! 詳細不明!」
敵発見の報告に、ドルク艦隊は慌ただしく海戦の準備を始めた。僅かに舵を切って進路を敵に向け、横風を受けていた帆も邪魔だとばかりに畳んでしまい、船漕ぎ奴隷たちを指揮する太鼓が打たれ始めた。そしてようやくプレセンティナ艦隊の内訳も判明してきた。
「東南東6km! ガレー船8! こちらを向いています」
「さらに東南東7km! ガレー船20、帆船1! これもこちらを向いています」
「敵の左右にそれぞれガレー船10」
連合艦隊の指揮を執る第一艦隊司令は、その報告を聞いて顔を歪めた。
――合計で50隻弱か
小艦隊を各個撃破出来るという目論見は外されたことになる。ドルク軍はガレー船だけで80隻と倍近い数を揃えてはいるが、相手はプレセンティナ艦隊である。白兵戦の不利を考えるととても油断できる相手ではなかった。だが同時に、これで敵主力に逃げられる可能性も無くなったのだ。最悪相打ちになったとしても補給路は確保できるだろう。ドルク軍にはまだ無傷の2個艦隊が残されていたのだから。
「敵両翼、左右に展開していきます!」
その報告に司令は違和感を覚え、自ら望遠鏡を使って敵両翼の位置を確認した。
――どういうことだ……? 数で劣るのに包囲しようとでも言うのか?
改めて正面の敵を見ると、本隊も前衛も何の動きも見せていなかった。
――罠か? だが、今突撃すれば両翼が戻る前に敵本隊を突ける。各個撃破の機会を与えてくれるのなら、それを有効に使うべきだ!
「第4分隊を左翼、第5分隊を右翼に充てて牽制させろ」
旗艦から旗信号が出されると、8隻ずつの分艦隊が左右に離れていった。戦端が開かれてしまえば「突撃」とか「撤退」のような簡単な指示しか出せなくなるのだが、今はまだ多少複雑な信号をやりとりするだけの余裕があったのだ。だがそれも自分の艦隊内の話だ。今第1艦隊司令の麾下には、一緒に訓練したことの無い第3艦隊までもが含まれていた。
「他の艦は全て突撃だ! 敵前衛を突破して本隊を突く! 信号旗『我に続け』!
第1艦隊旗艦は信号旗「我に続け」を掲げて敵前衛艦隊に突撃を開始した。第3艦隊と十分な意思の疎通が出来ない以上、この信号旗を揚げて手本を示すことだけが、彼らに出来る連携の全てだった。
イゾルテがマストに登り切った時、足元では第2分艦隊の伝令らしき
――ギリギリまで罠に引きつけるつもりか……?
遠くと話す箱{無線機}があれば問い合わせたいところだったが、既に伝令が持ち帰って来たはずだからそうもいかない。
「敵先頭およそ2km!」
見張りがそう叫ぶのと前後して、第2分艦隊は一斉に動き出した。
「ここまで来れば肉眼で見えるだろう!?」
イゾルテは我慢できなくなって見張り員から双眼鏡を奪い取った。
既にトップスピードまで加速しているドルク船に比べて、第2分艦隊は動き出したばかりで亀のように遅かった。しかも十分な速度も得られないまま、途中で櫂を漕ぐのも止めてしまった。
――なんでっ……!?
そしてそのまま
――ああっ! くそっ、多勢に無勢か。だが、敵を引きつけるために最後まで動かなかったことで十分だ……
そしてドルク艦隊は、それで前衛は始末したとばかりに、プレセンティナ艦隊の本隊へと突撃を再開した。
だが、それは第2分艦隊の戦いのほんの始まりに過ぎなかった。
突然船内から湧き出るように現れた兵士たちが、衝角を突き入れているドルク船に次々と乗り移ったのである。慌てて離れようとするドルク船をロープで縛り付ける者、ドルク船が身動きできないように甲板上から櫂に向かって投網を投げる者もいて、敵がもたもたしている間にプレセンティナ兵は一人残らず敵船に乗り込んで行った。最期に残った一人の高級士官が自分の船に松明を投げ入れると、その船はあっという間に火に飲まれた。どうせ沈むのなら敵を焦らせるための道具にしようというのだ。味方が必死になるという効果も期待してのことかもしれない。背水の陣ならぬ、背炎の陣といったところだろうか。
――あらかじめ油を撒いておいたのか。最初からこうするつもりだったんだな……!
その士官は、乱戦となっている敵船の甲板に降り立つとサーベルを掲げて何か叫んだ。それに応じるように、他の兵士たちも剣や拳を掲げた。聞こえるはずのない彼らの声が、確かにイゾルテの耳を打った。
― プレセンティナのために ―
サーベルを掲げた士官は手近にいた敵を切り払うと、返す刀で別の敵を突き刺した。味方の兵士に伸し掛かっていた敵兵を蹴飛ばし、指揮を執っていた一際偉そうな敵士官にナイフを投げた。だが次の瞬間、彼の動きが突然止まった。胸に矢を生やした彼はゆっくりとこちらを向くと、再びサーベルを掲げ、そしてゆっくりと崩れ落ちた。
イゾルテは双眼鏡を下ろすと、半開きだった面覆い{ジェット型ヘルメットのシールド}を押し上げて力の限り叫んだ。
「見事な最期であったぁ!! 通信終わりぃぃぃ!!」
イゾルテの(意味不明な)叫びを聞いてマストを見上げた兵士たちは、姿勢を正して右手を額に当てる彼女の姿を見た。この時の情景は彼らに強い印象を残し、後にこの時の
イゾルテが第2分艦隊の戦いに目を奪われていた間にも、戦局は大きく進展していた。プレセンティナ本隊に向かって突撃していたドルク船50隻あまりが尽く浮き網に捕らえられていたのだ。慌てて帆を張る船や網を切ろうとする船がいたが、本隊の第3分艦隊と第4分艦隊、更には両翼から戻ってきた第5分艦隊と第6分艦隊が周りを取り囲み、人には矢を、帆には火矢を撃ち放っていた。
唯一無事だったドルク艦隊の左右両翼の16隻も混乱していた。圧倒的に優位だったはずの本隊が、今や身動きもできずに包囲殲滅されようとしていたのだ。
目の前でプレセンティナ国旗が掲げられるのを見た彼らは、つい先程まで味方だったその船に衝角を突き入れた。こうして第2分艦隊の白兵戦闘はさらに戦火を拡大させていったのである。
一方主戦場では、4個分艦隊による包囲が完成するとゲルトルート号が帆を張って包囲網の中に侵入していった。ジタバタと藻掻くドルク軍ガレー船の間を独り優雅に泳ぐその姿は、敵味方に新しい時代を予感させた。そして両舷に配置された投石機32門大弩32門が文字通り火を吹いた。打ち出される無数の油壺と大火矢に、ドルク艦は次々に燃え上がり、煙と悲鳴が渦巻いた。そしてそこに、場にそぐわない甲高い大声が響き渡った。
「ドルク艦隊に告げる。私の名はイゾルテ・ペトルス・カエサル・パレオロゴス。プレセンティナ帝国皇帝ルキウス陛下の娘にして名代である。
既に諸君は我らの手中にある。武器を捨て、国旗を下ろせ。今降伏すれば、我が名において寛大な処置を約束しよう。
我々は既にガレー船を含め70隻以上の降伏を受け入れているが、その中に死んだものは一人もいない。
だが従わぬものは、身をこの世に置いたまま地獄の炎を味わうことになる。我が国が冠するプレセンティナの名が、冥界の女王の名であると知れ!」
イゾルテのその脅しが効いたのかどうか、包囲の内にあったドルク第3艦隊旗艦が国旗を下ろすと、第3艦隊だけでなく第1艦隊の各艦も次々にそれに従っていった。包囲の外でプレセンティナ第2分艦隊の兵士たちと激しい白兵戦を続けていたドルク第1艦隊の船も、包囲下の味方艦が次々に旗を降ろすのを見て撤退に移った。だが無事に船を引き剥がすことが出来たのはわずか7隻、残りはすでに制圧されていたか身動きが取れなくなっていた。一方プレセンティナの第2分艦隊の兵士たちも、制圧したと言っても舟漕ぎ奴隷たちまでをも掌握した訳ではなく、そしてそもそも彼らも傷を負い疲れ果てていて、とても逃げる敵を追うどころではなかった。
残った全てのドルク船が国旗を下ろすのを見届けると、イゾルテはマストを降りた。そこには乗組員達とともに、会戦前に第2分艦隊から送られてきた伝令が待っていた。
「殿下、分艦隊司令よりこれを預かってまいりました」
伝令の差し出した鞄の中には、遠くと話す箱{無線機}と太陽の石{バッテリー}が入っていた。
「分艦隊司令は『これはイゾルテ様に必要なものだ。必ず直接お渡しせよ』と仰っておられました」
「……名を聞いていいか?」
「はい、アントニオ・セルベッティと申します」
「セルベッティ? ひょっとして分艦隊司令は……」
「はい、父です」
「…………」
――お前の父は立派だった
――見事な最期だった
――父を見習って立派な軍人になれ
幾つかの言葉がイゾルテの口の中に浮かんでは消えた。
――私のせいだ、すまない……
口を突いて出そうになったその言葉を無理に飲み込むと、イゾルテは鞄を受け取った。
「……そうか、ご苦労だった。確かに受け取った」
足早に司令室に向かいながら、イゾルテはポツリと呟いた。
「まさか、この艦隊に私より若い者が乗り込んでいたとはな……」
まだ父の死を知らないであろう少年の笑顔を思い出し、彼女はやりきれない気持ちになった。
イゾルテが捕虜のうち主だった士官の引見を終え損害と戦果の一次報告を受け取ると、既に夜半を過ぎていた。彼女は報告書を手に自室に戻ったが、しばらくしてアドラーとムスタファがイゾルテの船室前にやって来た。
「アドラーさん、やっぱりまずいですよ。こんな時間に年頃の女の子の部屋を訪ねるのは」
「女の子って、ワシは姫のオムツを替えたこともあるんだぞ? 姫様を心配するのはワシの義務だ」
「デリカシーが無いんじゃないかって話ですよ。アドラーさんにも娘さんがいたんでしょう? 『お父さんなんて大っ嫌い!』とか言われませんでしたか?」
「…………」
元海賊に言われたくないセリフである。そして娘にも言われたくないセリフだった。でも両方から言われてしまったセリフだった。
「ひ、姫には言われたことないぞ!」
「これから言われちゃいますよ。第一、もう寝てますって」
その時、声を殺して押し合いへし合いする二人の耳に、どこからか押し殺した声が聞こえてきた。
「レナート・セッティ、エウヘニオ・トレド、カルリトス・フロレス、ヴィエリ・コルンブロ、ラルス・マッテゾン、すまない」
その声は二人の前の扉の奥から聞こえていた。
「ヴィエリ・ボッカチーニ、クリスピーノ・チェルレーティ、ホラーツ・ハルトヴィヒ、タッデオ・ソスピーリ、ごめん」
その声はムスタファが初めて聞く、イゾルテの泣き声だった。
「ドナテッロ・ペッツォーリ、パキト・アコスタ、ジャンルカ・アルトベッリ、コスタンツォ・セルベッティ、許してくれ」
二人は顔を見合わせると、気まずそうに顔をそむけて自分たちの部屋に戻って行った。
------------------------------------------------
注1 挙手の敬礼というのは、右手を額(あるいはこめかみ)にあてる例の奴です。
自衛官とか警察官とかがポスターでやってるアレです。
もともとは全身甲冑を着た中世の騎士が、可動式の
だから……そのまんまですね。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます