8 蠢動
ローダスの港にサナポリからの輸送船団が到着すると、ローダス遠征軍総司令部には幾つもの情報がもたらされた。
・サナポリの迎撃艦隊が行方不明のままであること。
・彼らより先に20隻の輸送船が先発していること。(そしてそれが未着であること)
・サナポリからの続報を載せた快速船が出されていること。(そしてそれが未着であること)
・航路上でプレセンティナ船と思しき帆船を1隻見かけたが、すぐに去ったこと。
これを受けて総司令部は、陸海軍の将官達を一堂に集めた。
総司令官ヒシャームを中心に左右に分かれた将官達の内、まずは海軍の者たちが意見を述べた。
「サナポリの艦隊は全滅したと見るべきですね」
「1隻も残さず……か。敵は最低でも30隻はいるだろうな」
「まさか、本国方面の航路は封鎖されているのか?」
「そうだろう。輸送船どころか小型の快速船まで行方不明なのだ。新手の海賊とも考えられぬ」
「しかし、今回は輸送船が抜けてきているぞ」
「待て、一昨日に出航した輸送船団はどうなったのだ? アレを追っている隙にたまたま通り抜けることが出来たのではないか?」
「それで密度が低下していたために、帆船が1隻で哨戒していたと?」
「しかし、それでは哨戒はできても封鎖はできない。奴らがそんなことをするだろうか?」
まとまらない議論に輸送艦隊司令が釘を刺した。
「いずれにしても、早急に本国との補給線を回復して貰わねばなりません。食料の備蓄は既に標準量の配給で1月分しかありません」
それを聞いたヒシャームがボソリと洩らした。
「ローダス城はとても1月では陥とせんぞ」
ローダス城と呼ばれているのは、正確にはムルス神殿である。ムルスは戦いの神であり、作ったのが戦闘狂のムルス騎士団なのでほとんど城塞のようになっているのだ。更に千年以上の間、修行と称して城壁の増改築を繰り返しているので、元の城壁の周りがなんだかレンガ造りの巨大迷路みたいになっていた。そんな迷路のあちこちに重量100kgはありそうな全身鎧を着た化け物(ムルス騎士)が待ち構えていて、槍の一振りで5人を弾き飛ばし、剣の一振りで3人を両断するのだ。たかだか500人程度の騎士団を相手に200倍の兵士を動員することを薦めたのは30年前に痛い目を見た老人たちであったが、今ではヒシャームもその気持が痛いほど分かっていた。
だが現実は更に厳しかった。
「いえ、これはローダスに留まることができるタイムリミットではありません。本国に帰り着くまでのタイムリミットです。ローダス城が陥ちても1月以内に本国に帰れなければ、我々は飢えで全滅します」
死刑宣告に等しいその内容に、今度は陸軍にも動揺が走った。
「10日で帰れるとしても、ロードスに居られるのは20日ということか」
「ちょっと待て、帰国するための船など残っていないぞ。ガレー船に押し込めても半分も帰れん!」
「補給計画はこんなにずさんだったのか……」
「そもそも輸送船を小出しに送るから敵に捕まるのだ。なぜもっと大きな船団を組まなかったのだ!」
非難の矛先がが輸送艦隊に向くと、輸送艦隊司令は憤慨した。
「お言葉ですが、我々は最善を尽くしております! 仮に120隻全てで船団を組んでいたら、全ての荷揚げが終わった一昨日にローダスを出航したことでしょう。本国に戻って120隻分の荷を積んで、再び戻ってくるころには1月くらい経っています。その間に嵐でも来て10日ほど遅れれば、もうそれだけで我々は全滅です。
第一、輸送船に兵は乗っておらんのです。輸送船が120隻いた所で30隻のガレー船に襲われれば半分は沈められてしまいます。航路の安全は実戦艦隊に守っていただきたい!」
輸送艦隊司令が溜め込んだ物を吐き出すと、彼を非難していた者は気まずげに黙った。ドルク陸軍では、補給は現地調達(略奪)が基本であった。だがローダス島では小さすぎて奪うものとてなく、かといって海軍が供給してくれる物資で飢えることもなかった。ローダスに来てから今まで、補給計画のことなど意識したことも無かったのだ。
海軍の方もタイトン艦隊との戦いにのみ気を取られていた。これまで沿岸警備を主任務としてきた彼らは、遠洋航路の安全など気にしたことなど無かったのだ。そもそもドルクには守るべき遠洋航路自体が碌に無かった。あったのは陸地から見える範囲を通る沿岸航路だけだったのだ。
「とにかく、本国との補給路を回復していただきたい。そうすれば再び民間船を徴用して補給線を再構築できます。本国の経済には痛手となりますが、このまま飢えて負けるよりははるかにマシです」
ヒシャームがボソリと言った。
「誰か、彼の意見に異論はあるかね?」
彼は周りを見回したが、声を上げるものはいなかった。
「ならば大方針として、艦隊を派遣して補給路を回復することを目指す。諸提督、具体的な方法を提案してくれたまえ」
ヒシャームの言葉を受けて、先任の第1艦隊司令が提案した。
「我が第1艦隊と東岸沖の第3艦隊は事実上手が空いている。この2艦隊で補給路の再奪取を試みるのはどうだろう。西岸沖の第2艦隊は度々バネティア艦隊の挑発を受けているので、このまま持ち場を固持してもらおう。残りの第4艦隊は、北、東、南の3方を巡回してもらいたい」
輸送艦隊司令は不安げに口を挟んだ。
「しかし、80隻では心もとないです。3個艦隊を出すべきではありませんか?」
「いや、陽動の可能性もある。その間にローダス島が襲われれば、周辺の制海権を奪われるぞ」
「そうだ。それに、航路封鎖をしているのなら広く散っているはず。今行けば10隻20隻の小艦隊を各個撃破できるぞ」
口々に反論され、もともと軍人ではない輸送艦隊司令は黙った。実際、彼らの反論はもっともに聞こえたのだ。
ヒシャームがボソリと言った。
「うむ、意見はまとまったようだな。では、第1艦隊及び第3艦隊には協調して本国との補給路を回復することを命ずる。指揮権は第1艦隊司令に与える」
「謹んで承ります」
「第4艦隊は警備の穴を埋めるように」
「はっ」
だがヒシャームの案はそれだけではなかった。
「とはいえ海軍任せにする訳にもいかん。陸軍は陸軍で、すべき事をしよう。総攻撃だ」
陸軍の将軍たちは慌てた。
「閣下、まだ迷路の地図が完成しておりません。攻城兵器を城壁に近づけることもままなりませんぞ!」
「構わん、力押しだ。兵が何千人死んでも構わん。いや、はっきり言おうか」
― 何万人か殺せ ―
輸送艦隊司令はその非情な命令を幻聴かと思った。全滅を予言した彼にしても、そこまでの考えはなかった。
――まさか、口減らしのために味方を犠牲にするとは……!
だが、その有効性は否定出来なかった。30年前は5万で包囲したのだ、10万死んでも包囲は維持できるはずだった。ならば、敵に損害を与えつつ口減らしを行うのは合理的な策であった。
――ヒシャーム閣下、なんと恐ろしい方だ……
現皇帝の乳兄弟として皇位継承の権力闘争を戦い抜き、その片腕として大小の地方反乱を力ずくで鎮圧してきたヒシャームの経歴は血に塗れていた。その評判は輸送艦隊司令も聞いていたのだが、ヒシャームののっそりしたしゃべり口に今の今まで忘れていたのだ。今初めてヒシャームの本質を目の当たりにして、彼は密かに震えていた。
その頃、プレセンティナ軍遠征艦隊は全艦隊を集結させ、ロードス島東100kmほどに移動していた。
輸送船20隻を拿捕したことで、第1分艦隊に加え第7分艦隊までが完全に無力化していた。補給物資と共に水兵の一部をガレー船分艦隊に分配すると、彼らは鹵獲帆船32隻(北アルーク航路で拿捕した輸送船を含む)を連れて本国へと帰っていった。先に後送した分も含めると、既に72隻もの艦船を拿捕した訳である。海賊行為の成果としては大戦果といって良いだろう。だがイゾルテは沈んでいた。
「次は大きな戦いになる。皆、頼んだぞ!」
兵たちに見せる彼女の笑顔はいつもよりさらに明るく、来るべき戦いの予感に高揚しているようにも見えた。だがそれは、彼女の立場がそうさせているにすぎなかった。司令官室でムルクスと二人きりになると、彼女は仮面を外した。
「作戦を聞こう」
「はい。敵を発見次第、両翼を厚く中央を薄く、鶴翼の形に陣形を整えます」
ムルクスはテーブルにチェスの駒を並べた。白のキングの左右にナイトが並んでいる。
「敵が近づけば左右両翼を広げます」
そう言って左右のナイトをキングから離した。
「そうすれば、敵は中央に殺到します」
今度は黒のクイーンを白のキングの前に置いた。
「敢えて隙を見せ、敵を中央に誘導しようと言うのだな。網をそこに撒いておけば勝負は着くと」
「はい。そうです」
ムルクスは静かに頷いた。しかし、作戦を聞いたイゾルテは更に顔を強ばらせていた。
「だが、両翼が厚すぎれば敵も両翼を厚くする。仮に敵が3個艦隊だったなら、左右両翼に1個艦隊ずつ差し向けるかもしれん。その方が動きやすいからな」
イゾルテは黒のクイーンの代わりにビショップを置き、左右のナイトの前にはルークとナイトを置いた。3つを同格にしたのだ。
「…………」
「その場合は、敵の本隊は突出してこない。薄いと言っても一個艦隊で本隊を相手にするのは両翼に比べて不利だ。こちらの本隊を牽制しつつ、両翼の決着が着くのを待つだろう」
そう言って黒のビショップを遠ざけた。
「これでは罠にかからない。かかったとしても一個艦隊に過ぎない。我々はこうすべきなのだ」
イゾルテは一旦白のキング以外の全ての駒を取り除いた。
「左右両翼を広げるのは良い。だが、より多くの敵を中央に誘うためには両翼が厚くてはならない」
キングの左右にそれぞれポーンを置いた。
「そして、両翼の戦闘を優先させないために、敵の進路を罠へと誘導するために、これが必要なのだ」
イゾルテはそう言って、キングの前にポーンを置いた。
敵正面に置かれた小部隊――つまりは囮である。敵を挑発するためにはガレー船である必要があり、ガレー船であれば浮網を撒いた罠を通り抜けられない。彼らは退くことも許されず、ただ圧倒的な敵になぶり殺しになる役割なのだ。もはや囮というより噛ませ犬と言った方が良いだろう。
「姫……」
「私とて遊んでばかりいた訳ではない。ゲルトルート号の設計が始まってから、海戦について学んでいたのだ。軍の海戦記録にも目を通した。これは15年前、ドルク艦隊を暗礁に誘導した手だ」
「…………」
何も言わないムルクスをギロリと睨むとイゾルテは叫んだ。
「この作戦を立案し、前衛を指揮したのはお前だ、ムルクス! 何故言わぬ? この策を聞けば私が怖気づくとでも思ったのか!?」
イゾルテは俯いてポーンを握りしめると、微かに肩を震わた。
「確かに私は小娘に過ぎぬ。だが皇帝の娘として生まれた以上、血に塗れて生きるのは宿命なのだ。それが例え、味方の血であろうともな……」
ムルクスは黙って頭を垂れた。
その日の夜、各分艦隊司令がゲルトルート号に集められて作戦会議が行われた。既に帆船分艦隊は全て帰国させてしまったので、集まったのは全てガレー船を指揮する武闘派ばかりだった。
「先に輸送船団の突破を許したことで、こちらが有力な艦隊であることは露見しました。再び補給線を遮断されることを恐れて、ドルク軍は大規模な艦隊をドルク方面、つまりこちらへと向かわせるでしょう」
ムルクスの現状認識に異論の声は上がらなかった。
「次の戦いでは、敵は2~4個艦隊になると予測されます。ガレー船の総数で80隻から200隻、強敵です」
「200隻……我が国の倍以上だぞ」
「うーむ、タイトン諸国を糾合しても、やっとそろうかどうか」
「まさに未曾有の大艦隊ですな」
「その大艦隊に対するために、こちらも大規模な罠を張ります。旗艦ゲルトルート号と2個分艦隊を本隊として、その前に全ての浮網を仕掛けます。左右両翼は各1個分艦隊。敵の多くを本隊へ誘導するため、敵が現れた後に左右に大きく展開します。そして最後の分艦隊は、前衛として罠の前に配置します」
ムルクスの作戦案を聞いた分艦隊司令たちは押し黙った。
「この前衛の任には……」
「爺、待ってくれ」
各分艦隊の分担を発表しようとするムルクスをイゾルテが止めた。
「我が海軍の将兵は全て、帝国と皇帝陛下の物だ。ならばその命令は、その命令だけは陛下の名代たる私に下させて欲しい」
イゾルテは立ち上がると毅然として命じた。
「第2分艦隊に命じる。本隊前衛として――」
イゾルテは努めて無表情のまま、唾を飲み込んだ。そして彼女の生涯で幾度と無く口にされるその言葉を、この時初めて口にした。
― 死んでくれ ―
数秒の間瞑目した第2分艦隊司令は、すっくと立ち上がり腰を折った。
「謹んで承ります」
「ありがとう」
「ですが、ただ死ぬつもりはございません」
顔を上げた司令は、ニヤリと笑ってこう付け足した。
「ドルク艦を10隻か20隻道連れにしてやるつもりです。沈めても宜しいですか?」
「ああ、勿論だ」
イゾルテはテーブルを囲む全員を見回しながら宣言した。
「今度の戦いは昨日までとは異なる。1人の味方を救うためなら、100人の敵を殺して構わぬ。剣を持つものを斬り殺せ。網を解こうとするものを射殺せ。足を止めても降伏しない船は奴隷ごと焼き殺せ。
全ては私の命によるものだ、お前たちが
第2分艦隊司令がサーベルを抜いて天に掲げた。
「プレセンティナのために」
第3分艦隊司令も立ち上がってサーベルを掲げた。
「皇帝陛下のために」
第4分艦隊司令も立ち上がってサーベルを掲げた。
「我々はイゾルテ様のために」
第5分艦隊司令も立ち上がってサーベルを掲げた。
「ずるいぞ! じゃあ、美しいテオドーラ様のために」
第6分艦隊司令も立ち上がってサーベルを掲げた。
「では私は、我が海軍のために」
ムルクスはサーベルを吊っていなかったので右手を挙げた。
「メダストラ海の平和のために」
イゾルテは皆を見回すとその右手を左胸に当てた。
「全ての臣民のために」
海上にドルク艦隊が姿を表したのは、それから2日後のことであった。
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注1 国号の「プレセンティナ」は女神「ペルセパネ」の別名という設定になっています。
この女神のモデルはローマ神話の「プロセルピナ」で、ギリシャ神話の「ペルセポネ」にあたります。
ペルセポネは豊穣の女神デメテル(がゼウスにレイプされて)産んだ娘で、(実父が勝手にOKして)ハデス伯父さんに拉致監禁&強制結婚させられました。ホントにゼウスってサイテーですね。
でもハデスとペルセポネって、意外と仲が良いんですよね。他の神様と違って浮気とかしないし。というか、他の神様が悉く性格破たんしてるだけしれませんが……
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