第2章 ローダス島(海)戦記
1 急報
「ありゃ何の煙だ?」
ローダス島の港を歩いていた船乗りが海上の煙を見つけたのは、ゲルトルート号が試験航海を終えて半年ほど経ったヘメタル歴1521年の秋のことであった。
「船火事か? もしそうなら助け舟を出さねぇと!」
だが男が駆け出そうとすると、そばに居た老人が止めた。
「いや、あれは旗を見ろという合図じゃ」
「旗?」
「マストに信号旗が上がっておるはずじゃ。お前さん、船乗りなら目がいいんじゃろう? ワシの代わりに見てくれんか」
船乗りはなるほどと納得した。海上で狼煙を上げるような危険を犯すのは、余程差し迫った状況である。だが、ペルセポリスのような大きな港なら常に海上を監視しているが、ローダス港のような小さな港では狼煙でも上げなければ見逃されてしまうだろう。彼は手のひらでひさしを作ると目を凝らした。
「うーん、上から時計回りに黄、青、赤、黒だな。どんな意味なんだ?」
「そうか。悪い事は言わんから、あんたはさっさと国に帰ったほうがエエ。ついでにワシの孫娘もやるから連れて帰ってくれ」
船乗りは首をかしげた。何だか
「おいおい、なんだよ突然。それに爺さんは俺が何処の国の人間かも知らんだろ? 孫娘をドルクに連れて行かれてもいいのかよ」
「ふん、ドルク人が他人の船の心配なんかするもんか。それにここにおってもドルク人に連れて行かれるわい。あの旗は、ドルクが攻めてきたっちゅう合図じゃ!」
ローダス島を治めているのはムルス騎士団という宗教団体だった。宗教団体といっても大した教義はなく、ただ単に戦の神ムルスを信奉するマッチョなバトルフリークたちの集団だと思っていれば概ね間違いはない。だがその精強ぶりは広く知られ、タイトン各地から多くの男たちが各地から巡礼――という名の修行とか腕試しとか――に訪れていた。
その一方でローダス島はメダストラ海の東部中央に位置し、メダストラ海進出を目論むドルク帝国にとっては喉元に突きつけられたナイフのような存在だった。そのためこれまでにも何度もドルクの侵攻を受け、その度にムルス騎士団が撃退していた。プレセンティナと並んで、タイトン世界の楯と言える存在なのだ。
しかしローダスとプレセンティナは仲が悪かった。民間レベルではそうでもないのだが、政府や軍のレベルでは意地を張り合っていたのだ。ローダスに言わせれば、神に仕える自分たちを差し置いてタイトン世界の盟主面をするプレセンティナが気にくわないらしい。しかしプレセンティナからしてみれば、彼らは
ローダスからの急報は、たまたまローダスに寄港していたというプレセンティナの民間船によって届けられた。北アフルークで買い付けた小麦をプレセンティナに運ぶ途中だったのだが、小麦は全てローダスに下ろし、代わりに避難民を連れてきたという。他国の船がさっさと逃げ出す中で、プレセンティナ船だけは最後まで踏みとどまったとして現地では小さな美談となっていたのだが、籠城経験豊富なプレセンティナ人にしてみれば当然のことだった。というか、さっさと帰ってきていたらペルセポリスの人々から白い目で見られていたところだ。彼らにとって、ドルクの攻撃にさらされる事は他人事ではないのだ。
10日間の航海の後にペルセポリスに辿り着いたその船は、すぐさま軍に報告し、即座に宮廷に奏上され、速やかに御前会議が招集された。
急報を届けた民間船の船長の証言を皮切りに、御前会議が始まった。
「私がローダスを発ったのは11日前、10月2日のことです。確認しただけでも30隻あまりのガレー船と60隻以上帆船がおりました。ローダスの者の話では、島をぐるりと海上封鎖するのが通例だそうです。私が見たのは恐らくほんの一部でしょう」
「記録官、前回のローダスへの攻撃は何年前かね?」
「は、前回は30年前です。その時の兵力は陸兵5万、船舶100隻と記されております」
「今回も同規模と見るべきでしょうか……」
「いや、今回は数倍する兵力を擁していると考えるべきだ。近年ドルクは海軍力の増強に躍起になっている。海賊まで海軍に取り込んでいるという報告もある」
そう言った提督はイゾルテに目配せをして軽く頭を下げた。それはイゾルテ経由で伝わったムスタファからの情報だったのだ。
「今回のような
「陸兵も5万以上でしょうか」
「だろうな。ドルクではもともと陸兵が余っとるくらいだ。船に余裕があるなら10万でも20万でも連れて来るだろう」
「だとすると、おいそれと手が出ませんな。ローダスは勝てるでしょうか」
「そりゃぁ勝てるつもりなのじゃろう? 援軍の要請がないのが何よりもの証拠じゃ」
「うん、確かにそうだ」
「然り然り」
御前会議は「呼ばれてもいないのに援軍を出す必要はない。助けてほしけりゃ頭を下げろ」という空気が濃厚であった。
だが、皇帝ルキウスの後ろで置物となっていたイゾルテが声を上げた。
「陛下、発言して宜しいでしょうか」
今回の御前会議では「近い将来帝位を継ぐ可能性のある二人に見学させる」という触れ込みでイゾルテとテオドーラが同席していたのだが、なぜかイゾルテは男物――しかも海軍の高級士官用の軍服によく似た服を身につけていた。ただしその生地は、本来の藍色ではなく真っ白であったが。
「私は派兵すべきだと考えます。まず第一に、ここでローダスを見捨てれば全タイトンがドルクの脅威にさらされます。我らを盾として平和を享受する国々には確かに良い薬にはなるでしょうが、それだけの為にメダストラ海の東半分をくれてやる訳には行きません。北アフルーク諸国との航路が閉ざされれば、経済的な打撃だけでも看過し得るものではありません。
第二に、ドルクには二正面に展開するだけの海軍がありません。ローダスを包囲した上にプレセンティナに送り込む艦隊などいないでしょう。仮に艦船を用意出来たとしても、今度は人が足りません。人が足りても補給線を維持できません。ですから我が国の艦隊にペルセパネ海峡を守らせていても遊兵となるだけです。
第三に、ドルク海軍は遠征に慣れていません。大量の輸送船を運用することも、それを護衛することも、海上で何ヶ月も封鎖を続けることも慣れていないはずです。いま艦隊を派遣すれば草刈り場となるでしょう。逆にこれを放置すれば、彼らはこれらの経験を積んでしまいます。ペルセパネ海峡への攻撃も一段と手慣れたものとなるでしょう。
第四に、ローダスに恩を売ることができます。我が国とローダスの不仲はつとに有名ですが、それでも危地に駆けつけたとなればプレセンティナがタイトン世界のためにいかに真摯に働いているのかを示すことが出来ます。ローダスはごねて我が国の功績を認めないかもしれませんが、他の国々は認めます。いっそその方がローダスの大人気なさが際立って、より我が国の声望が高まるかもしれません。
これらの理由から、私は艦隊を派遣すべきであると考えます。そして我が国の決意を示すため、不肖ながら私も遠征艦隊に随行いたす所存です」
意外と整然とした意見に重臣たちは驚きを隠せなかった。しかも随行の意思を示すためにわざわざ軍服を着てくるパフォーマンスまで見せたのだ。重臣たちには、テオドーラ一択と見ていた皇位継承争いに、突然対抗馬が現れたかのように思われた。彼らに「あれ? イゾルテ様ってこんなデキる娘だっけ? イゾルテ様もアリじゃねぇ?」と思わせちゃったのだ。
だがそれを察したのか、テオドーラが猛然と反対した。
「いけません! ローダスの事など放っておけば良いのです!」
そして彼女は重臣たちの予想を超えた行動に出た。たたたっとイゾルテの元へ駆け寄ると、がばっと力いっぱい抱きしめたのである!
「今度は単なる航海ではないのですよ! 戦争になんて行ったら、あなたも死んでしまうかもしれないわ! そんなことになったら……! そんなことになったら……私も生きてはいられないわ……」
よよよと泣き崩れながらイゾルテをポカポカ叩くテオドーラを、誰も
――あれ? ローダスに援軍を出すのって、こういう効果があるってこと?
後の議論はルキウスと重臣たちに任せて、イゾルテはテオドーラを連れて退席した。控えの間で二人きりになると彼女はテオドーラを慰めた。
「大丈夫ですよ、お姉さま。ゲルトルート号はメダストラ海で一番速い船です。危なくなったらすぐ逃げてきますわ」
本当は風が凪いでいたらうんともすんとも動かないのだが、当然黙っておいた。イゾルテは幼子にするようにテオドーラの頭を撫でながら話を続けた。
「お姉さま、この国のためには二人のうちどちらかが子を残さなければいけません。それは分かりますよね?」
テオドーラは、しぶしぶながらもコクリと頷いた。
「お姉さまが結婚するのは嫌だと仰るなら、私が結婚して子供を産みます」
イゾルテの言葉にテオドーラは目を見開いた。
「い、嫌よ、イヤッ! イゾルテの体に汚らわしい男の手が触れるなんて、絶対許さないわ!!」
半狂乱になりかけたテオドーラに、イゾルテが言った。
「でしたら姉上が結婚して下さい」
「…………」
「じゃあやっぱり私が……」
「イーーーヤーーー!」
「じゃあ姉上が」
「…………」
「じゃあ……」
「ダーーーメーーー!」
そのまま同じようなやり取りを何度か繰り返したが、テオドーラは駄々をこねるばかりで一向に埒が明かなかった。
――あーもー! 止むを得ん!
イゾルテは奥の手を使った。なんと彼女は、その唇でテオドーラの口を塞いだのだ。
「んんっ!?」
意表を突かれたテオドーラが、落ち着きを取り戻して(?)舌を入れてくる寸前、イゾルテは体を離した。
「あんっ」
残念そうなテオドーラを無視して、イゾルテは続けた。
「もし姉上が結婚されるのなら、私は女を捨てて不婚を誓いましょう」
「えっ……」
「お姉さま、帝位をお継ぎください。私は軍に身をおいて、あなたとあなたの国に生涯仕えましょう」
イゾルテはまるで男のように片膝を付き、頭を垂れてテオドーラの手の甲にそっとキスをした。彼女の決意に感じるものがあったのか、テオドーラはそれ以上何も言わなかった。イゾルテはなんだか大事なものを失った気もしたが、とりあえず計画通りにいったことに内心ほっと溜息をついた。
その数日前の夜、ルキウスは薄いペラペラした本を手にしていた。イゾルテの元に届いた贈り物である。その本{女性週刊誌の『ヅカ特集』号}には何やら文字がいっぱい書かれていたが、もちろんそれは誰にも読めない。しかしそこには乙女と男装の麗人のラブロマンスをその他大勢の女達が見守るという、一種異様な絵画{写真}が描かれていたのだ。男装の麗人に陶然とする乙女の姿を見た偉大なる皇帝ルキウスは、その瞬間天啓を得た。
「エウレカ! (ひらめいた!)」
イゾルテ(女)と結婚相手(男)を比べるから落差がありすぎるのだ。イゾルテ(女)→イゾルテ(男)→結婚相手(男)と段階を踏めば、テオドーラも男に慣れるかもしれないではないか!
「イゾルテ! これよりそなたは(一時的に)男となれ!」
ということで、イゾルテ男装女子化計画がスタートしたのである。で、イゾルテは本日の御前会議で颯爽と男装デビューを果たすことになったのであった。
男装女子効果(?)が重臣たちにも効いたのか、イゾルテ達の退室後、
――イゾルテ様のお言葉ももっともだ
という雰囲気になった。だがその一方で、
――でも、賛成したらテオドーラ様に嫌われそう……
という気持ちもあって歯切れも悪く、結局は皇帝の独断ということで派兵を決定することになった。重臣たちは「賢明なご判断です」と口を揃えたが、ルキウスはそんな彼らに言いたかった。
――だったら一緒にテオドーラに恨まれてくれ!
だが一方で、重臣たちが次の皇帝に疎まれるのは彼としても避けたいところなのだ。独り悪者となった彼は、テオドーラにどう釈明しようかと頭を痛めていた。
そんな彼のもとに、すっかり男装女子となったイゾルテが報告に現れた。
「失礼します。父上、姉上の説得にはひとまず成功致しました」
イゾルテはなぜか口調も男っぽくなっていた。父としては、なんでそんな自然に少年っぽいのかと心配になるほどである。彼は普段のイゾルテを知らなかったのだ。
「そうか……すまんな、お前には苦労をかける」
「いいですよ。姉上があのままなら、どのみち私も結婚できませんし」
「しかし、唇を奪われたのだろう?」
「奪われたというか、差し出した感じです。でも意外と大したことはありませんでした。その時は何か無くしたような気もしましたが、今となってはそれほど大事ではなかったのかなと思います。姉上が子供を産んでくれるなら、体くらい許しても良かったかもしれません」
ルキウスは別の意味で娘が心配になった。
「大変なことをさらっと言わんでくれ……。しかし、結局お前もゲルトルートの娘なんだなぁ」
しんみりとするルキウスに対して、イゾルテは冷たかった。
「何当たり前のことを言ってるんですか?」
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ローダス島のモデルはロードス島です。
呪われた島……じゃなくて、ホントに地中海にあるロードス島です。
章タイトルは呪われた島の方の『ロードス島戦記』っぽいですが、ネタ元は歴史ノンフィクション(?)『ロードス島攻防記』(塩野七生著)の方です。
このロード島にはパーンもディードリットも住んでませんでしたが、聖ヨハネ騎士団(ロードス騎士団)という武装集団が住んでました。
十字軍の一派ですね。ちなみにこのロードス島は東ローマから奪いました。十字軍ェ……
そんな平和(?)なロードス島にオスマン・トルコの大軍勢に攻めてきてさあ大変。なにが大変って、主に攻めてきたオスマン軍が超大変。
騎士団なんて500~600人くらいしかいないのに、10万人のオスマン軍に対して信じられないくらい頑強に抵抗します。
まあ最終的にはロードス島から追い出されるんですけどね。
しかし「全財産の持ち出し可」とか「島民の信教の自由を保障」とか、あり得ないレベルの好条件を引き出すことに成功します。
「頼むから出てって! 敷金全額返すから! 今月の家賃要らないから!」って感じでしょうか。ゴネ得というヤツですね!
ちなみにコンスタンティノープル陥落後の話です。当たり前ですが孤立無援でした。
一方作中ではペルセポリスが生き残っている上に(キプロス島とクレタ島が無いので)足がかりになる拠点が遠いのですが、それだけ価値も大きいのでやっぱりドルクの大軍に攻撃されることになりました。ムルス騎士団も聖ヨハネ騎士団みたいに頑張るのですが……主役じゃないのでほとんど出番はありません。悪しからず。
ちなみに史実の聖ヨハネ騎士団、実は戦後にマルタ島に移住して、ナポレオンに征服された時に国土を失いましたが……騎士団自体は未だにローマで存続しています。
しかも未だに「主権実体」という準国家扱いです。まあ、亡命政府みたいなもんですね。
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