鹿翁館の三姉妹

久浩香

鹿翁館の三姉妹

 その日迄の給金を受け取りに事務所に行くと、事務机に座った経理主任は、引き戸の開いた音でこちらを向いており、入ってきたのが間違い無く俺だと認識すると、手提げ金庫を開けて上段を取り、既に計算して紙幣の上に入れていた、薄い茶封筒を取り出した。


 主任は、部屋を間仕切るカウンターまで来ると、

「じゃあ、これ。中に、今日までの明細とお給料。それからカードが1枚入ってるから、中を確認したら、こっちの領収書と受領書に署名して下さい」


「カード?」


「そう。あちらに行く迄にかかる経費を、君に出させるわけにはいかないでしょ」


「なるほど」


 俺は、二つ折りにされた明細に挟まれた給金と領収書に書かれた金額が同額である事を確認し、更に、表面に『鹿翁』と書かれたカードがあるのを確認すると、自分に割り振られた整理番号を書いた。


「はい。御苦労さん」


 彼はそう言って、領収書と受領書をクリアファイルの中に入れて、カウンターに置くと、


「いい身体してるもんなぁ。羨ましい」


 と、諦めともいえる口調で、ぼそりと呟いた。俺は明細書と紙幣を茶封筒に戻すと、二回、二つ折りにし、ズボンのポケットに突っ込んだ後、カードをまじまじと見つめた。


「一つ…聞いていいですか?」


「ん? 何?」


「これ…何て読むんです?」


 そう言って俺は、カードの表面を経理主任に向け、書かれている文字を指さした。

 文字は、『鹿翁』と書いてあった。


「え? …………読めないの?」


 主任は、口をぽかんと開けて、目をぱちくりとさせ、ゆっくりと首を傾げた。


「はぁ。まぁ……えっと、『しかばね』?」


 俺は、耳の後ろを人差し指で掻いて、恐る恐る、読んでみた。


 『鹿』を『しか』と読むのは解った。だが『翁』という字は、初お目見えだった。

 『翁』という字を分解すると『公』と『羽』でできている。『公』は『おおやけ』や『コウ』、『羽』は『は』『はね』や『ウ』と読める。だから、『しか』の後に、それらの文字を続けて読んでみた。

 『しかおおやけはね』、『しかこうう』…。そうやって、幾つか組み合わせて読んでみた結果、『しかはね』から『しかばね』と読むとしっくりした。ただ『屍』なんて、おどろおどろしい単語だったので、そうで無い事を期待はしていた。


「あ……あははははは」


 主任は、背中を薄く反らし、感情のこもらないような笑い声を上げて、首を元に戻し、「ふぅ」と息をついた。


「すみません」


「いや、こっちこそごめん。僕なんかはもう、見慣れすぎた単語だったから…つい。ああ、そうだね。確かにこの漢字は難しいよね。ええとね。これは『鹿』と書いて『ロク』。『おきな』と書いて…」


「あれ? なんか『おきな』って聞いた事があるような…」


 俺は、主任が『鹿』の事を『ロク』と読むと言った時には、(いや、何故?)と言いたいのを我慢したが、『翁』の事を、さらっと『おきな』と呼んだ時、その『おきな』という言葉をどこかで聞いた気がして、主任の言葉を遮ってでも、それを言わずにはいられなかった。


 言葉を遮られた経理主任は、「………」と、しばらく沈黙したが、


「有名なのでは、かぐや姫の『竹取物語』の話に出てくるよね。竹取の翁…って」


「ああ、それだ。…ん? え? あっ。じゃあ、これって、鹿のじじいって書いてあるんですか?」


「じじい…って。まぁ、漢字の意味としては、鹿のお爺さんって事になるのかな。……とにかく、『翁』と書いて『オウ』と読む。これは、『ロクオウ』って書いてるんだ。…というか、君。読み方も知らない場所で、働こうとしてたの?」


呆れているというよりかは、心底解らないという風に、主任は俺の目をじっと見てきた。


「いや、俺は、今より楽な部署を希望していただけで…そしたら、人事のねーちゃんが、今の10倍のピーヤス通貨を稼げる部署があるって言うから…。異動願いの書類を持ってこさせて…署名したんです」


「え? 違いますよ。君は、この現場を退職して、新たに鹿翁様の元に就職する為の試験を受けに『鹿翁館』に行くんですよ。ですから、今の君は、無職です」


 俺は、目が点になった。それから、沸々と怒りがこみ上げてきて、素っ頓狂な声をあげてしまった。


「はぁあ? あのアマ。俺を騙しやがったのかっ!」


「いやいや。その人事の方からも、ちゃんと説明されたでしょう?」


 そう言った主任の言葉に、俺は、口をモゴモゴとさせた。


 と、いうのも、あのアマ──人事の女は、俺の性欲処理機の一人だ。…と、言っても、それが目的じゃあない。十代の時は、それによって気持ちよくなる事が主たる目的だったが、二十代になってからは、そうじゃない。あの女に限らず、これと決めた女を暴力によって屈服させる方がより興奮する。最初は、抵抗の限りをつくしていた女が、やがて大人しくなって、止めて欲しいと懇願する。主人である俺に命令する立場に無い事を、充分に思い知らせてやってから、俺の所有物である証を注いでやるんだ。だから、そうする事は、副産物──結果としてそうしている、という程度の事でしかない。


 あの日。人事の女は、俺が快楽暴力を加減してやる代償の7ピーヤスと、白い封筒、そして俺が署名した書類を持ってきた。番号を書いた後、確かに人事の女は、何かを言おうとしていたが、俺は、今の10倍のピーヤスの現場なんて、すぐに希望者が殺到すると思い、知る者の少ない内にさっさと手続きをしてくるように怒鳴り、それでもまだ、グズグズしてやがったから、バッグごと部屋の外へ蹴り出した。それっきり、人事の女には会ってない。


 主任が、俺の様子で何かを察したかどうかは解らない。だが、がっくりと肩を落とし、カウンターに両手をついて、その腕に自分の全体重を預けているようだった。


「まぁ、いいでしょう。説明しますね。鹿翁様は、御自身の館の従業員として雇われる前に、鹿翁様御本人と三人の御令嬢で、雇用するに相応しい人物か見極められる試験を行われます。先ずは、希望者全員を客人として招待して歓待し、定員が集まると、今度は、宿泊者という名目で、実際に従業員となった後の生活というものを知って貰い、又、それに慣れる為に、自分のお金で生活してもらいながら、自然の流れに合わせて、面接や実技等の試験をし、雇用を決められるそうです。カードの中の金銭─1万ピーヤス相当分は、鹿翁館まで行くのにかかる交通費と、雇用が決まるまでの生活費も含まれているそうです」


「へ~っ」


 俺は、カードを指先でつまんで、裏と表を交互に見ていた。

 鹿翁館まで行くのに、どれだけの金が必要になるのかは不明だが、1万ピーヤスもの支度金と、主任の口ぶりから、宿泊者になってから雇用契約を結ばれるまで、そこそこの期間、無職の状態が続くようだった。金が無いと生きてはいけない。無職になったからには、この町も出ていかねばならず、結果として、アマ以外の女達からも金を徴収する事ができなくなる。その状態で、無職の状態で生活をするのは心もとなく、いっそ、鹿翁館には行かず、このカードの中の金で生活しながら求職しようか。などと考えていた。


 主任は、俺のそういう表情を読んだのか、

「言っておきますが、カードの中のお金は、正確にはピーヤスではなく、特別な通貨になってるので、交通機関もしくは、鹿翁館内部でしか使用できない仕様になっているそうですよ」

 と、通告した。


 ◧◧◧


『鹿翁館』の建物内にある喫茶店で出された水は美味かった。


 鹿翁館のある場所は、今まで俺が暮らしていた町より、2段下のレイヤー上に有り、外観は、かなり立派な洋館であった。が、内部に入ると、中央棟の2階と3階には、雇用されていない俺では立ち入る事ができず、客人である間は、1階の大広間で歓待を受け、同じ階にある客室で寝泊まりした。

 館の主人である鹿翁は、初日に少しだけ大広間に現れたらしいが、その時の俺は、目の前に並んだ御馳走に食らつき、彼が、何を言ってたのかも、聞かなかった。


 饗宴が終わり、俺は、左翼棟の宿泊所に移された。客室よりはグレードが落ちたが、それでも、今まで暮らしていた寮の部屋とは雲泥の差だった。渡されたカードの中の1万ピーヤス相当の金は、ここに来るまでに、およそ三分の一になり、有難い事に宿泊料こそかからなかったが、飯代はかかった。


 両翼棟の半地下と1階部分には、この館の従業員が稼いだ賃金を使わせる為のレストランやバー、それから遊戯施設があり、俺達もそこを使った。ただ、従業員達は、金を稼いでいたが、俺達は無職だ。金は減るばかりだった。

 

 レストランで出される物の値段は、高くてとても使えないので、俺達は、もっぱら喫茶店にいた。

 水は、おかわり自由で1ピーヤス。パンはサービス価格で4ピーヤスだ。珈琲

 が350ピーヤスな事を考えたら、パンをどれだけ安くしてくれているかが解る。だが、饗宴でさんざっぱら美味い物を食わされた後では、不満は募る。


「まったく。給料が10倍になると聞いて、ここに来たというのに…物価も10倍とは…詐欺に合ったようなものだ。そうは、思わんかね?」


 ウェイターが、デキャンタに入った水とパンをテーブルに置いて、カウンターの奥に帰っていってから、俺の対面に座る男──RM-5A7KLは、ブツブツと文句を言いながら、背もたれから背中を離して、コップに水を注いだ。


「そうですね。まぁ、物価はともかく、不採用だというなら、さっさと、それを言って欲しい。食えるものがパンだけしか無いんじゃあ…流石に…」


 パンはともかく、実は、飲み物が水である事は、今の所、不満は無かった。それは、もちろん、他の飲み物を飲みたい欲求が無いわけじゃあ無かったが、我慢できたのだ。


 町に住んでいた頃、俺が飲む水は塩っ辛かった。塩っ辛い水を使っているのだから、珈琲も紅茶も塩っ辛かった。そして俺も、水は塩っ辛いものだと、いつの間にか思っていた。

 だから、ここに来て初めて雑味の無い真水を飲み、喉がいがらっぽくならない事に感動し、

(そういえば、水とは、味が無いものだった)

 と、思い出したのだ。


「そういえば、『竹取物語』なのだがね。あれは、登場人物の男達が、あまりに腑抜けすぎると思わんかね?」


 RM-5A7KLは、端の方から千切ったパンを持った手を俺の方に突き出して、唐突に話を切り出した。


「腑抜け…ですか」

 俺は、半分に割ったパンを齧って咀嚼していたが、RM-5A7KLが不快に思わないように、口元を手で覆い、それだけ言った。


「うむ。君からの話を聞いた後、貴重な30ピーヤスではあったが、貸本屋で借りてみたのだよ。なんだね。あの5人の公達というのは。実に不甲斐ない」


 RM-5A7KLは、5人の公達の求婚を受けながら、かぐや姫が、自分の欲しい物を持ってきた者と結婚する。と交換条件を出した場面の事を、いたく憤慨していた。


「公達というからには、彼等は貴族だろう? 貴族が、ブルジョワ…しかも、その養女なんぞにへりくだるとは、実に嘆かわしい事ではないか。翁は、三日間、盛大な祝宴をした。と、書いてあったが、これは、サロンを開かせた。と、いう事だろう? つまり、翁は、そういうつもりだったのだ。公達は、社交界での彼女のパトロンになる事を申し出さえすれば、労せず、かぐや姫とベッドインできたのだ」


 俺は、『かぐや姫』の話に詳しい訳では無いが、RM-5A7KLが語っているのは、俺の知ってる話では無いような気がした。


「はあ…そんなもんですかね?」


「そうだとも。まあ、彼等は、それ程、身分の高い貴族では無かったのかもしれん。だから、翁は、売り惜しみ、公達は、求婚したのだろう。だが、腐っても貴族だ。ブルジョワ如きに舐められてはいけない。かぐや姫は、望む物を持ってきた者と結婚する。と、言ったが、これはいけない。これが、翁の出した交換条件と言うのであればまだ良い。だが、かぐや姫自身が言うのは駄目だ。公達も公達だ。このような無礼を言われたならば、唯々諾々と従うのではなく、5人で彼女を犯すべきだったのだ」


「…それは、また」

 俺は、RM-5A7KLの熱に押され、困って耳の裏を掻いた。RM-5A7KLは水を飲みながら、眉間に皺を寄せ、眉尻の下がった俺の顔を見て、キョトンとした顔をした。


「おや。ご同輩だと思っていたが、どうやら君は、でしかした事が無いのかな? まあ、いい。RM-EE03Cにもこの話をしたが、彼は、私の意見に賛同しながらも、ちょっと私の想像を超える話をしてきた。それは、あまりに酷いだろうと思ったが…」


 カラン。

 喫茶店のドアが開いた。


 入ってきたのは、鹿翁の長女のレディであった。赤いハイヒールに紺色に白のラインの入った、タイトな膝上丈のワンピーススーツを着ていた。緩いウェーブのかかった肩甲骨まである黒髪で、切れ長の目に、深紅の口紅が似合う、妖艶な美女である。


 彼女は、真っ直ぐ、俺達の座るテーブルの傍まで来て、ハンドバッグの中から取り出したカードをテーブルの上に置き、それを指先で抑えたままRM-5A7KLの方に滑らせた。


「RM-5A7KL。今夜21時に、大広間に来なさい。…その前に、レストランで、まともな食事も摂っておくように」


 それだけ言うと、彼女は、クルリと背中を向けてドアから出て行った。俺は、彼女が去っていくのを、首を回しながら見送った後、元の位置に戻して、肩から大きく息を吐いた。

 RM-5A7KLを見ると、彼は、カードを両手に持って、顔を紅潮させて小刻みに震えていた。


「……やった。やったぞ。いや、そうだと思ったのだ。この私を差し置いて、あの下品な男が採用される筈は無かったのだ」


 下品な男というのは、RM-EE03Cの事だろう。

 彼は、カードを凝視して、そう呟くと、俺の方に顔を向け、零れんばかりの笑顔を見せた。


「すまないね。恐らく…いや、間違いなく私は、採用されるよ。いや、君には悪いが、やはり、こういうお屋敷には、私ほどの教養ある人物が採用されるべきなんだよ」


「…はぁ」


「ああ、こうしちゃいられない。部屋に帰って、きちんと身だしなみを整えなければ」


 そう言うが早いか、彼は、セカンドバッグに、先刻、貰ったばかりのカードを入れると、足早にドアを出ていった。


 これで、饗宴を共に受け、ほったらかしにされているのは、俺だけになった。


 ◧◧◧


 俺にお呼びがかかったのは、カードの中身も残り僅かとなり、アマや、他の女達から巻き上げて、コツコツと貯めていたピーヤスを、切り崩すか、ここから出るかの瀬戸際だった。


 あの日。RM-5A7KLは、自分こそが採用されるに相応しいと息巻いていたし、俺もなんとなく、そうなのかもしれないと思っていたので、この館を出る決心をしたが、喫茶店を出ようとする俺を、普段は、いるかいないかさえも定かで無いマスターが、

「あの男も、駄目だな」

 と、ポソリと呟いた声が聞こえてしまったせいで、その言葉に、つい希望を持ち、今まで、ずるずると滞在を続けてしまった。


 ギリギリまで待った甲斐があったというべきか、俺は、三人の嬢達から奉仕されるという、夢の様な仕事を手に入れた。

 ただ、その間、俺は結跏趺坐の体勢を取り続け、俺の方からは彼女達に触る事が出来ない事と、彼女達の凄まじい欲望に対応する為、俺は、貰った賃金の半分のピーヤスを、レストランで落とす羽目になった事が不満といえば、不満だった。


 雇用が決まった直後、1回だけ、RM-5A7KLだと思われる人物が、食事しているのを見た。

 元は、恰幅の良い紳士だったが、骨と皮だけの…なんとも、情けないような姿で、痙攣したように震えながらナイフとフォークを持ち、切ったステーキの肉汁をナフキンに散らしながら、ようよう口に運んでいた。


 恐らく彼は、最後の晩餐を摂っていたのであり、あの後、日付変更線が変わったと同時に、魂が消滅したのだろう。

 どうやら彼は、一人の女を大勢で…というのは好んでいたようだが、一人で3人の娘を…というのは、合わなかったようだ。


 ◪


 俺は、遥か昔か、つい最近かは解らないが、兎に角、もう、死んでいる。


 所謂いわゆる、永劫に続くと思えた『地獄』での服役を、振り返れば瞬く間であったと思いながら終えた後、転生の手続きに向かった四大王衆天しだいおうしゅてんで、俺は、転生するのに必要な魂の重量が足りなかった。

 それを補填する物質を買う為に、忉利天とうりてんというレイヤーの町に住み、労働してピーヤスを稼いでいたのだが、このレイヤーで1日存在する為には、1ピーヤス、もしくはそれに相当する己の魂の重量が必要であった。

 つまり、金が無くなると魂が削られ、魂が無くなると消滅するんだそうだ。

 普通に労働していたのでは、存在手数料と日々の生活に必要な金を消費して、転生する為に必要な物質を買う為のピーヤスなど、貯まりようが無いのだ。


 俺が今いるレイヤーは、他化自在天たけじざいてんという。ここでの存在手数料は1日10ピーヤスだ。それでも、俺は以前の賃金の3倍のピーヤスを貯金に回す事ができた。


 ◩


 その日、俺は、三人の嬢達に誘われて、階段を降りて大広間に来た。

 部屋の奥にある壇上の緞帳どんちょうが開いており、そこには、銀色の鱗の様な鎧に身を包んだ、銀灰色の髪の、目も眩む程の美貌の青年が立っていた。


 三人の嬢達は、俺を、壇の前に設えた椅子に座らせると、きゃあきゃあとはしゃぎつつ、壇上の青年に振り返りながら、俺の真後ろに席をつくり、それに座った。青年も、俺を全く無視して、彼女達がそうして座る迄を、優しい表情で見守っていた。


 彼女達の興奮が鎮まり、大広間が静かになると、青年は、ようやく俺を見た。


「RM-29JW1。忉利天においてうぬが搾取していたS番の女達の転生の準備が整った。故に、汝が、女達に支払うべき賠償金の支払いを命じる」


 青年は、そう言うと、右の掌を俺の方に向けた。すると、俺の右手首に装着しているタグが鈍く光った。


「これにて、汝が忉利天で犯した罪はあながったとす。魂を残したは慈悲と知れ………では、の。娘達よ」


「「「は~い♡」」」


 そして、青年──鹿翁は、霧散するように消えた。

 嬢達の、浮かれた声を背中に聞きながら、俺はしばらく呆然としていたが、はっと我に帰った後、急いで、タグを確認した。

 これまで貯めた金の残金は、10ピーヤスであった。


 俺は、嬢達の誰かが言った「シッダールタが御父様ほどの美形だったら良かったのに」という、台詞に被せるように、


「ギャーーーーッッッ!!!」


 と、叫んだ。

 俺の悲鳴で、嬢達は、ピタッと話すのを止めて、俺の方を向いた。


「何よ。五月蠅いわね。折角の気分が台無しだわ」

 そう口火を切ったのは、次女の嬢である。虹色の髪をツインテールにしたアバンギャルドな一面もあるが、顔立ちは、目がぱっちりとして大きく、オレンジ色のサクランボの様な唇が、なんとも可愛い嬢だ。


「明日は、お仕事でしょー。存在手数料も残ってるんだしー。問題ないっしょ。あ~ん。お父様って、やっさしー♡」

 三女の嬢は、次女と良く似ているが、金髪のストレートヘアに、唇は桃色だった。一見、清純そうに見えるが、俺に奉仕をする際、苦痛を盛り込んでくるのは、こいつだった。


「な…な…何故?」

 俺の耳に、嬢達の言葉は入って来なかった。俺は、永い長い間、忉利天で真面目に働いてきた。アマ達の金を奪うようになったのは、ここ最近の事で、それまでに、補填物質を買う為に必要な金額の半分ぐらいは貯めていた。


「何故って、S-PEB0Sから、被害届が提出したからよ」


 S-PEB0Sとは、人事のアマの事である。


 長女の嬢は、俺にも解るように丁寧に説明してくれた。


 先ず、S-PEB0Sは、俺が犯した彼女への強姦と暴行、そして金銭の搾取についての被害届を出した。そして、調査をすると、S-PEB0S以外に8人の被害者がいる事が発覚した。しかし、S-PEB0S以外のS番の女達は、俺からの暴行を受けている事を、調査が始まるまで誰にも相談しなかったので、そういう性癖──合意の行為の可能性も考慮され、8人の女達に俺が支払う賠償金は、最初の強姦に対する慰謝料と、搾取したピーヤスの返還に留められた。


 さて、俺がその賠償金を支払うのは、被害者の女達全員が転生する時となる。S-PEB0Sは、俺からの賠償金だけで、充分に転生できるだけのピーヤスを手に入れたが、他の8人は、彼女達がそれまでに貯めていたピーヤスを集めても、その費用に足りなかった。そこで、彼女達は、S-PEB0Sの貯めていたピーヤスと、俺がここに来てからも、彼女達が労働を続けて得たピーヤス。そして、俺が貯めていた貯金額の残金から、S-PEB0Sに対する『転生遅延金』の名目で金を出させた。と言うのである。


 ちなみにだが、共に饗宴を受けた者達が、雇用契約を結ばれる順番は、その者が、前の職場忉利天で犯した罪が、非道であればある程、早かったそうだ。俺は、今回饗宴を受けた者の内、一番ヘボい罪人だという事になる。そして、本当なら、被害者の女達の転生準備が整ってから結ばれる雇用契約も、俺のカードの残金が無くなり、逃亡する事を防ぐ為だった。

 つまり、この館に来なければ、俺の罪は、罰せられる事は無かったのだ。


「お解りいただけました?」

 長女の嬢は、にっこりと唇の端を持ち上げて笑って言った。


「明日のお仕事で、7日分のお給料をが手に入るんでしょう。存在手数料は、ちゃんと支払えるじゃない。良かったわね。魂を削られないですむわよ」


「あ、でも、今日はもう、飲まず食わずだねー。空腹で、私達の性技を受けて、だいじょーぶかなー?」


「大丈夫でしょ。忉利天では、戒めとして、前世の彼の罪によって流された涙を飲み続けていたくせに、反省もせず、罪を犯した魂だもの」


 彼女達は、俺の今の状態を知っていながらも、手心を加えてくれる気は皆無の様だった。それどころか、明日は、今まで以上に、淫らに俺を昂らせる気力で満ち溢れているようだった。


「何故…こんな…俺は、ただ、転生したいだけだ…」

 そう言って俺は、床に両膝をついてしゃがみ込み、肩を落として、両掌もだらりと床について、俯いた。


「……貴方、どうしてここが『鹿翁館』っていうのか知ってるの?」


 長女の嬢が、唐突に聞いてきた。次女と三女は、長女の後ろでくすくすと笑っている。


「え?………さぁ。解らない」

 俺は、首を上げて、答えた。

 あの青年が、彼女達の父──鹿翁だというのなら、鹿のじじぃで無い事は解った。では、何故、あの青年を鹿翁というのかなど、解りようもなかった。


「御父様は、マーラや波旬はじゅんといった御名前もお持ちだけど、この他化自在天にいる時は、その御名前を名乗られるわ。でも、その御名前をそのまま冠するのは、『つまらない』と仰られたの」


 俺は、長女の嬢が話しているのを、ただボーーっと聞いていた。


「『ロクオウ』…それは、『第六天魔王』の略称よ」


 注:

 RM=Rape Murderer=強姦殺人者

 S=Suicide=自殺者



 完

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