それでも心臓は動く

春嵐

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 どんなに苦しくても。どんなにつらくても。息が絶え絶えでも。


 それでも心臓は動く。


「はい。もう大丈夫ですよ。ここは病院です。分かりますか」


 ストレッチャーを運びながら、患者の目と手、そして心を見つめる。


「引き継ぎます。先生。よろしくおねがいします」


「搬送ごくろうさまでした。病床数はしんどいですが、今日一日はうちの病院で搬送を受け持ちますんで」


「ありがとうございます。移動します。せえのっ」


 病院のストレッチャーに移動させて、自分の仕事は終わる。


「よろしくおねがいします」


 最後に、もういちど担当されるお医者さんに深々とお辞儀をして。


「ふう」


 ため息と一緒に。また、心が、すり減るのを感じた。


 青い搬送車に戻る。


 人口に比べて、救急搬送の率がとても多い街だった。そして、それは同時に病院をたらい回しにされる患者の数の多さにも繋がっている。

 それを午後のワイドショーに、魔の街、という題名で大々的に報道されてしまった。


 焦った街の政治家が批判回避のために作ったのが、この部署。人員は、私。あと運転手がひとり。それだけ。


 管轄はレスキューや病院ではなく、警察管区。つまり、人を救うための部署ではない。だから、増員もない。たった二人だけの、部署。


 しにそうな人間を、たいした処置もせず、とりあえず空いている病院に送り届けるだけの仕事。


 届けるだけ。助かるかどうかは、度外視されていた。そして、だからこそ私が抜擢されている。


 昔から、人の目と手、そして心の中を見ればその人がしにそうかどうかが分かる体質だった。目と手は見るか触るかすればいい。心の中は、ほんの少しでも会話することで見える。


 この体質を使って、占い師をやっていた。目と手と心さえ見えれば、目の前の人の精神が分かる。しにそうな人には病院を紹介し、しななそうな人はとりあえず勇気づける。それだけ。


 占いといっても色々あって、私はアドバイザーの資格を持っているので完全に個人経営だった。


 それを、政治家につけこまれた。


 きっと、アドバイザー資格を持っている人間なら誰でもよかったんだろう。秘書が来て、判子押してサインしろと迫られて、仕方なく署名捺印して、今に至る。


「つかれたなあ」


 届ける人間。みんなみんな、しにそう、だった。身体的には問題ない。それでも、私には分かる。目を、手を、心を見れば。


「こんなにみんな、しにそうなのに」


 たぶん、誰も助からない。病気の根源は、身体ではなく精神だった。だから、どうしようもない。


 さっき運んだ若い女性は、いきることにつかれたのだろう。目をみて、手を握って、丁寧に会話をして。状態を把握して、その上で丁寧に病院へ運んだ。それでも、助かるかどうか分からない。


「人がしぬ姿だけ見せられて」


 それで、普通でいられるほうが。


 おかしい。


「つらいですね」


 運転手。


「ほんとですよ」


 彼だけが、唯一の救いだった。


 運転手として異動してきたのが、彼だった。


 彼は、占いにときどきやってくる。運命の相手を、探しに来たとかで。


 彼ほど純粋で、惹かれる男性はいなかった。


 でも、彼は私を占い師としか見ていない。そんなときに、この部署ができた。ちょうど彼も警察内部で異動願いを出していたらしく、運転手として抜擢されている。


「はい。飲み物です」


 彼が渡してくる、水筒。


「ありがとう」


 紫蘇ジュース。ゆっくり、飲んだ。


「おいしい」


「よかったです」


 彼の、手作り。


 こんなに出来る彼なのに、なぜ世の女性は、彼を見初めないのか。


「ありがとうね、いつも」


「いえ」


 私に、この体質がなければ。占い師じゃなくて、普通の仕事をしていれば。

 彼に告白して、付き合って、普通の人生を送れたかもしれないのに。


「考えても仕方ないや」


 これまでずっと他人の精神を見抜く力と共に生きてきたのだから、今更、こんなの必要なかったって、捨てるわけにもいかない。


「大丈夫ですか。少し休んだほうが」


「いいえ。このまま待機して、コールを待ちます」


 せめて、彼といられるこの時間だけでも、ありがたいと思うことにしよう。


 そのあと、三人ほど病院に届けた。


 中年の男性。仕事途中で倒れた。意思確認もできるし、身体も問題なし。仕事のしすぎかな。病院に運んだけど、心が折れているから、助からなさそう。


 初老の女性。貧血のような症状。意思確認もできるし、身体も問題なし。気丈にひとりで振る舞っていたのが、よくないのかもしれない。仕事中の旦那さんと息子さんに連絡の上、搬送。助かるかは微妙。


 5才の子供。間違って救急要請。平謝りする両親をとりあえず遠ざけて話を聞いてみたら、どうやら小銭を飲み込んだようなので搬送。飲み込んだ小銭の量が多いらしいので、まずいことになる確率大。


 それで、業務は終わった。9時に仕事をはじめて、17時に仕事が終わる。


 だれひとり、助けられなかった。


 徒労感だけが残る。


 部屋には、ここ数日帰っていない。ずっと、与えられた部署室の一角に居座っている。シャワーも寝袋もあるし。なにより、彼との距離が、近い。


 こうやって、近くにいれば、彼の異常にもすぐ気付くことができる。


 数日前から、彼の精神が、ちょっと気にかかっていた。


 しにそうな人と、似たような、それでいて少し違うような兆候が出ている。何か、切迫したものが、迫っているような精神状態。


 彼の精神に不調を来すことがあってはならない。これは単純に、自分自身への責務。同じ仕事をしている人間なんだから、助けるのは普通のこと。そう言い聞かせて、ざわつこうとする心を抑え込んだ。


 彼にはきっと、彼に合った運命の相手がいる。そしてそれは、私ではない。


 こんな体質の私には、普通の人生は送れない。そう言い聞かせて、寝袋にもぐりこんだ。


 少しだけ寝て、すぐ起きる。


 シャワー浴びないと。


 目を擦りながら扉を開ける。


 彼がいた。目。手。


「あっ」


「あっごめんなさい」


 会話。


 扉を閉めた。


「おかしいな」


 そんなに精神に不調を来すような感じではなかった。もしかして、私の勘違いだったとか。つかれてただけか。だといいな。


 とにかく、彼が大丈夫なら安心だ。


 そう思ってから、シャワーを浴びている彼に容赦なく視線を注いだことを、人として恥じた。しかも、見たのは目と手だけ。会話も、ごめんなさいのみ。


「なにやってんだろ、私」


 まだ、眠いのかもしれない。


 扉を開けて、彼が慌てて出てくる。


「どうぞ」


 何を。


「あ、シャワーか」


「僕は少し席を離れます。ごはん、まだですよね」


「うん」


「作ってきます」


「誰の?」


「二人分、ですが」


「あ、ああ。そっか。作ってくれるの。ありがとう」


 相当つかれているらしい。コミュニケーションすら、うまくいかなくなっている。


 シャワー。


 鏡に映った、自分の姿。


 目。


 手。


「しにそうかも」


 自分自身とは会話ができないので、自分の精神状態は、見えない。


 シャワーを浴び終わって、服を着て。寝袋にもぐりこもうとして。


 倒れた。


 身体が。


 動かない。


 ぼうっとする。


 惜しかったな。


 あともう少しだけ倒れずにがんばったら、寝袋のなかで、しねたのに。


 床。


 冷たい。


 どうせなら寝袋でしにたかったなあ。


 やっぱり、限界だったんだ。


 毎日、精神がすり減ってしまった人を運ぶだけ運んで、無視するなんて。私には、できなかった。同じぐらい、私の精神も、すり減った。


 彼のことだけが、心残り。


 私がいなくなったら、患者の搬送判断や病院に送るかどうかの判別までやらないといけなくなっちゃう。


 それに。


 私のしたいを、彼が最初に発見する。


 ごめんね。


 なにもできなくて。


 あなたのことが気になってたけど。


 私は、ほら。見えちゃうから。人の精神が。普通じゃないんだ。ごめんね。


 最後の最後まで、なに考えてるんだろう。私。


 もうやめよう。


 つかれた。


 もう休もう。


 目を閉じた。


 世界が。


 くるっと、回った。


 あれ。


 回転した。なんで。


 目を、開けた。


 彼の顔。


 あ。ごめんね。最後の最後まで、だめなやつで。ごめん。


 謝ろうとしたけど、声が出ないし、口もうまく動かなかった。


「しっかりしてくださいっ」


「めん、ね。ごめ。ん。ね」


「喋らないで。すぐに救急車を呼びます」


「ご、めん。ごめん、ね」


「謝らないでくださいっ」


 暖かい。


 なんでだろう。


 ほっぺた。


 涙。


 彼が。泣いてる。


「なん、で」


「もしもし。救急要請です。こちらは警察の官舎。対象者は20代女性。はい。お願いします。青搬送の彼女です」


 いいよ。


 電話しないでも。


 たぶん。たらい回しだから。


「わかりました。すぐに。はい。お願いします」


 たらい回しが多いせいで、私たちがいるんだから。


「意識を強く持ってください。あなたは大丈夫。必ず助かる。今から俺が、あなたを病院に連れていきます」


 彼。一人称は、俺、だったっけか。


「あなただけは。しなせない。絶対に」


「ごめんね」


 ようやく、口が、はっきりと発話した。


「謝るなっ」


 暖かさが、全身を覆った。


 彼が、私を運んでいる。


 車の後ろに入れられそうになったので、がんばって口を動かした。


「助手、席」


「なんですか?」


 彼。こちらに耳を近づける。涙でぐしゃぐしゃになった、顔。


「助手席が、いい」


「だめです。後ろのストレッチャーに」


「助手席が、いい、の。あなたの、隣、で、しにたい」


 本心だった。


 せめて、あなたの隣でしにたい。


「だめだっ」


「おね、がい。好きな人、の。となり、で。しなせて」


 好きな人。


 好きだった。


 そう。


 彼のことが好き。


 好きだったのに。


 私は。しぬ。


 彼。


 無言で、私を助手席に。


 車の景色。いつもの、席。シートベルト。


 ありがとうと口に出す力は、残ってなかった。


 意識だけが、明瞭。そして身体は、動かない。


 彼のほうを見ていたかったけど、もう、首が動かなかった。


 ごめんね。


 ごめん。


「助手席に乗せたのは、あなたをしなせるためじゃない」


 彼の声。よく聞こえる。


 なにもかもが、クリアになってきた。


「最も速く、あなたを運ぶためです。あなたのそばにいるために。俺は」


 彼。


 もう、泣いてないのだろうか。声は、すごくしっかりしてる。


「俺は。ずっと、あなたのことが好きでした」


 なぜ。


「占いなんて信じてなくて。でも、しぬ前に一度でいいから、運命の相手だと思えるような誰かと恋をしてみたいって、思って。それで」


 それで占いに来たのか。


「それであなたに出会いました。占いなんて信じてなかった。でも、運命の出会いだと、俺は、思いました」


 そっか。


「あなたが新規の部署に配属されて、一緒に働くことになって。やっぱり運命なんだって、思いました。俺は」


 ごめんね。こんな人間で。


「俺は。あなたを生かすために、ここにいるんです。あなたをしなせるためなんかじゃない」


「うう」


「大丈夫です。助かります。おかしいと思って、俺も官舎に泊まってたんです。症状が出てからまだ時間が経ってない。大丈夫。大丈夫だから」


「うぐ」


「しなないでくれ。頼む。頼むから」


「ごめ、ん、なさ、い」


「しぬなっ」


 生きたい。


 今ほど、生きたいと思ったことはなかった。


 しぬ間際なのに。一秒でも長く、あなたの隣にいたい。


 しぬまでの、一秒。ほんの一秒でいい。


 私は。


 生きていたい。


 あなたのそばで。


 どんなに苦しくても。どんなにつらくても。息が絶え絶えでも。


 それでも心臓は動く。


 ほんの少しだけ、あとちょっとだけ、彼の隣にいるために。






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