刑事の仕事 (「グルーヴのあとで」スピンオフ)

春嵐

虎と龍と

 刑事の仕事は、75勝42敗。勤務7年目。


 事件の多さと、それを潰す力が、明らかに不均衡だった。


 地方にしては、異様なほどに浄化された警察組織。街を裏側から統括する人間がいて、その人間が警察を綺麗にしていた。


「どうも」


 目の前。その裏側の、人間。


 女。整った顔と、華奢な身体。しかし、その中身は虎。目の色が、けもの。


「警察組織は今日も浄化されていて綺麗です」


「そう」


 決められていたわけではないが、月に一度は、こうやって直に顔を合わせて喋る。昼だったので、虎の部屋のなか。


 こわい。


 気を抜くと、くいころされそうな感じがする。言葉では言い表せない。とにかく、目の前の相手は自分よりも強いということだけが、肌を、心を刺す。一刻も早くここを去るべきだという信号が、脳を通して全身に伝わっている。


「立つな」


 立ち上がろうとして、言われた。


 立てない。


 ころされるかな。いま殴りかかられたら、防御姿勢とれないな。そんなことを、なんとなく考えた。冷静すぎる自分の精神が、身体を凍りつかせてしまう。震えも起こらないほどの、きょうふ。


 扉が、開く。


「買ってきたよ」


 誰か来た。


 虎の目が、移動する。


「ラーメンにしよっか。あれ、彼は誰?」


 誰だ。見知らぬ男。記憶にも、ない。


「警察のひと。ときどき来て、街のことを報告してくれるの。あなたを紹介しておいたほうが良いかなと思って」


「あ、そうなんですか。どうも。彼女の、恋人です」


 差し出された手を、握った。


 龍がいる。


 虎の意中の相手は、龍かよ。


 どうなってるんだよ、この街は。


「あんまり邪魔しあっちゃ、だめよ」


「ええ。心得てます」


「僕はまだ街に来て慣れてないので、ぜひよろしく」


「わかりました。では、ここで」


 耐えきれなくなって、外に出た。


「なんなんだ、この街は」


 扉から出て、すぐに崩れ落ちた。


 部屋のなか。会話は、聞こえない。防音設備があるんだろう。前は、なかった気がする。


 それにしても、あの男。虎と同じかそれ以上の、力。体幹や腕の力ではない。精神の力。圧倒的だった。


「まいったなあ、ほんとに」


 鋭敏になった精神は、簡単には引いていかない。気配を一瞬早く察知して、扉から飛び退る。


「あ、あれ」


 扉と壁の間に、挟まる。受け身をとって、なんとかダメージを最小限に抑えた。


「ごめんなさい。ここ、引っ掛かりますよね。俺もでした」


 龍。


 こちらを見つめている。


「あ、ああいえ。ごめんなさい」


 差し出された手を、掴んだ。立ち上がる。


「あの」


 龍の身体から、気配が、消えている。この男。あれだけの気配を、どうやって消しているのか。


万鍋まなべ 典主つかさ。27才。勤務七年目。大学を早めに卒業して、この街で刑事か。実績は75勝42敗」


「はい」


 自分の経歴。調べあげられている。特に、75勝42敗は、自分だけが数えていることだった。


「実質全勝か」


「なんの、ことでしょうか?」


「とぼけなくていい。刑事としては75勝、裏の顔として42勝。117勝だな。よくやるものだ」


 ばれている。刑事以外の顔も。


 しぬかもしれない。


「俺が、おまえをころすみたいな顔をしてるな。ころしはしない」


「信じられないっすね」


「彼女がラーメンを焦がしてしまうとまずいからな。手短に伝える」


「はい」


「お前はいまから、俺の代わりになる」


 代わり。


「地方を回り、治安や情勢を調査するのが仕事だ。俺と同じなら、運命の相手や親友の類いができるまでその仕事は続く」


「俺が?」


「刑事ではなくなるが、それよりも重くて張り合いのあるものが、お前を待っているぞ」


「信じられないですね。何を根拠に」


「まあいい。街の外側の脅威排除、ご苦労だった。もう虎に睨まれなくていいぞ」


「虎?」


 キッチンのほうから、声。


 ドアが開きっぱなしなのに、いまはじめて、気付いた。


「虎だって思ってますよ。あなたのこと。僕は龍だそうで」


 思考が顔に出てるのかもしれない。それにしても、考えていることが、読み取れるのか。


 こんなやつらのいるところに、これから俺は、行くのか。


「龍のほうが格好よくない?」


「龍は実在しませんから。虎のほうがリアリティあっていいじゃないですか」


「がおぅ」


 生きた心地がしない。


「あ、ねえ、次どうやるの?」


「待っててください」


 龍が、こちらを向く。


「ようこそ。こちら側へ。たのしいぞ?」


 龍が、いなくなる。扉がしまる。


 もういちど、腰からくだけ落ちた。しばらくは立てないだろう。


「何が、こちら側だよ」


 マンションの通路に、寝そべった。


「虎と龍と、同じ場所か」


 全国を回る仕事と、言ったか。


 自分の、口元を、触る。


 笑っていた。


「へへ」


 これからの仕事を、楽しみだと思っているらしい。


 もう、刑事ではない。


「街を出るか」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る