白狼

奈々星

第1話

僕の名前は瀬戸 優輔、28歳。

僕には二つ下の瑞希という妻がいる。


そして彼女のお腹には命が宿っている。


実は彼女には内緒でお腹の子の名前を決めていた。


男の子なら創馬、女の子なら遥香。


ただ僕が好きな名前。

創馬ならかっこいいし遥香なら可愛い

それだけの理由で決めた。

あとは彼女にも相談をして了承を貰うだけだが恐らく彼女はくれるだろう。


彼女は現在9週目。

今日は2人で定期検診に行く日だ。


電車ではこれまでに撮ったエコー写真を見ながら今度はどれくらい大きくなっているだろうか、元気に動いてくれるだろうかなどと

我が子への期待で胸をふくらませていた。


病院に着き、検診の順番が回ってくる。


「うん…瀬戸さん分かるかなこれ…」

先生の不穏な問いかけに僕達の間に緊張が走る。


9週目というと頭と体が何となく認識できる時期だが、その異変は僕たち夫婦にも分かるほど顕著なものだった。


僕は電車で見た前回のエコー写真を思い出す。


「変わってない…」

瑞希は声にならない声で嘆いていた。

代わりに僕が先生との会話を円滑に進めるべくそう声を発する。


「心拍が弱いね、あとすごく小さい。

これは6週目くらいの大きさだね。」


瑞希はまだ現実を受け止めきれていない。

自分の中の命の異常事態なのだから不安も計り知れない。

僕が先生と会話を続ける。


「というと…」


「うん…流産の可能性が高いね…」


今度は瑞希が少し大きい声を出した。

「少し小さいとは言われましたけど、

まだ成長過程だから仕方ないことではないんですか、今もまだその途中なんじゃ…」


感情が高ぶっていた瑞希を先生は流産率の説明などで抑えた。

お母さんのせいでは無い、

妊娠出来ない体質の人もいる、

今回で妊娠できるからだであるとわかったんだから前を向こう。


先生の励ましの言葉を聞いた彼女は椅子にへたりこんだ。


僕は瑞希の性格が積極的な方じゃないのを知っていたから泣き出して会話が続けられなくなってしまうのではないかと思ったが

彼女は下を向いて歯を食いしばり

泣くのを我慢していた。


瑞希は強い。


その時僕は今まで以上に彼女の精神の強さを

体感した。


普通の人なら泣いてもおかしくない。

僕らの部屋では「流産」という悲しいワード

が出ているのに隣の部屋では、順調に子どもが成長をしたのだろう、小さく歓声が上がったりしている。


男の僕の数億倍は辛い状況だろうと言うのに

彼女は歯を食いしばって泣くのをこらえていた。


その日はそれきりで病院を出た。


電車で大勢の目に触れるのも今はなんだか

はばかられる気がしたからタクシーで帰った。


家に着く頃にはもう夜だった。

彼女は車内でも泣いたりはしなかった。


家に着くと彼女は1人にして欲しいと言い残し

自分の部屋に入っていった。


女の子の「1人にして欲しい」は本当に「そばにいて欲しい」という解釈でいいのだろうかなどと中学生のような葛藤をしていたが、

冷静になると答えはすぐに出た。


僕は彼女の部屋に、ノックをして入る。


「瑞希…」


解き放たれたカーテンのそばで、

月の光に照らされた彼女は静かに涙を流していた。


僕は彼女の隣に腰かけ声をかける。


「こんな時に言うのもあれなんだけどさ、

俺、名前考えてたんだ。赤ちゃんの。」


彼女は声は出さず、僕によりかかった。


「男の子なら…縁、女の子なら…結

結構居そうな名前なんだけど真剣に考えてたんだ。どっちも"ご縁""つながり"みたいな意味があってさ、今の僕らにピッタリだと思わないか。」


そこまで言い終えた途端、彼女の静寂は破られた。目をおおっていた両手も僕の腰に巻いて

夜空を見ながら声を上げて泣く。


狼男のような姿かもしれない。

それでも彼女の強さを目の当たりにしてきた僕にはそれがとても綺麗に見えた。


人前では決して前のめりになったりしない、

泣いたり、怒ったりすることも無い。


大好きな彼女に決めていた赤ちゃんの名前を

すり替えて伝えたことは申し訳ないので代わりに


今の彼女を何よりも

大切に、大切に、慎重に、慎重に


抱きしめた。

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白狼 奈々星 @miyamotominesota

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