22:グレイファントム

 戦いの口火を切ったのはユウだった。

 右手に持った水の剣を構えるわけでもなく、まるで散歩でもするかのようにモンドとの距離を詰めていく。


 それは明らかに挑発だった。


 正面から完全に無防備で歩いてくる敵。

 まさかそんな好機を見逃すモンドではない。


 彼は様子見を止めて地面を蹴ると、同時に右手の剣を振り下ろした。

 水の剣の残った刃でそれを受け止めようと構えたユウ。


 ……ここまではモンドの想定の範囲内である。

 彼の経験だと、ユウぐらいの体格の相手ならば例え防御したとしても盾や腕ごとぶった斬れるはずだった。


 事態が想定の外へと出たのはここからだ。


 肩から入って心臓へと剣が到達する感触を期待したモンド。

 しかし直後に彼の手に伝わったのは、肉でも骨でもなく、これまでにない奇妙な感覚だった。


「――?!」


 まるでしなびた人参を切っているような感触。

 モンドの本能がイメージしたのはそれである。


 そしてユウの剣を叩き割ってやるつもりで振り下ろされたモンドの剣は刃の半分以上を失い、空を切った。


 勢い余って天井に深く突き刺さった飛んで行った剣先。


(なんだ今のは?!)


 状況を理解しようとしたモンドは、自分の背中に冷や汗が流れていることに気が付いた。

 理性よりも先に本能が事態の異常性を認識している。


 しかし敵から距離を取ろうという考えが頭を過ぎるよりも先に、一歩踏み込んだユウの掌底が彼を襲った。


「ぐっ?!」


 再び起こった予想外。

 モンドは吹き飛ばされてそのまま背後の壁に叩きつけられた。


(なんだ?! 今度は何の魔法だ?!)


 接触面の広さ故に内臓への攻撃を得意とする掌底で、ここまで大きく吹き飛ばれた経験はない。

 さらに言及するならダメージも抜かりなく大きいではないか。


 モンドはユウが何かの魔法を使っていると即座に判断した。


 何か理解できない現象が起こればまず最初に魔法の使用を疑う。

 それがこの世界における戦闘の鉄則だ。


 が、それが何の魔法なのかはもちろん、先ほどのステラのように使っている痕跡すら、モンドは見つけることができなかった。

 焦りの風が彼の背後を這い上がっていく。


「どうした? もっと遅いと思ったか? それとも、その貧相なマジックアイテムが守ってくれるとでも思ったか?」


 ユウの声は明らかに嘲笑交じりだった。 

 腹部を押さえつけながら睨みつけるモンド。


 貧相と言われたのはこの世界でも最先端の魔法工学で作られた防具である。

 確かに重装型の魔法防具に比べれば防御能力は低いが、それでも魔力を纏っていない並の鎧よりはよほど上だ。


 それを笑われたとなれば心中穏やかではいられない。

 しかしモンドは何も言い返せずに黙ってユウの言葉を聞いていた。


 言い返さないのではない、言い返せないのだ。


 どうやら内臓の損傷はかなり深刻らしく、彼の口からは血が流れている。 

 これでは治癒魔法を使おうにも肝心の詠唱ができそうにない。


「ああ、この世界じゃ技の名前を叫ばないといけないんだったか? それじゃあ今の攻撃は……。そうだな、ファーストストライクとでも名付けようか」


「――?! お前……、なぜそれを……?」


 モンドの顔から血の気が引いた。


 この世界で名前を言う必要があるのはあくまでも魔法を使う時だけだ。

 しかし今のモンドにそんなことを考える余裕はない。


「どうした? この名前だと何か支障があるのか? んん?」


 再び無防備のままモンドに近づいたユウ。

 彼はモンドの前でしゃがむと、耳元でそう囁いた。


 ……これではいったいどちらが悪役かわからない。


「まあそんなわけはないよなぁ? ”福音持ち”のモンドくん?」


「き、貴様ぁ……」


 距離は隣接。

 反撃の機会を求めたモンドだったが、ダメージからの回復が遅く、体は彼の意思に反して動かない。


 ユウは指先で水の剣をコマのように回転させながら、動けないモンドに背を向けた。

 

 ……余裕だ。 

 モンドに攻撃される可能性など一切考えていないかのようにすら見える。


「そういえば、お前の”福音”はなんて名前だったかな? 確か……。ああ、そうだ! ファーストストライクだ!」


 ユウは数歩離れると、わざとらしい素振りで振り返った。


「いや悪かった! 名前が被ってたなぁ!」


 モンドは愕然とした。


「貴様……、どうして……、俺の”福音”の名を知っている?」


 彼とて、自分の能力を分析される可能性は想定している。

 実際、戦った相手が断片的な情報から”ファーストストライク”がどういう能力なのかを推測することは可能だ。


 だが、能力名となれば話が違う。

 モンドの能力名が”ファーストストライク”であることを知っているのは女神教でも極々一部の者達だけのはずだった。


 モンドはそこでふと気が付いた。


「いや待て……。お前……、どうして俺の名前まで知ってるんだ」


「ふっふっふ。さあ、なんでだろうなぁ?」


 ユウが彼の名を知っているのは最初のループで名乗りあったからだが、今のモンドはそのことを知らない。

 モンドの表情には恐怖の色が差し込み始めていた。


 再び背後を見せたユウに気が付かれないように、ゆっくりと立ち上がったモンド。

 傷が治ったわけではないが、少し動ける程度には痛みが引いてきている。


(危険だ、こいつは……、危険だ! 女神様の仰る通りだ! 一刻も早く殺さなければ!)


 モンドは静かに息を吸うと、ユウに向かって地面を蹴った。

 手に持った剣は既に刃が無いが、握りこめばナックルとして拳の威力を上げる役目くらいは十分に果たしてくれる。


 これまで何度も経験してきた、必殺の距離。


 モンドの拳がユウの後頭部に襲い掛かった。

 残された力の全てを振り絞っての、渾身の一撃だった。


「ああ、そうだ。そういえば――。」


「――?!」


 ユウは振り向きざまに一閃した。

 

 そこに一切の緊張はない。

 モンドの動きを微塵も見ていないというのに、何の躊躇いもない攻撃がモンドを切り裂いた。


「まだ俺が名乗ってなかったな。」


 空を切った拳の感触を確かめる前に、モンドの意識はもう吹き飛んでいた。

 胴体を斬られ、そのまま惰性で数歩をおぼつかなく歩き、そして崩れ落ちる巨体。


 再び振り向いたユウはそれをゆっくりと見下ろした。


「グレイファントムだ。非礼の詫び代わりに……、今回は生かしといてやるよ。」


 敗者を見下ろすその口元は、まるで悪意の化身のように嗤っていた。

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