16:決定的な異変
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……。」
昼過ぎ。
俺は再びアルトバの街に到着した。
ステラに会いたい一心でずっと走りっぱなしだったので思ったよりも早い到着だ。
休んだのはアルドに貰った携帯食を食べる時だけだったから流石に疲れた。
体中から汗が噴き出してくるし、呼吸が苦しい。
俺はアルドに貰った魔法袋から水を取り出して飲み干した。
「……ふう。」
ステラと遭遇できるのは今日の夕方。
時間にはまだ余裕がある。
(モフモフしたい……。)
剣と魔法袋はアルドに貰ったからいいとして、またエニグマをモフモフしたい。
この時間だと前回は一緒にデブウサギを狩ってたはずだから、俺と出会ってない場合のダーザイン達がどこで何をしているかはわからない。
とりあえず、俺はダーザイン達の泊まっている宿屋に向かうことにした。
冒険者ギルドの前を通るついでに中を少し覗いてみたが、ダーザイン達の姿はなかった。
ついでに防具屋を覗いたけど、こっちもステラ達の姿はない。
内心で少しがっかりしながら宿屋へ向かう俺。
「すいませーん。」
「いらっしゃい」
「ここにダーザインって人が泊まってませんか?」
「ダーザイン? ……ああ、それなら朝早くに出発していったよ」
「え?! 出発した? どこに?!」
「さあねぇ。他の国に行くって言ってたけど」
「他の国……。」
まさかの事態に俺は狼狽した。
そして同時に理解した。
前回と今回の違いは俺がいるかどうかだ。
ということはつまり、ダーザイン達は俺のためにわざわざこの街に留まってくれていたということになる。
「なんてこった。」
俺は頭を抱えた。
もうエニグマをモフモフできないのかと落ち込みながら宿屋を出た。
ダーザインと会えないのは……。
まあいいや。
(仕方ない、防具屋の前でステラを待つか……。)
俺はさっき通ったばかりの道を戻ってステラ達が来るのを待つことにした。
やることがないので目の前を歩いていく人々を観察しながら時間を潰す。
まだ空が赤く染まる時間には程遠い。
屋根の上には金色の蝶が暇そうに止まっていた。
森からこの街まで走ってきたこともあって足が痛い。
……これは明日、筋肉痛確定だな。
俺は少し楽になろうとしてしゃがみこんだ。
壁に背を預けて体勢を安定させてからおもむろに顔を上げると、ちょうど視線の先にいたステラと目が合った。
「……え?」
思っていたよりも早いタイミング、そして予想外のタイミングでの遭遇だった。
ステラの目が大きく見開かれるのが見える
何か呟いたみたいだがここからじゃ聞こえない。
その呟きを聞いたリアとラプラスが足を止めてステラを見るのと、彼女が俺に向かって走り始めるのはほぼ同時だった。
「あっ、あのっ!」
「はい?」
「えっと、その……、おおお、お茶しませんか?!」
前回同様、苦し紛れに突然の逆ナンだ。
ステラは顔を真っ赤にしている。
冷静に考えてみるとステラは貴族のお嬢様なわけだから、たぶん逆ナンなんて初めてのはずだ。
……これはあれか?
もしかしてこの世界のセンス的レベルだと俺はすごいイケメンだったりするのか?
たまにあるよな、そういうラノベ――、もとい小説。
「いいですけど……。でも俺お金持ってませんよ?」
俺は初対面の体裁は崩さないように注意しながら答えた。
ステラの後ろからリアとラプラスが追い付いてきた。
「待て、ステラ」
リアが俺とステラの間に割って入る。
「私の友人が急に失礼した。少し話したいんだが、その店でどうだ? 私が出そう」
リアが近くの店を指差した。
どうやら俺が金を持っていないと言ったのが聞こえていたらしい。
前回とは違って軽食メインの店みたいだ。
ちょっとオサレで気が引ける
「まあ、奢ってもらえるなら。」
……わざとらしくないよな?
本当は奢ってもらえなくても喜んでついていくんだけど、バレてないよな?。
「では行こう」
店の中は思っていた通り喫茶店とかそんな感じだった。
案内されたのは一番奥にある丸いテーブルだ。
俺の正面にリア、左側にステラ、右側にラプラスが座った。
「何か頼むか?」
リアがメニュー表を俺に差し出してきた。
「じゃあ……。チョコレートケーキで。あとコーヒーも。」
甘いものが食べたかったのでデザートを頼むことにした。
「私は苺ショートと紅茶がいいかな」
「私はモンブランとコーヒーにしよう。ラプラスはどうする?」
「……では僕もリア様と同じものをお願いします」
注文が決まるとラプラスが店員に全員分の注文を伝えた。
その間、ステラはチラチラとこちらを見ている。
やっぱりかわいい。
ストライクゾーンど真ん中もいいところだ。
「さて、と。」
リアがわざとらしく咳をした。
きっと仕切り直しという意味だろう。
「まずは急に声かけたことを詫びよう。私はリア=レッドノート、こちらは私の友人のステラ、こっちが従者のラプラスだ」
「スススス、ステラ=ハートです、よろしく!」
「ラプラスです」
ステラはすごい緊張している。
おかげで逆に見ているこっちは冷静になってしまうぐらいだ。
やっぱりステラはあれか? 俺にホの字な感じなのか?
安心してくれ、俺もだ。
「ユウ=トオタケです。……それで、一体俺に何の用が?」
何の用かなんてわかりきってる。
知らないふりをするのも大変だ。
「そうだな……。短刀直入に言おう。うちで従者として働く気はないか?」
「うーん。金額次第かな。」
俺は以前のダーザイン達のやり方を参考にして答えた。
下手にわかる振りをしてボロを出すよりも、知らないということにしておく方がリスクが低そうだ。
俺はまだリアが貴族の娘だということは知らないことになっている。
そもそもなんで俺に声を掛けたのかを最初に怪しむのが自然な振る舞いだったかもしれないと直後になって思ったけど、それに関してはもう後の祭りだ。
「そうだな……」
そんな俺に気が付いているのかいないのか、リアが顎に手を当てた。
ちらりと横のラプラスを見る。
「とりあえずラプラスと同じぐらいでどうだ?」
そう言って親指でラプラスを指差した。
リアはステラと違って女の子らしい仕草が少ない。
……女傑街道まっしぐらだなこれは。
「待遇いいの?」
「まあ、身分の割には」
「仕事きつくない?」
「人間扱いはして貰えてますよ」
ラプラスからそこまで聞いて、俺は前回のことを思い出した。
確かあの時は客分扱いとかいう条件もついていたはずだ。
リアが今回それを言わなかったのはダーザイン達がいなかったからか?
ということは……。
(もう少し押しても大丈夫かもしれないな)
ここでの交渉次第で俺の今後の生活が決まる。
できれば少しでもいい条件を引き出しておきたい。
「具体的にいくらぐらい貰えるの?」
俺はリアの方を向いて尋ねた。
ラプラスに今いくらもらえているのかを聞いたわけじゃない。
いくら出す気なのかとリアに聞いた。
「……ラプラスは今どれくらいだ?」
「月に十九万、住み込みで家賃は無し。食事と服も普段の分はタダですよ」
ラプラスが俺の知りたかった情報をすらすらと並べてくれた。
俺は頭の中で冒険者の時の収入と比較した。
前回エニグマの補助付きだったときは一日で三万ジンだった。
猫様の援護がないともっと少ないだろうから、仮に一日平均で一万だったとして、一か月フルに働くと三十万ってとこか。
宿代と食費に最低一日五千は必要とすると手元に残るのは月一五万ぐらい。
装備の消耗も激しいだろうからその分のメンテ費用も考えると、実際に残るのはもっと少ないはずだ。
(……悪くないか?)
衣食住がタダで月に安定して二十万弱。
ダーザイン達が言う通り、並みの冒険者よりも待遇は良さそうだ。
俺は考えるふりをしてチラリとステラを見た。
そもそもステラがいる以上は積極的に断る理由はない。
「それじゃあ条件をあとひとつだけ。」
「なんだ?」
リアの顔に警戒の色が浮かぶ。
視界の両端にいるステラとラプラスも俺が何を言い出すのかと様子を伺っている。
「俺、異世界人だけど勇者じゃないらしいんだ。最近この世界に来たばっかりだから、この世界のことを色々と教えて欲しい。あるいは自分で調べものをする時間を確保できるようにして欲しい。」
「勇者じゃない? ……そうか、てっきり勇者の家系かと思って声を掛けたのだが違ったか。……逆に聞くが、ここで私の話を断った場合は他に行く当てがあるのか?」
前回ほどでないがリアが若干黒い笑みを浮かべた。
(げ! 藪蛇だったか……?)
話を受けてから言うべきだったかもしれないと後悔した。
それに前回も言ってた気がするけど、やっぱりリア達は勇者の家系の人間を集めているらしい。
ステラが俺に慌てて声を掛けた理由もそれかもしれないと今頃になって気が付いた。
勇者の家系はいい身分らしいから中々確保できない、そんなとき道端で行く当てがなさそうにしている勇者っぽい俺を発見、慌てて勧誘した、と。
(もしかして、ステラは俺にホの字じゃなかったのか……?)
俺は勝手に一人で納得して落ち込んだ。
まあ、とにかく今は目の前の交渉だ。
ステラと一緒に暮らせばその内チャンスもあるさ、きっと。
「冒険者でもやるさ。安定はしてないけど生活に必要な分は稼げるみたいだし。」
そう言って俺は拳で腰の剣を軽く叩いた。
「すごそうな剣……」
俺の剣を確認できる位置にいたステラから声が漏れた。
ここに来るまでに確認しようと思えばできたはずだけど、たぶんそこまで見てなかったんだろう。
……ちなみにこの剣、見掛け倒しらしいけどな。
むしろこういう使い方こそが本来の用途な気がしてきた。
リアに俺の剣を見ようとする仕草はない。
ということは、もしかしたらもう確認済みなのかもしれない。
少し表情が固くなったのは気のせいか?
俺は自分の狙いがうまくいったと判断した。
「というわけで生活費は最悪自力で何とかなるとして、俺が必要としてるのはこの世界に関する情報なんだ。そこを用意して貰えるなら話を受けるけど?」
「ふむ……」
リアが腕を組み直して考える素振りをした。
俺に釣られてステラとラプラスもリアを見た。
「わっ、わたしで良かったら手伝うから。ねっ?」
ステラが懇願するような視線をリアに投げかけた。
どうやらステラは俺の雇用に前向きらしい。
……やっぱりホの字かな?
「手伝うと言っても、お前だってこの世界に来たばかりじゃないか」
(……ん?)
「そ、それは……。でっ、でもユウよりはこっちに来て長いし、わたしでも教えられることもあると思うの」
ステラが食い下がった。
この世界に来たばかりというのが引っかかるが、俺は空気を読んで黙っていることにした。
この流れだともしかしたらステラが教育係になってくれるかもしれない。
ステラと話す口実が増えるなら好都合だ。
(……あれ?今ステラが俺のこと『ユウ』って言わなかったか?)
「……いいだろう。とはいえこちらも異世界人に一から教えたことはない。手探りになるのでスムーズにはいかないと思うが、それで構わないか?」
「まあそれぐらいは仕方ないかな。話を受けよう。これからはリア様って呼んだらいい?」
ステラが小声で『やった!』と歓声を上げた。
……かわいい。
構わないも何も俺の答えは最初から決まってる。
けど、それは表に出ないように注意しないと、またリアにつけこまれそうだ。
それよりもステラが俺のことをなんて呼ぶのか気になって仕方がない。
さっきはさり気なく呼び捨てにしてくれてたし、やっぱりこれはひょっとするとひょっとするか?
「リアでいいぞ? 堅苦しいのは外の目があるときだけでいい」
「じゃあよろしくリア。」
丁度話が纏まったタイミングで全員分のケーキと飲み物が運ばれてきた。
ラプラスが『いきなり呼び捨てだと……。くそ、俺だっていつか……』とか呟いていたのは無視して俺はケーキを食べることにした。
そういえば前回も似たようなこと言ってた気がするな。
っていうかコイツも結構顔がいい。
イケメンなら放置でいいな。
その後は穏やかな雰囲気で会話が進んだ。
内容は主にこの街のことついてだ。
ステラもこの世界に来たばかりというのはどういうことかと聞いてみたら、ここでは話しにくいので屋敷に戻ってからにしようと言われてしまった。
え、これって二人きりになるフラグか?
食べ終わった後、俺達は防具屋へ立ち寄ってからリアの屋敷へと移動するになった。
「ユウ、くん。何かわからないことがあったらわたしにも聞いていいからね?」
「うん。よろしく。えーっとステラさんって呼んだらいい?」
「ステラでいいよ?」
よっし! 呼びまくってやるぜ!
「そっか、じゃあよろしくステラ。俺も呼び捨てでいいよ?」
「それは……。ちょっと恥ずかしいよ」
ステラがはにかんだ。
うん、かわいい。
この笑顔で迫られたら全部許してしまいそうだ。
呼び捨てにしてもらえないのは残念だけど、君付けはそれはそれで悪くない。
なんかこう、甘酸っぱい感じの距離感だ。
(俺も、ついにリア充の仲間入りか。)
屋敷に着くまでの間、俺達はずっとご機嫌だった。
そんな俺達を後ろから眺めるリアとラプラス。
「リア様。今すぐあいつをぶっ殺したいのですが」
「奇遇だなラプラス、実を言うと私もだ」
★
「さて、と」
リアの屋敷に到着した後、俺は前回と同じようにラプラスに部屋まで案内された。
取り合えずシャワーを浴びてから用意された寝巻に着替えて独りで部屋のベッドに座る。
時計の針は二十時を過ぎたところだ。
――とりあえずここまでは来れた。
(問題はここからだな。)
前回のループはこの後眠ったところで終わっている。
つまり寝た後に起こった『何か』が原因で俺は死んだと考えていいだろう。
俺はとりあえず部屋の灯りを落とした。
とりあえず、風邪をひかないように布団に包まってベッドの上に胡坐をかいて待機だ。
原因がわからない以上はどうしようもない。
正直心当たりもないし、ここは待ちの姿勢でいくことにした。
「……。」
部屋の明かりは窓から差し込む月明りのみ。
元の世界とは違ってこっちの月は大きい。
地平線から全体の半分ほどを覗かせているだけだ。
窓の近くで羽ばたく蝶に反射した光だけが金色になって輝いている。
この部屋の中にある音源は自分の吐息と心臓の鼓動だけ、遠くで時々物音がする以外は静寂そのものだ。
これが元の世界の俺の部屋なら時計の音ぐらいはしてよさそうだけど、どうやらこの世界の時計はクォーツ式じゃないらしい。
「……。」
俺は特にすることもなく、ゆっくりと時間が過ぎていくのをただ待っていた。
明日のことを考えると少し横になっておいた方がいいかもしれない、ちょうどそう考え始めて目を閉じた時だ。
「……!」
突如として左胸に衝撃。
俺はそのまま後ろにふき飛ばされた。
背後の壁に叩きつけられると同時に、衝撃のあった左胸から激痛が全身に広がっていく。
痛みで動けない……、だけじゃない!
同時に誰かの手が俺の首を壁に無理矢理押し付けている。
息が出来ない、すごい力だ。
相手の正体を確認しようとまぶたを開いた俺の目に飛び込んできたのは、見覚えのある男だった。
(……!? お前は……。)
月明りではっきりと顔を確認できた。
それはこの世界に来てから知り合った数少ない人間の一人。
(モンド……。)
俺を押さえつけていたのは、あの女神教の三人組の内の一人、モンドだった。
この世界に来て最初に出会ったおっさんが左手で俺を壁に押さえつけながら、右手で俺の胸に剣を突き刺していた。
(なんで……、こいつがここにっ!)
胸の痛みとモンドの力で体の自由がまったく聞かない。
俺は早々に自分の死を確信した。
そんな俺の心の内を見透かしているかのように、モンドは薄明りの中でニヤリと張り付いたような笑みを浮かべている。
間違いない。
前回もきっとこいつにやられたんだ。
俺は死因を確信した。
どうやって俺の居場所を突き止めたのか知らないが、やっぱりこいつらをなんとかしないと文字通りの意味で俺に明日は無いらしい。
(……でもどうやって?)
問題はそこだ。
撒けたんじゃなかったのか?
……クソっ! だんだん体の力が入らなくなってきた!
薄れ始める意識の中、俺の思考だけが纏まりなく加速していく。
ダメだ、相手の力が強すぎる。
俺だけで勝てる相手じゃない。
いったいどうしたらいい?
(どうしたら……。)
すぐに頭の中にダーザイン達の姿が浮かんだ。
(そうだ、ダーザイン達がいる。)
Aランクの冒険者。
ダーザイン達ならこいつらにも対抗できるかもしれない。
それにこの屋敷にだって戦力はあるはずだ。
俺がリアに雇われた以上は戦力を少しは貸してもらえるはず。
(見てろよ……。次は必ず……!)
俺は宣戦布告の代わりにモンドを睨みつけた。
「……?」
モンドが無言で首を傾げた。
人形のような狂った笑い顔のモンド、そしていつの間にか開いていた窓。
それを見て違和感を感じた直後に俺は意識を失っ――。
その時だ。
いよいよ死のうとしていた俺の脳裏を、小さな”青い”月のイメージが駆け抜けたのは。
天頂にはいつの間にか、さっきまで見ていた地平線の月とは別にもう一つ、”青い”月が現れていた。
――なんだ? なんかおかしいぞ?
――天頂、つまり空の真上なんてこの部屋の窓からは見えなかったはずだ。どうしてそれがはっきりわかるんだ?
――今までとは死ぬ時の感覚がなんか違う。何かが違う。
――何かが変わっていく気がする。でも何がどう変わっていくのかは全くわからない。
――でも何かが変わっている実感だけがある。そう、絶対に取り返しのつかない、深刻な何かが……。
全てを侵食する呪いの月、その色は間違いなく”青”だった。
――ちょっと待て、俺は今、何を考えてるんだ?
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