3:魔法初体験。ただし受ける方で

「どうする。どうする? どうする!」


 俺はこの世界に来てから最大のパニックに陥っていた。

 なぜなら、俺が本当に目覚めた最初の時点に戻ったのだとすれば、もうすぐモンド達がここに向かってくるはずだからだ。


 状況をゆっくりと整理したいが時間がない。


 見つかればまた捕まって牢屋で死ぬのは目に見えている。

 なんとしてもここで捕まるわけにはいかない。


(でもどうする? こんな障害物が何もない平野じゃ隠れられないぞ。)


 そんなことを考えている間に地平線に人の姿が見えた。

 モンド達だ。


(クソ、ホントに来た!)


 奴らの存在が、俺の身にループ現象が発生したことを証明している。

 俺は慌てて地面の剣を拾い、反対の森に向かって走った。


 取りあえず森の入口付近の木の後ろに隠れておこう。

 このまま何もしないで三人に会うよりはマシだ。


 少し息を整えてからそっと顔を出しておっさん達の位置を確認すると、三人がまっすぐこちらに向かって歩いてくるのが見えた。


 方向にまったく迷いが見えない。

 つまりまっすぐに俺に向かって来ている。


 俺は再び木の後ろに引っ込むと、森の奥に進むかどうか考えた。

 生い茂った森はほとんど日光が差し込んでいないせいか、かなり暗い。


 入口のここですら視界は相当悪い。

 中に入ればほぼ絶望的だろう。


(こんなところで迷ったら死ぬまで出てこられないぞ……。)


 いや、死んでも出てこれないかもしれない。

 俺は森の中へと進む案を却下し、この場であの三人をやり過ごすことにした。


 体力を温存するために大木を背もたれにして座っておこう。


(……。)


 俺は息を潜めて時間が過ぎるのを待った。

 見つかる可能性があるので迂闊に森の外を確認するわけにはいかない。


 耳を澄ませていると、自分の心臓の音に混じって足音が徐々に大きくなってきたのがわかった。


(近い。たぶんそこまで来てるな。)


 俺は呼吸音を聞き取られないようにゆっくりと、そして静かに息をした。


 息を殺すってやつだ。

 それはもうリキッドだかソリッドだかわからないダンボール使いになった気分で気配を消して奴らを待つ。


 少しすると会話が聞こえてきた。


「確かこのはずだが……。いないじゃねぇか。まさか森に入ったか?」


「どれどれ」


 モンドとエルネストの声だ。

 ……近い。


 たぶん俺と三人の間の距離は十メートルもないだろう。

 すぐそこだ。


「そこにいるね、その木の裏」


(木の裏? って……、ばれてるのか?!)


 俺は驚愕と同時に、この世界に魔法が存在することを確信した。

 激しい足音と共に視界の両脇から人影が飛び出してきたのは次の瞬間だ。


 俺から見て左側からはモンド、右側からはモニカ。

 完全に挟まれた。


「見つけたぞ!」


「ぐっ!」


 慌てて立ち上がろうとした俺を、モンドが腕で背後の大木に押さえつけた。


「くそ!」


 振り払おうにもモンドの太い腕は文字通りびくともしない。

 相手との力に差がありすぎて抵抗らしい抵抗はできそうになかった。


(――でもなんでわかった?! そもそもなんで俺を……?)


 その疑問が浮かぶのと同時に、モンドの拳が俺の鳩尾にめり込んだ。


「うっ!」


 息を殺していた影響で元々空気の少なかった肺から残りの空気がほぼ全て吐き出された。

 酸欠の影響か、意識が急激に遠くなっていく。

 

 それでも一度頭の中に浮かんだ疑問は消えずに残っている。


(こいつら、なんで俺を狙ってるんだ?)


 疑問が俺の頭の中をグルグル回り、やがて意識と共に落ちていった。



 再び意識を取り戻した時、俺はまた例の牢屋の中にいた。


 ああ、わかってる。

 きっと気を失っている間に運ばれたんだろう。


 窓からは月の明かりが差し込んでいるから、俺は最低でも半日は寝ていたことになる。

 鉄格子のところに止まった金色の蝶が光を反射して輝いていた。


(痛え……。)


 体を起こそうとした俺は腹部の痛みに動きを止めた。

 痛むのはモンドにやられた箇所で間違いない。


(あのおっさんめ……。)


 俺は痛む部分を手でさすりながら体を起こした。

 前回と違って今回は手錠をされていない。


(あのお姉さんに会っていないからか?)


 確か、俺に手錠をしたのはあの人だったはずだ。

 てっきりあの人のせいで牢屋に入れられたのかと思っていたが、どうやら影響は手錠の有無だけらしい。


 だとすると、やはりあの三人は最初から牢屋に入れるつもりで俺のところへ来たのだろうか?


(……何のために?)


 俺の中で疑問が復活した。


(わざわざ俺を殺すことに何の意味がある?)


 視線の先、鉄格子の扉の近くにパンと水が置いてあるのに気が付いた。

 俺はパンを取って手の平で転がす。


(おかしいといえばこれもだ。殺すならあの場でさっさと殺せばいいのに、どうしてわざわざ牢屋に入れて生かしておくんだ?)


 俺はパンは皿の上に戻すと、周りに誰もいないのを確認してから鉄格子に力を加えてみた。

 やはり俺の力ではびくともしないみたいだ。


(仮にこの後の展開が前回と同じだとすると、死ぬのは明日の昼ぐらいか)


 前回の死因は毒のスープと見て間違いないだろう。

 あれを飲まなければ、取りあえずは死を回避できると思う。


 念のため、このパンや水も口にしない方が良さそうだ。

 ただそうなると……。


(餓死する前になんとかしないとな……。)


 何日も飲まず食わずでいたら流石に死ぬ、殺されなくても死ぬ。

 その前になんとかここから逃げ出さないと。


 俺は牢屋の入口を眺めた。


(可能性があるとしたらここぐらいか。)


 誰かがここを開けた時に飛び出すぐらいしか脱出できる可能性はない気がする。

 飢え死にするのが先か扉が開くのが先か。


 とにかく体力をどれだけ温存できるかが勝負になりそうだ。


(……よし!)


 俺は覚悟を決めて横になった。



 次の日の昼過ぎ、俺は腹の虫が鳴るのをじっと我慢しながらその時を待っていた。


 昼食は既に運ばれてきている。

 例のコンソメスープも付いていた。


 てっきりスープは俺の催促で追加されたのかと思っていたが違ったらしい。

 どの道、俺にスープを飲ませることは決まっていたってことなんだろう。


 そして扉の開く音が聞こえた。


(……来た!)


 扉の開いた音の後に少女の足音が近づいてくる。

 俺は少女の来るであろう通路側にこれまで通り背を向けて寝たふりをしていると、足音が俺の背後で止まった。


(さて、どうする?)


 今日の朝、昨日の夜に続いて食事に手を付けるのを我慢した俺は、食器を取りに来た少女を見てあることに気が付いた。

 俺が食事を取ろうが取るまいが関係なく、どうやらこの子は食事が終わる時間を見計らって食器を取りに来るらしい、ということだ。


 そこで俺は一つの仮説を立ててみた。

 この少女は食器を必ず回収しなければならない立場なのではないか、ってことだ。


 つまりこの子自身には何の決定権も無く、ただ言われた通りにするしかないのだとすると……。


 ――もしも食器の回収ができなかった場合はどうなる?


 実は今回、食事の乗ったトレーを鉄格子からワザと遠くに移動させてある。

 つまり鉄格子の外からでは届かない。


 前回のループで俺に手錠をかけたお姉さんの様子を見る限り、この教会は『じゃあ仕方ない』と許してもらえる文化でもなさそうだ。

 だとすればこの子はなんとかしてトレーを回収しようとするはず。


 そこで丁度いい具合に俺が寝ていたとしたら?


 ――トレーを回収するために扉を開けて中に入って来てくれるかもしれない。


 俺は自分の思惑が当たってくれることを祈りつつ背後の様子に全神経を集中させた。


 ……が、しばらくして、少女の足音が俺の背後から遠のいていった。


(……ダメか?)


 俺は目を開いてトレーの置いてあった場所を確認した。

 トレーはまだ置いてある。


 失敗かと思った時、少女の向かった先でカチャカチャと何かの物音がした。

 それが牢屋の鍵を取り出している音だと直感した俺は慌てて寝たふりに戻った。


 直後に少女がカチャカチャと金属音を伴って戻ってくる。


 忙しない金属音の後、カチャリと音がした。


(間違いない、鍵だ!)


 この距離だ、見てなくたって音を聞けばわかるさ。

 牢の扉がゆっくりと開いて、少女が俺の様子を伺いながら恐る恐る牢の中に入って来た。


 トレーが置いてあるのは、俺の頭の上の方だ。

 俺は薄く目を開けてタイミングを伺った。


(……。)


(……。)


(――よし、今だ!)


 トレーを取ろうした瞬間を狙って、俺は少女を突き飛ばした。


「きゃ!」


 側面から俺に突き飛ばされた少女がそのまま横に倒れ込むのが見えた。


 悪いな。

 でもこっちも切羽詰まってるんだ。


 俺は走って牢の外へ出た。


「まっ、待って!」


 女の子を突き飛ばした罪悪感を少し感じながらも、俺は出口に向かって走った。

 状況が状況だ、仕方がない。


 目の前に鉄の扉が迫る。

 俺は夢中で扉に手を伸ばした。


「エアニードル!」


「――!」


 背後で少女の叫ぶ声が聞こえた直後、俺の腹部を背後から何かが勢いよく貫いた。

 左脇腹付近から勢い良く血が噴き出す。


 俺は腹部を抑えて地面に倒れ込みながら、後ろを見た。

 ……牢から出た少女が細い棒をこちらに向けて構えている。


(この子も魔法……、使い?)


 今の俺にその疑問を口にする余裕はない。


「うっ!」


 地面に倒れた衝撃で激痛が走った。

 少女が杖を向けたままこちらに近づいてくる。


(漫画とかだと、これぐらいじゃ死なないんだけどな……。)


 だが現実は厳しい。

 少年漫画でなら無事で済む傷でも、俺には致命傷だったみたいだ。


 腹部から脈に合わせて溢れ出る血の温かさを感じながら、俺は意識を失った。

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