Episode 2


 翌朝。


 見慣れない広い部屋で翔馬が目を覚ますと、頭が痛い。


「…飲み過ぎたかな」


 隣を見た。


「…綱島、じゃない」


 あの夜、菜々子と寝たのであれば話も分からなくはない。


 しかしどう見ても違う。


「…おはよ」


 目をこすりながらむっくり起きたのは、菜々子でも光でもない女である。


「翔馬さん、おはよ」


 昨日はかなり荒れてましたね──と言われて、どうやら昨夜のパーティー絡みであることは分かるのだが、あとが判然としない。


 翔馬は胸中かなり焦り始めている。


「多分、名前を思い出そうとしてませんか?」


 翔馬は図星を射抜かれた。


「とりあえず出勤しなきゃ。遅刻してしまう」


「海士部組を辞めるんじゃないの?」


 酔った勢いで女に口を滑らせたらしい。


「だったら、うちの婿に来てくれる?」


 どこかの企業の幹部あたりの娘であるらしいのだが、まるで記憶にない。


「パパがね、あなたの働いてる様子を見て、あれなら私の婿にしていいって言ったから連れて来たの」


 翔馬はますます訳が分からなくなってきた。




 とりあえず会社へは「昨日どうも財布を紛失したので、ホテルに寄ってから出勤します」と連絡を入れてから、


「ところで…ここは?」


「私の部屋だよ」


 翔馬は頭を抱えていた。


「へぇ…イケメンでもお酒で失敗するんだ」


 まるでからかうように、可愛らしくクスクス笑い出した。


「でも昨夜は私に優しかったよね」


 どうやら、することはしたらしい。


「…ごめん、どうしても名前が出てこない」


「降参?」


 翔馬はうなだれた。


「私ね、のぞみっていうんだ」


 それでも思い出せない。




 宮崎みやざき希。


 およそ聞いたことのない名前である。


 翔馬はとにかく、


「希さん、ごめんなさい…まったく記憶がなくて」


 謝るしかない、と土下座をした。


「…覚えてなんかないだろうなって、予測はしてたよ」


 希はお見通しだったらしい。


「でも身体の相性がいいのは昨日分かったから、今度デートしてくれる?」


 承諾しないことには帰れない、と思ったのか、


「もちろん」


 翔馬は返事をした。


「…ありがと」


 希は翔馬の頬にキスをしてから、


「今日は送ってあげるね」


 身支度をし、この日は希の車で本社ビルのある桜木町まで送ってもらった。




 昼前に本社へ出勤すると、


「申し訳ございませんでした」


 翔馬は上司に不手際を詫びた。


 昨日かなり酷使されていた翔馬を見ていたからか、


「まぁ昨日あれだけこき使われてたら、財布ぐらいなくしても分からないよな…」


 上司からは叱責も少なかった。


 ひとまず安堵していると、昼休みに社員食堂で光に出くわした。


「ちょっと辻さん、あなた昨夜は、どこへいらしてましたこと?」


 険の強い言い方である。


「実は」


 嘘をついても仕方がないので、有り体に記憶がないことを話した。


「まったく…前後不覚になるぐらい飲むなんて、あなたにはどなたか彼女がついていないと宜しくないようですわね」


 そんなラブライブサンシャインの黒澤ダイヤみたいなキツい口調で言わなくたって…と喉から出かかったが、


「…すみません光お嬢さま」


 翔馬は鄭重を装い、頭を下げた。




 夕方、川崎で降りた翔馬のスマートフォンに、菜々子からメッセージが来た。


「先輩、金曜日の夜空いてますか?」


「今のところ空いてるよ」


「二人でご飯行きませんか?」


「デートとかしないの?」


「こないだ辻先輩ってイケメン見つけたんで、しあわせに暮らすためにデートしようかなって」


 セリフはぼんやり覚えていたので、


「根に持つなよ…俺が悪かった」


「そういう素直な先輩、嫌いじゃないですよ」


 菜々子から可愛らしいスタンプが来た。



 川崎駅で待ち合わせた菜々子と翔馬は、翔馬が行き付けにしているお好み焼き屋へ入った。


「大将、いつものネギ焼きとスパークリングワイン」


「そちらの美人さんは?」


「私は梅酒ハイで」


 小上がりに座ると、菜々子はスマートフォンの電源を切った。


「実は先輩に相談があって…」


「金は貸さない主義だぞ」


「お金は今のところ大丈夫です」


「で、相談って?」


「今のコンパニオンの仕事、辞めようかなって」


 タンブラーを持つ翔馬の手が止まった。


「稼げるから良いって言ってたろ」


「でも…仮に好きな人ができたら、なんだって引け目を感じる場合って、先輩はありませんか?」


 翔馬は少し考え込んだ。


 やや間があってから翔馬は、


「ちゃんと理解してくれれば、大丈夫なんじゃないかなぁ」


「先輩みたいに、話せばきちんと分かってくれて、理解してくれる人ならいいんですけどね」


 ネギ焼きが来た。


「コンパニオンって、たまに枕営業みたいなお持ち帰りとかがあるんで、その人に嫌われたらどうしようって…」


 菜々子は眉をひそめた。


「仮に俺なら、コンパニオンだろうがキャバ嬢だろうが、綱島は綱島だろってなるからなぁ」


「…そっかぁ」


「なんか参考にならなくて、悪かった」


 翔馬は少し凹み気味に言った。


「…でも先輩に打ち明けて良かった。どうしたらいいか分からなかったから」


「役に立ったなら良かった」


 スパークリングワインのおかわりが来たので、菜々子と再びグラスを鳴らした。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る