第31話 2020年5月26日 ギャップアップ③

人事からの警告の為の面談は、普段なら失点としてやむべきことではあったが、今の俺にとっては精神的に立ち直る切っ掛けとなった。

とは言え問題は何一つ解決しておらず、即効性のカンフル剤といった程度ではあったが。

面談が終わり自席に戻ると既に午前10時半を回っており、時差出勤のメンバーがちらほらと現れ始めた。

俺は他のメンバーがいる手前、久しぶりにスマホで株価をチェックせず、仕事に集中した。

もっとも、スマホで株価を見た瞬間にまたトイレに駆け込む醜態をさらさないとも限らなかったからでもあるが。


午前11時45分を過ぎた頃、俺の席に1人の来客があった。

同期の石橋 順子だ。

俺の姿を見つけ、足早に近寄ってくる。


「よっ!元気?」


今日は黒のポロシャツにダメージドのデニムというちだ。

なんだか最近、俺が株のことで頼るようになってから馴れ馴れしくなったように感じる。

当然、元気ではないので何と答えようかと考えあぐねていると順子が畳み掛けてきた。


「うわっ!

 なんかよく見ると酷いね。

 髪ぐしゃぐしゃだし、髭は剃れてないし。

 顔も酷いよ。」


他のメンバーとは距離があった為にマスクを外していたのだが、それ故に惨状があからさまになってしまった。


「どうでもいいだろ、ほっといてくれよ。」


自分がみっともないことはわかっていたことではあるが、改めて人から指摘されると気が滅入めいる。

せっかく立ち直りつつあったのに、また暗い気持ちをぶり返してしまいそうだ。

みっともなさを覆い隠すように人事担当から貰ったマスクを着ける。

順子はこちらの気持ちを知ってか知らずか俺の返事を無視して続けた。


「ねぇ、人事はなんて言ってた?

 栄転?

 出世?

 リストラ?」


順子はなんだか楽しそうだ。

流石に俺はそんな順子にイライラして言った。


「お前さぁ、そういうこと他に人がいるところで聞く?

 どれでもなかったよ。

 ネットサーフィンばっかりやるなって、それだけさ。」


そうすると順子は

「ふーん、そうなんだ。

 つまんないことで呼びつけるんだね。」

と言った後、

「まぁ、何を見ていたかは大体想像つくけどね。」

といたずらっぽい笑みを浮かべた。


「で、お前はなにしに来たんだよ?

 大体お前、今日出社の予定じゃなかったろ?」


俺はいつものように順子とは呼ばず、お前なんかお前呼ばわりだ、そんな子供じみた抵抗を交えて聞いた。


「落ち込んでる春雄を励まそうとわざわざ出社に変えてあげたの!

 で、今はランチを誘いに来たってわけ。」


順子はなぜかどや顔だ。

だが、俺は少し考えてその申し出を断った。


「折角だけど今日は遠慮しておくよ。

 あんまり食欲がないんだ。」


これは事実だった。

ただでさえ普段から食事を摂っていないのに今日の株価急騰を見てしまっては、食事が喉を通る気が全くしなかった。

そもそも、先程までトイレで吐いていたのだ。

食事をする気がないのに一緒にランチに行っても、順子に気を使わせるだけだろう。

だが、順子は食い下がってきた。


「酷くない?

 私がわざわざ出勤に変えてまで誘いに来たって言うのに。」


順子は納得がいかない、そんな顔だ。

だが、何か思いついたようで表情を変えてこんなことを言い出した。


「じゃあさ、晩ご飯食べに行こ。

 20時までだったらお酒も飲めるしさ。

 普段から春雄の愚痴に付き合ってやってるんだから、たまには恩返ししなよ。」


俺は半ば強引に晩の約束をさせられた。

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