第8話〜“理想郷”への移住計画〜

 

「ただいま。ニャルザル軍はいなくなったから、もう大丈夫だよ。被害はそんなに大きくはなかったけど、ここら一帯はニャルザル軍に占拠されそうだ。食糧もほとんど、持って行かれてしまった」


 外の様子を見に行っていたプレアデスが、額に擦り傷を作って帰ってきた。


 食糧を持ってかれたって……じゃあボクらはこのカビ臭さが鼻につく地下室で、どうやって過ごしてけばいいってんだ。


「食いモンが無えってことかよ? ボクらここで死ぬのか?」

「大丈夫。僕たちの分の缶詰は確保してあるし、ニャルザル軍は資源を奪うという目的を果たしたようだから、もう攻めては来ないだろう。けど、僕はこれから住民の誘導をしなくちゃいけない。しばらく留守にするけど、ゴマくんたちは絶対にこの地下室を出ないでね。それと……」


 ルナが涙を浮かべて、プレアデスにすがり付いた。


「ねえ、帰りたいよ! メル姉ちゃんにもじゅじゅ姉ちゃんにも、ユキとポコにも会いたい!」


 ボクが無理やりルナを連れて来たばかりに、こんな事に巻き込まれちまったんだ。

 ボクは後悔した。だが、このまま何もしねえ訳にはいかねえ。何としても、帰る手段を見つけなければ。


「プレアデス、ボクらは本当に地上へ帰れるんだろうな?」


 ボクはプレアデスを思いっきり睨みつけてやった。


「その話だけど……、さっき話した、地上に行ったという研究者に頼めば、君たちを地上に送り届けられると思う。僕の仕事が落ち着いてからになるけど」


 いい加減な事言いやがって。

 地上のどこかで、ネズミだけが住む理想郷を見たとかいう、研究者——。

 正直怪しげだし、期待は出来なさそうだ。だがそいつを通してしか帰る手段がねえってんなら、信じるしかねえか。


「……わかった。ならさっさと仕事終わらせて来い。そして、1秒でも早くボクらを地上に帰せ」


 言い捨てて見送ろうとしたが、プレアデスはまだ何か言いたげだ。


にゃんだ、まだにゃんかあんのかよ」


 プレアデスは体をボクらに向けたまましばらくボーッと天井を見上げていたが、すぐに視線をボクらの方へと戻す。

 と思ったら、突然深々と頭を下げた。


「……その前に、君たちの力を借りたいんだ。“ネズミたちの住む理想郷”がもし地上に本当にあるなら……。そこがどんな世界かを、僕と一緒に見に行って欲しいんだ。君たちが家に帰る前にね」


 ……コイツ、ふざけてんのか。

 ボクは、わざと大きく舌打ちをした。


「……チッ。そんなもん無えに決まってんだろ!」

「まっ、とりあえず僕の仕事を終わらせてから、例の研究者に会ってくるよ。何日か空けるけど、絶対に外出ちゃダメだよ」

「何日か空けるだと!? おいコラふざけんな! 一瞬でも早く帰せっつっただろ! この野郎、1発殴……」

「ダメ! 兄ちゃん!!」


 顔を上げたプレアデスに、1発ネコパンチ食らわせてやろうとしたが、ルナに思い切り尻尾を引っ張られて空振りしてしまう。


「ギニャアアー!! いでえ!! ルナ、テメエにゃにしやがる!」

「すぐ暴力振るうのはだめだよ」

「尻尾引っ張る方がよっぽど酷えぞ、ルナ!」


 あーあ……。やっぱりプレアデスの野郎も、まともな奴じゃなかった。

 この世界の奴らは変な奴ばかりだ。ボクはもう、誰も信用出来なくなっちまった。


「食糧の缶詰はそこに置いてくから。じゃあ、行ってくるね」


 そんなボクの気持ちを無視するかのようにプレアデスはそう言い残すと、スタコラと出て行ってしまった。


 ♢


 それからボクらは、崩壊したアパートの地下室で数日を過ごすことになるんだ。


 とりあえず食いモンは大丈夫そうだが、こんな所に何日も閉じ込められてるなんて、ボクにとっちゃ拷問に等しい。居心地悪りいし、臭えし、退屈だし。

 外に出てえ。体を動かしてえ。あちこち探検してえ。


「おい、ルナ。プレアデスの野郎が帰ってくるまでまだ時間がある。外へ出てみねえか?」

「ダメ兄ちゃん。危ないよ。外出ちゃダメってプレアデス兄ちゃん言ってたじゃん」

「じゃあお前そこで待ってろ。ボクは体動かしたくてもう限界なんだよ」

「ダメだってー! 待ってよー!」


 ルナの忠告を無視して、ボクは扉を開き階段を上がり、外に出てみた。


 目に入ったのは——吸い込まれるような、真っ黒に染まった空だった。地底世界にも、夜があるらしい。

 だが空には、月も星もない。ただ黒一色の闇が広がるだけだった。見ているうちに、背筋がゾクっとしちまった。


 周りには、誰もいないようだ。建物の灯りもなく、街灯だけが寂しく街を照らす。

 ボクは探検を開始しようと、一歩踏み出した……が。


「ゴマくん! 外に出たら危ないよー!」


 何とプレアデスの奴が、ちょうど帰ってきやがったんだ。全く、タイミング悪りい。


「クソ! 外の空気が吸いたかったんだよ。それよりなんだこの空は。真っ暗というより、真っ黒じゃねえか」

「今は、なんだ。それが地底世界での夜なのさ。僕の腕時計の、短い方の針が一回りしたら……つまり12時間が経つと、またセントラル・サンが輝き出して夜が明けるんだ。さ、早く地下室へ戻るよ」


 ちょっと何言ってるか、ボクには分かんねえ。とりあえず、地底にも昼と夜があるってことか。


「……星も月もない夜空ってのは、不気味だな」

「そお? あ、そうだ。例の研究者と会って来たんだ」

「ほう。で、どうだったんだよ。ボクらは本当にその研究者とやらを頼れば地上に帰れるのか?」


 ボクは、プレアデスのムカつくぐらい整った顔を思いっきり睨んでやった。

 が、奴は自信に満ちた声を発した。


「うん! 地上に行った事があるって話も、ネズミの理想郷があると言う話も、本当だった。全部、本当だったんだよ! 詳しくは後で話すね!」


 本当だったのか、そうか……。

 だがボクはまだ、プレアデスを完全に信用した訳じゃねえ。が、そうも言ってはいられねえ状況だ……。


「じゃあ早くその研究者とやらに会わせて、ボクらを地上に帰せ。まるでここは、地獄じゃねえか……。ニャルザル軍だっけ? そいつらとの戦争は、まだ続くのか?」

「それが、今回は地底世界全体を巻き込む大戦争になりそうなんだ」


 プレアデスは声のトーンを低くし、話を続ける。


「勝った国が、地底世界の資源を独り占めするだろうね。そもそも地底の資源自体がもうほとんど無いんだけど」

「……資源がねえのに、戦争なんかしてどうすんだよ」

「だから、まずいんだ……。このままだと地底世界は、滅びてしまう」


 全く、何が資源の奪い合いだ。クソくだらねえ。

 ボクらの住む地上世界では、公園にでも行きゃあ、食いモンだろうが何だろうが、そのへんのニンゲンがいくらでもくれる。欲しけりゃ、持ってってやるのに。

 同じ地に住む同じネコ同士が殺し合うなんて、そんな事してどーすんだよ。結局勝ったとしても、虚しいだけじゃねえか……。


 ♢


「兄ちゃん! あ、プレアデス兄ちゃんも……。ねえ、僕たち本当に帰れるの?」


 地下室に戻ると、ルナが尻尾を下げながら声をかけてきた。1匹だけで心細かったのだろう。


「うん、僕が責任を持って、君たちを地上に送り届けるよ。その代わり、前言った通り、君たちに仕事を頼みたい」


 プレアデスの奴は相変わらず、自信満々な態度だ。

 で、前に言ってた仕事ってのは——。


「……ネズミだけが住む理想郷を見に行く……ってヤツだな。でもそんな事したら、ネズミどもは逃げていかねえか? というより、本能でボクらが食っちまうかもしれねえぞ?」

「その辺は心配いらないよ。詳しくは後で説明するけど、実はもうその場所も特定してあるし、そこへ行くための手段もある」

「何だと? いや、しかしよ、プレアデス」

「何だい?」


 ボクは率直な疑問をぶつけた。


「わざわざネズミの理想郷とやらなんかに行かなくても、普通に地上に移住するだけでいいんじゃねえのか? 資源さえ解決すりゃあ済む問題だろ? 地上でボクらと同じように暮らせばいいじゃねえか」


 何で奴らは“ネズミの理想郷”とやらにこだわるんだろうか。ボクはずっとそれが引っかかっていた。

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