忍ぶれど……【質】
*
鉄扇は、投げるのに丁度いい。それは分かる。しかし、だからと言って、ポイポイ気軽に投げ過ぎではないだろうか。
長可が不貞腐れながら鉄扇を拾って渡す。奇妙丸は受け取りながら脇息に凭れ直した。息をするだけで絵になる美少年である。
「於泉を呼んで来い。まだその辺にいるはずだ。菓子と薄茶を持って来させるから」
「随分と丁寧にもてなしますね」
茶筅丸が来た時は大したもてなしもされないのに、於泉には南蛮や他国の菓子など、珍しい物をよく与えている。
「可愛い妹のためじゃ」奇妙丸は愛しいものを見るように目を綻ばせた。
「不思議よな――初めて会うた時から、他人に思えなかった。無論、お前達も大切には思っている。だが……」
「はいはい、初恋話はいいですから」
それ以上聞きたくなくて、長可は御簾を潜った。
庭に出て少し歩く。秋の花の中を潜る。秋の匂いを纏って辿り着いた先で、長可は息を呑んだ。
ふわふわと漂う、墨を零したような髪。総髪に結い上げているのは、幼い頃に奇妙丸に貰ったという真っ赤な結布。
紅を塗ってもいないのに血色のいい唇。
蘇芳の双眸に宿る、炎のような紅は意志の強さを表している。
「……勝蔵殿」
於泉の、血のような色の唇が鈴の音を鳴らした。
長可ははっとしながら近付く。於泉の足元には、花輪が落ちていた。長可が拾い上げようとしゃがむと、於泉が遮るように先に屈んだ。握りつぶされた花の輪が持ち上がる。
「落としちゃって。若に、差し上げようと思ったんだけど、失敗しちゃった」
於泉は取り繕うように笑った。その笑顔の意味を、長可は庄九郎から聞いて知っている。
『於泉は、母上から疎まれているんだ』
まだ小さかった頃、於泉とやっと親しくなったばかりの時に、庄九郎が教えてくれた。
『於泉って、側室の子なのか?』
『いや。俺と同母。だけど、母上は於泉のことだけ遠ざけようとする。父上が於泉を甘やかすのは、そういうことなんだろうな』
庄九郎と於泉の母と、長可が親しく言葉を交わしたことはない。遠目で見たことがあるだけだ。
美しいが影のある、於泉と同じ瞳の色を持つ女人だった。
母君と会った後、於泉はいつも笑顔を作ろうとする。その作った顔が長可は嫌いだった。
まるで、幼い頃、京から戻って来て傷ついていた奇妙丸を思い出す。
長可は於泉の手から花輪を奪い取った。
「何するの。返して」
「これ、俺にくれよ」
長可は潰れた花輪を手にする。萩や撫子が少し歪な形で揺れていた。
「下手くそよ。潰れてるし、何より勝蔵殿が身に着けるには、少々小さい」
「別に小さくてもいいだろ。皿に浮かべて飾るには充分だ」
むしろその方が長く花を楽しめる。
於泉はくすくすと笑いながら「わたしもそうしようと思っていたの」と言った。「うん、そっちの方がいいや」
於泉の頬で垂れた髪を指先で弄ぶ。
奇妙丸にしても、於泉にしても、作った笑顔は似合わない。特に於泉は、大口を開けて笑っている方が似合っている。
長可はふと思い出したように手を打った。
「出掛けに、お前の乳母殿と会ったぞ」
「ばあやと?」
「うん。『せめて一声掛けてくださいませ』と仰っていた」
「うわー……帰ったらお説教されるのかしら」
於泉はうんざりしたようで、どこか嬉しそうだった。
「心配なんだろ。仮にもお前は池田家の一の姫だし」
「仮にもって何よ」
長可の背中をばしばしと叩きながら、於泉は嘆息した。
「あんまりお付きの者を連れてぞろぞろと歩くの、あんまり好きじゃないのよね。なんかこう、肩が張っちゃって」
「俺ですら登城の際には、兵庫とか連れて歩くんだぞ」
「でも、金山は遠いじゃない。わたしが住んでいるのは岐阜よ。お城のお膝元。目を瞑って適当に歩いたって着くのに。まあ、ばあやは年が年だし……連れて歩くにはねぇ」
「あとで怒られんぞー」
笑いながら於泉は「
「柚乃?」
聞き覚えのない名だった。新しく於泉に付けられた侍女だという。
「すごく気が利くのよ。美人で、働き者で……。池田家に来てくれて日は浅いけど、とっても頼りにしてるの。そのうち紹介するけど、取らないでね」
「取る? 柚乃とやらをか」
「側女にしたくなるわよ」
於泉は少しむっとした顔をしていた。
「意味分かんねえこと言ってんなよ。それより早く来いよ。若が茶にしようってさ。菓子も用意してるって」
「本当? 楽しみ!」
於泉の表情が一気に華やぐ。落ち込んだり怒ったり笑ったり、忙しい女だ。
(でも、この顔の方がいいよな)
長可は揺れる癖毛を眺めながら、ゆったりと後を追い駆けた。
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